車を運転にながら、ラジオの人生相談を聴くことがある。
弁護士の先生が答えているときもあるし、加藤諦三先生が答えているときもある。
人によって入り方の深さが違う。
弁護士はすごく形式的な話で問題を解決しようとするのに対し、加藤先生はできるだけ生い立ちに触れ心の内面の深くに入っていく。
人の内面に入り込むことは、結構きつい作業である。
相談者の心の中だけでなく、自分の弱い部分を知らなければ、問題の核心に入っていくことができないからだ。
それには、相当の訓練がいる。
心理学上の概念に、「イド」というものがある。「イド」とは無意識的衝動の源泉である。
昔、河合隼雄と村上春樹が対談している本を持っていたが、なかなか面白かった。
河合先生は、「私はこうおもてるけど、それが勝手にこういうねん」の「それ」がイドだと言っていた。
村上春樹は小説の中でよく井戸を書く。
ねじまき鳥クロニクルでは、井戸が物語の重要な入り口になっている。
人のこころに穴を掘って深く入っていくことの象徴だと思われる。
主人公は井戸の中にに閉じこもり、別の世界に行く。
河合先生をクライアントとのやり取り。
「自殺してもいいですか」と訊かれていいかだめかの二つしか思い浮かばないようじゃどうしようもない。
それよりクライアントがなぜそのようなことをいったのか考えたほうがいい。
そういうことを言うとき、カウンセラーに何か不満を持っている場合が多い。
例えば、自分は変なにおいがすると思っている人がいる。
この人は私のところに来るとにおいの話はせずに、もっぱら会社の同僚の悪口ばかりいっている。
そうすると、だんだんこの人の問題は会社の人間関係にあるなぁと分かってくる。そのようにうまくいっていると思うと、いきなり部屋に入るなり「先生、においするでしょう」と言い出す。
それまでにおいの話をしなかったのにいきなりその話をされると、問題が別にあったのではないかと思ってしまう。
そういう時は、彼がなぜそんなことを言ったのか考えてみる。
すると何かしら思い当たることが出てくる。
前回の面会のとき、あとで講演の予定があったため心ここにあらずという状態で相手の話を真剣にきいてなかった。
クライアントは抗議の意味でそういうことを言う。
それが分かれば、対処の仕方がある。
においがするかといわれても直接答える必要がなく、この間はちゃんと話がきけなくて悪いことをしましたねぇと素直に言えばよい。
実際に、そうしたところ彼は席に戻りにおいの話はしなくなった。
このようにクライアントは言いたいことをはっきり言わず間接的な表現で言うことが多い。
自殺してもいいですかという言葉もそのものずばりの意味ではなく「私たちの関係をただしてください」という要求であることであることが多い。
クライアントが自殺するといった言葉を発するのは、カウンセリングがうまくいっていないこともあるし、そうではなくクライアントが良いほうに変わろうとしている決定的瞬間の場合もある。
私も変わるからあなたも命を懸けてくれますかというメッセージである。
こういうときは、こちらも体を張っているのだということが伝われば、何を言ってもいい。どのようなことを言っても相手にはわかる。だから重要なのは言葉ではない。
私は個人的にできるだけ表面的な付き合いをしようとしているのですが、相手がそれを求めているときには、内面の深いところに入っていくときがある。
心の深いところに入っていくということは、相手の心と同化することだから、強い精神力がなければできない。
怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む。 ニーチェ