YESかNOか、白か黒か、敵か味方かなどの二分法的思考があります。
その考え方は、専門的知識をもたない一般の人々の考えを操作するには有効な方法です。
ヒトラーがよく使ったと言われています。
小泉元総理が行った郵政選挙もそうだったかもしれない。
しかし、二分法みたいに物事は単純ではありません。むしろ二者択一で分類できないことが多い。
「イチローは野球が好きだ」を厳密に否定するとどうなるでしょうか?
ちょっと考えると「イチローは野球が嫌いだ」のように思えます。
だが違います。 好きか嫌いか以外に、「どちらでもない」があります。
つまり「イチローは野球が好きだ」を厳密に否定すると、
「イチローは野球を好き、というわけではない」になります。
二分法は、想像以上に、人の脳みそにすりこまれています。
誰かに、 二分法を突きつけられたら、三分法で対抗しましょう。
つまり、「どちらでもない」を積極的に使うことです。
その問題について、答えたくない場合もあるし、ゆっくり考えるために保留したいときもあります。
だから、急いでイエスかノーの返事を強制されることはありません。
「どちらでもない」は優柔不断のように見えます。
そして、そのことが悪いことのように思えてきます。
しかし、そう考えることは、悪い人間の思うツボです。
悪いやつは、NOの選択肢をつぶしておいて、YESに持っていこうとする。
だから、そんな場合、堂々とYES・NOのどちらでもないと言えばよい。
人間は自分の専門外の難しい問題に、簡単には答えられません。
わからないことは恥じることではないのです。