NIEが日本で取り組まれるようになった時期は、新聞の発行部数は右肩上がりでした。朝刊が40面近くあり、夕刊も12面以上という日もよくありました。Y紙の発行部数が1000万部を越したのもこの頃です。NIEを「ニー」ではなく「エヌアイイー」と読むと、この人は分かっていると受け入れられました。
新聞を使うことが目的になると、「教えるべきことさえ消化できないのに」「公教育で複数紙あるのに一紙だけ使うのは」「学年全体が取り組めればいいが、一クラスだけでは」等、学校現場では戸惑いが生まれました。授業が紙面化されるのも嬉しい反面、そのクラス、教師だけが目立つ弊害も・・・実践前に二の足を踏む事態に。
「ボタンの掛け違え」はNIE発足当時に社会科を窓口にしたこと。教科書で、新聞社そのものを学ぶ需要がなくなると、宝物だったはずの資料は、無数に送られてくる広告類と同じ扱いに・・・。当事者の社会科の教師の反応は日に日に薄いものに・・・。新聞を読むことが手段であったはずなのに、学校で新聞を読むことが目的のように扱われ、NIEを紹介する記事では、児童生徒が授業中に新聞を広げた写真とともに「新聞は授業に使える」という教師の言葉を多く目にしたのもこの時期です。この教師のコメントは今でも時折目にします。
「どうやら新聞を学校に使えるらしい」と学校現場が気付いた時、窓口は社会科の教師になりました。新聞協会や新聞社からも「社会科の先生」へ連絡を取り、学校サイドも「新聞社の見学など教材にしているのは社会科だから社会科担当の教師を窓口に」と、双方、矛盾もなくスタートしました。学校に新聞社から送られてくる資料は、社会科教師のもとに届けられるようになりました。一方、昭和の段階で、小学校社会科教科書では「新聞」が「テレビ・放送局」にかわり、平成になると「インターネット」にかわりました。
NIEが教育現場に紹介されたころ、よく言われたのが「学びを学校にとどめない」「学校の学びを実際の生活に役立ててこそ意味がある」「新聞は学校と家庭、社会とのかけ橋」といった言葉。「教科書は早くでも3年サイクル、準備段階も含めればさらに数年遅れるが、新聞は半日サイクル。日々の社会の動きを授業に生かす最適のアイテム」といった言葉が飛び交いました。