フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

ナンセンス・文脈破壊

2009年05月21日 20時59分38秒 | 日々の出来事・雑記

 TV番組で、イタリア人に天才バカボンとタッチと何か三つくらいアニメを見せてどれが好きかアンケートとる企画をしていた。天才バカボンが好きだという人が多数だった。イタリア人があのナンセンスな話を好きだというのでびっくりした。
 このことが頭にあり、図書館で赤塚不二夫の対談集を借りてしまった。タモリ、談志、たけし、松本のすごいメンバーと対談している。赤塚不二夫のユーモアは、大物芸人に大きな影響を与えている。
 皆それぞれに面白いのだが、松本人志との対談ですこし考えさせられることがあったので、それについて語ろうと思う。

 まっちゃんのお父さんが落語好きで、小学校一年生くらいの頃から、落語に連れて行かれるようになったということだった。
 その影響でコントの構成をする場合でも、内容がしっかりしていないと嫌だという。
 彼はガキの使いでもへんな葉書についてアドリブで切り返す。また、ドラマもアドリブの部分がなければやらないと言ってた。そういう人にしては、意外な発言だった。
 しかし、よく考えてみるとアドリブとは即興で筋立てを作ることで、頭にたくさんのストーリーがないと、簡単にはできない。
 松本人志の笑い基本は落語のストーリーにあったのだろう。

 落語のストーリーは、文脈をずらすことで構成されている。そのズレから笑いが生まれる。
 ナンセンスは、ズレというより、少し強く、どちらかというと文脈破壊である。
 
 きちんと定義すれば、ナンセンスは、話しの流れや論理性を無視してそれを壊すことをいう。
 ギャグも、一応、ナンセンスの一種で、話しや行為の最中に挿入する滑稽な言葉や仕草をいう。

 文脈を壊すという意味ではギャグとナンセンスは似ている。ただ、ギャグは文脈を無視した破壊である。ナンセンスはその辺はきちんと計算されている。
 
 ただ、ギャグは、くりかえしによる効果のほうがおおきい。人はくだらないことをくりかえされるとつい笑ってしまう。
 ギャグだけに頼っていると、物語がつくれなくなる。だから、一発ギャグで消えいく。
 やはり、笑いの基本も、物語の文脈を意識することなのである。
 それを、いいタイミングで、ずらしたり壊したりするわけだから、普通のストーリーテラーよりも高度なことをしているといえる。 

 前に話したことがあるが、人は文脈に心を委ね依存してしまう特徴がある。
 
 笑いは、文脈をずらしたり破壊したりして発生するのだから、人を笑わせたり出来る人は他人の文脈に依存しないだけの精神力がある。
 
 笑いは、いろんな効用がある。 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たけのこ野郎

2009年05月20日 16時13分43秒 | 日々の出来事・雑記

 よく巷で太ってきたからダイエットしようとかいう声が聞こえてくるが、「おい、どこの肉落とすんだよ」という人が多い。やせているのがいいというのはなんか日本だけらしくて、欧米や中国の人たちが日本人を見ると貧相に感じるそうだ。個人的にもあまりやせている女性よりも少し肉付きがいいほうがいやらしい感じがして好きだ。

 

 という前振りをしておいて自分のことになるのだが、最近少し太ってきた。おいおいという感じだが、もともと筋肉質な体型をしているので少し脂肪がつくと余計ふとって見えるらしい。こっちはたいして気にもしていないのだがに太った太ったといわれる。正直いって脱いだらどちらかというと、いい具合に脂肪のついたプロレスラーみたいな感じで決してデブではない。だがそれを証明するためにいちいち脱ぐわけにもいかない。

 

 ただ確かに少し問題が生じている。太ももやお尻ががぱっつんぱっつんになってきて、トランクスが少し小さくなってきているのだ。結構安いトランクスをはいていて前の窓にボタンがついていない。それで全体的に引っ張られるかんじになり前の窓が自然とぱっくり開く。そうすると必然的に竹の子野郎がニョッキリと顔を出してくる。
 最近竹の子野郎がよく出てくるようになっていちいち直さなくてはいけないから大変だと思っていたところだった。そう考えるとやっぱり太ってきたのだ。それにしてもあそこばかり触っていると変な奴と思われる。
 まあ竹の子が竹にならないうちに、ジョギングを始めなくてはいかないなあと思っている。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米軍、テレパシーの研究を本格化

2009年05月19日 23時56分44秒 | 身体・健康・筋トレ

 米国防総省は『Silent Talk』(無言の会話)と呼ばれるプログラムに着手した。
 
 それが可能になると、戦場無線も歩兵の手信号もいらなくなる。
 
 このプログラムは、発声による会話を使わずに、神経信号を分析することによって、遠隔地のコミュニケーションを可能にする。
 
 
会話で使われる言葉は、声になる前に、それぞれ固有の神経信号として脳の中に存在する。その会話前の言葉の神経信号を検出し、分析した後、相手にその内容を伝達する。

 今回のプロジェクトの目標は3つある。

 まず、個人の思考を形成する言葉と神経信号のパターンを分析すること。
 
 次に、これらのパターンが一般化できるものであるかどうか、つまりすべての人が同様のパターンを持つかを確認すること。
 
 最後に、信号を解読して特定の人に伝達するための方法を確立すること、である。

 方法論として、磁気共鳴映像法などを利用して脳を読み取り、人間の思考に適応するコンピューターや、思考察知機能付き双眼鏡を作り、それによってコニュニケーションをとることが検討されている。

 これらによって、会話による反応より、すばやくコニュニケーションをとることが目標である。

 この方法には、戦場で密かに会話すること以上のメリットも考えられる。

 
 すなわち、敵をこちらの命令に従わせることもできる
可能性がある。
 
 具体的には、敵の闘う動機を削ぐことや、敵をこちら側の命令に従わせる方法、恐怖や苦痛を感じなくする方法などである。
 ただし、このような新技術が使われ、命令に従わされることが、人道的に問題にならないのか、慎重に検討されなければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昼休みに

2009年05月19日 15時40分08秒 | 日々の出来事・雑記

 

 今日の昼休みに、ガヤガヤと誰かが撮影をしているので、近くに言ったらクワバタオハラのクワバタさんがいた。

 「写真とっていいですか」といったら「いいですよ」と快く承諾してくれた。

 なかなか感じのいい人だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死についてのメモ

2009年05月19日 00時03分58秒 | 社会・政治・思想哲学

 若いときは、客観的には無知だが、主観的には全知全能である。

 それゆえ、死について真剣に考えることはない。

 しかし、歳をとるとパワーが落ちてきて、死について考えるようになる。

 人間だけが、死ぬ意味を理解する。
 
 死は、
他人が引き受けることのできない自己に固有のものである。

 また、人間のあらゆる可能性を奪う。そして、あらゆる瞬間に起こりうる。
 
 死
は人間に恐怖を与える。自己の終わりを意味するから。

 死ゆえ人間は人生が限られたものであることを意識する。
 
 「何のために生きているのか」、「何をするのか」を問う。
 
 その中で、行為の選択をする。
楽しく刹那的に過ごす生き方もあるし、目的をみつけて過ごす生き方もある。

 生き方は時代や環境やに影響される。

 例えば、バブルの時代なら消費が美徳であった。今なら貯金するのが美徳だ。
 どのように選ぶのか。
 
 デザイナーの川崎和夫さんの言葉

 「皆、ここにないもののことばっかりいって文句を言うが、ここにしかないものを捜したらどうだ」

 彼は両足が使えなくなっても、何事もないようにデザインを淡々と行っている。
 
 自分だけではなく人に希望をも与えている。両足が使える人より生き生きとしている。

 状況は変化していく。金持ちが破産し極貧になることもある。また川崎さんのように突然両足が使えなくなることもある。

 現実は残酷だ。

 だが、幸せを掴むことも不可能ではない。

 誰に役に立つこと、愛する人に受け入れられること。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まっちゃんの結婚

2009年05月17日 23時54分30秒 | 日々の出来事・雑記

人気お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志さん(45)が結婚したことが17日、わかった。所属事務所が発表した。

 相手は一般女性で、現在妊娠中で年内に出産予定という。松本さんは「デリケートな時期なので、できるだけそっとしといて欲しい。記者会見はした方がいいかと思うのですが、照れくさいのでやめておきます」などとコメントしている。松本さんの相方の浜田雅功さんは、「あなたも人の親ですか」などとコメントしている。

  ついに松本人志も結婚か。最近なんとなく仕事を減らしているような感じがしていたが、関係あるのだろうか。まあ、とにかくおめでとう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダビンチコード

2009年05月17日 00時23分33秒 | 日々の出来事・雑記

 前に話題になっていたダビンチコードをTVでやるというので観た。人によって評価が賛否両論だったのだが、個人的にはまあまあ面白かった。

 支配者は自分たちの権力の正当性を根拠つけるために神の権威を利用する。そしてその拡大と維持のために布教がなされる。しかし権力者に歯向かい脅威になる者たちが必ず現れる。その者たちは権力者に迫害される運命にある。ダビンチコードは権力の目から逃れるためにメッセージを暗号にしその大切な秘密を守っていく物語だ。

 映画の中に「教会ってどこも気持ちが悪い」というシーンがあったが、私もそう思う。死と権力者のにおいがプンプンするからだろう。
 神父は信徒たちに自己の犯した罪を告白させ、来世における魂の救済を行う。しかし違う視点から見れば、信徒たちを救うふりをして、彼らを精神的な支配下に置くのだ。そのために罪を告白させるともいえる。それにより権力者の末端までの支配を完結させるのだ。このことを指して、ニーチェが「傷の痛みを鎮めながら、同時に傷口に毒を塗るのだ」といった。

 どの時代も、もちろん現在もそうであるが、宗教は権力の拡大と維持のために利用される。信徒は自己の魂の救済のために信仰したのに、その宗教のために命を投げ出してしまう。その信徒が妄信的であればあるほどそうなる。完全な矛盾である。

 しかし私は無神論者ではない。神がいるかいないかだったら、いるほうに賭ける。ただ権力者の支配下に置かれるのはごめんだ。自我を他人に預けず宗教の問題を考えることは可能だと思っている。

そんなことを考えながら映画を観ていた。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノルウェーの森の映画化

2009年05月16日 01時46分57秒 | 日々の出来事・雑記

 ノルウェーの森を最初読んだとき、すごく面白かったと同時に、あまり主人公に感情移入できなかったような覚えがある。
 私は単純な若者だったし、あのような直子と主人公の恋愛を理解できなかったからだ。
 直子は生きながら既に死んでいるような不思議な女の子で、結局自殺してしまう。
 直子と主人公の関係は非常に特殊で、非現実的ともいえる。
 それとは逆に、もう一人のガールフレンド緑との関係は、現実的である。普通にいそうな女の子で生き生きしていてる。彼女が暗い物語に活気を与えてくれる。
 緑との付き合いが、普通に経験する恋愛だろう。

 直子、緑、僕の三角関係が、せつなく絡み合っていく。この微妙な関係がこの小説の醍醐味でもある。
 
 文芸的な評論はもう十分すぎるほどなされているし、私も敢えて詳しくは語らない。
 
 もし読んでいない人がいたら読むことをお勧めする。

 
 身を焦がすような熱い恋愛小説ではなく、薄い皮が一枚どうしても破れず、お互いの気持ちが理解しあえないような、せつない恋愛小説である。
 ロミオとジュリエットとはずいぶん違う。
 しかし、感情移入できないとしても読むとぐいぐい進んでいく不思議な小説である。

  この小説が映画になるとどう表現されるのか興味がある。監督もフランス人で外人がどういう風に小説を読んでいるのかも気になる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高田純次は天才だ

2009年05月14日 23時42分41秒 | 日々の出来事・雑記

 「すっとぼけた」という言葉は最近あまり使わなくなったが、高田純次にぴったりの言葉だ。多分、すっとぼけたといえるほど、とぼけた人間がいなくなってきたのだろう。

 今日、テリー伊藤のラジオに高田純次が出ていた。
 ずーっと笑いっぱなしだった。二人とも元気が出るテレビで一緒に仕事をしていたから、お互いのことをよく知っている仲だ。
 しかし二人の話がぜんぜんかみ合わなくてそれがまたおかしいのだ。

 何だろう。うまくいえないがお笑いでいろいろ面白い人はいるが、高田純次は天才だと思う。
 普通、芸人は漫才だったりコントだったり文脈の中でさまざまな工夫をして笑わせる。
 「高田純次は日本一の適当男だ」という言葉を聞いただけで思わずにんまりしてしまう。
 存在自体がジョークみたいなもので、こんなふざけたことが似合う人はもう後にも先にも現れない。
 本当に稀有な存在だ。彼はもう少し評価されてもいいような気がする。
 本当にいつもハッピーな気分にさせてもらえる。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中学の同級生

2009年05月14日 16時49分52秒 | 日々の出来事・雑記

 昨日、新潟から中学の同級生が東京に来ていて、うちに泊まっていった。
 
 最近一年に一回くらい定期的に会う。
 
 彼と話しているとなんとなく子供の時に戻ったような気分になる。
 
 不思議な感じだ。
 
 ダウンタウンもそうだし、ほかの芸人も学生時代の同級生が多い。それはスーッと童心に戻れるからだろう。
 
 だいたい、若いころは馬鹿みたいなことばかりやっているから、歳をとってもその延長でやっていける。

  ただ、単に仲の良かった古い友人に会って話しをしていても、昔話ばかりでつまらないときがある。
 
 だから、今、その人がどのように考え、行動し、生きているのかということも重要なのだと思う。
 
 会話が楽しいというのは、彼自身が充実した人生を歩んでいて、魅力のある人間になったということなのだから。

 私の考えていることをぶつけてみる。
 
 そうすると同じように考えていることもあるし、意表をついたことを言うこともある。 
 自分の意見と違った場合、なるほどそういう考えもあるのかと思うのか、こいつぜんぜん分かっていないなあと思うのか、その差はその人間に対する信頼なのだろう。

 
 借り物でないその人自身で考え抜いたその答えは、自分の意見と違っていても、力があるし納得させられる。
 
 経験を通した独自の考え方を個性というのだし、それはその人が自分の人生を生き抜いた結果、生まれたものである。

 ずーっと夜遅くまでしゃべりっぱなしで楽しかった。
 
 そういう時間はなかなか持てるものではない。

 ありがとう。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする