TV番組で、イタリア人に天才バカボンとタッチと何か三つくらいアニメを見せてどれが好きかアンケートとる企画をしていた。天才バカボンが好きだという人が多数だった。イタリア人があのナンセンスな話を好きだというのでびっくりした。
このことが頭にあり、図書館で赤塚不二夫の対談集を借りてしまった。タモリ、談志、たけし、松本のすごいメンバーと対談している。赤塚不二夫のユーモアは、大物芸人に大きな影響を与えている。
皆それぞれに面白いのだが、松本人志との対談ですこし考えさせられることがあったので、それについて語ろうと思う。
まっちゃんのお父さんが落語好きで、小学校一年生くらいの頃から、落語に連れて行かれるようになったということだった。
その影響でコントの構成をする場合でも、内容がしっかりしていないと嫌だという。
彼はガキの使いでもへんな葉書についてアドリブで切り返す。また、ドラマもアドリブの部分がなければやらないと言ってた。そういう人にしては、意外な発言だった。
しかし、よく考えてみるとアドリブとは即興で筋立てを作ることで、頭にたくさんのストーリーがないと、簡単にはできない。
松本人志の笑い基本は落語のストーリーにあったのだろう。
落語のストーリーは、文脈をずらすことで構成されている。そのズレから笑いが生まれる。
ナンセンスは、ズレというより、少し強く、どちらかというと文脈破壊である。
きちんと定義すれば、ナンセンスは、話しの流れや論理性を無視してそれを壊すことをいう。
ギャグも、一応、ナンセンスの一種で、話しや行為の最中に挿入する滑稽な言葉や仕草をいう。
文脈を壊すという意味ではギャグとナンセンスは似ている。ただ、ギャグは文脈を無視した破壊である。ナンセンスはその辺はきちんと計算されている。
ただ、ギャグは、くりかえしによる効果のほうがおおきい。人はくだらないことをくりかえされるとつい笑ってしまう。
ギャグだけに頼っていると、物語がつくれなくなる。だから、一発ギャグで消えいく。
やはり、笑いの基本も、物語の文脈を意識することなのである。
それを、いいタイミングで、ずらしたり壊したりするわけだから、普通のストーリーテラーよりも高度なことをしているといえる。
前に話したことがあるが、人は文脈に心を委ね依存してしまう特徴がある。
笑いは、文脈をずらしたり破壊したりして発生するのだから、人を笑わせたり出来る人は他人の文脈に依存しないだけの精神力がある。
笑いは、いろんな効用がある。