先週の金曜日から降り始めた雨は、ちょうど今日でまるまる一週間降りっぱなし、、。
いい加減晴れてくれないかと思う。
だいたい一年で今の時期しか雨が降らないので、ほとんどの人たちは雨の日の車の運転に慣れていない。 もっとも教習場で免許を取るシステムじゃないので、ほぼ全員適当に運転をし始める、、 雨の日の運転なんて習ったことも、実際の経験もないのだから怖いことこの上もない。 そして結構の人が保険に入っていないとも聞く、、。
おとなしくしているしかない、 出かけないといけないとき意外はステイホームというわけだ。
今日は映画の話、、デジタル放送で日本の映画を見た。<My Korean>というタイトルだった。 内容は 日本にいるコリアンの少年がぐれて喧嘩に明け暮れる毎日、 子供時代からの差別などから、持って行きようのない怒りが爆発する、、、
でも徐々にそういった毎日に疑問を感じ始め、また、同じような境遇でもがんばって前向きに進んでいく人たちの姿を見たりしていくうちに、己の境遇を受け入れ、前に進んでいくようになる。
とまあ、ざっとこういうストーリーなんだけど、もちろん 映画のストーリーを細かく書くほど野暮じゃないので、本当に大雑把なあらすじのまた、さわりだけ、、。
映画のなかで3対3の少年通しの喧嘩になり 相手の少年たちがコリアンと判明、、自分もコリアンだよ、と仲直りを提案するも逆に相手との立ち場の違いを発見することになり、余計に殴られちゃったりする、、
つまり主人公の少年は韓国人で相手の少年たちは朝鮮人だったのだ。(南と北の違い)
考えてみると世界中でひとつの民族が2つの国家に無理やりに分かれさせられて(国民サイドから見れば、、)それなりにがんばって発展してきたが、いまだに民族の統一はなく、
むしろその政治体制のあからさまな違いからお互いを憎しみ、また、目の前の敵と教育され、何かあれば殺しあうような状況に毎日置かれているという事実、、非常に可哀想な民族と思った。
歴史を振り返ればもちろんそうなったいきさつは皆さんの知っている通りだし、いずれかのサイドに立てば悪いのは相手、となるのかもしれない。
しかし、一般の人々のことを考えると、やはり非常に複雑な思いがする。 終戦後(WW2)祖国韓国や朝鮮にも溶け込めず(帰らず)また、もちろんその日から日本人になれるわけでもなく、、自分の属する国、もっというとアイデンテイテイすら確立しにくい人たちがいたわけだ。 こういう人たちのことを三国人といったらしい。
この言葉は昔聞いた覚えがあるし、あまりよい響きを感じなかったし、また、今、こうやって書いて、はたして良いものなのか、いけないこと、慎んだほうがいいことなのかもはっきりとしない。(もし、差しさわりがあるようだったら、この部分は消すけど、、)
この映画は単純に日本での在日朝鮮人を差別してはいけない、というようなストーリーではなく(もちろん何人でも差別はいけないよね、、アメリカにいて日本人、アジア人として差別されるとよくわかる、、そうか日本人って、アジア人って差別されるんだあ、、ってね)
もしかしたら普通の日本人の少年でもほんのちょっとした事からぐれてしまう、世を恨み、人を恨み、斜めからしか物事を見れなくなってしまう、、そういう状況に陥ってしまうような要因がごろごろと転がっているような現代社会なんだな、と改めて思わせられる映画であった、、ということなんですね。
よい映画だった、、。
今日はちょっとへヴィーな話題だったかも、、でもすべてハッピーエンドが用意されていると信じればへヴィーな話も経ヴィーじゃなくなる、、かも知れない。
Happy Weekend!
晴れてくれええ、、、、
いい加減晴れてくれないかと思う。
だいたい一年で今の時期しか雨が降らないので、ほとんどの人たちは雨の日の車の運転に慣れていない。 もっとも教習場で免許を取るシステムじゃないので、ほぼ全員適当に運転をし始める、、 雨の日の運転なんて習ったことも、実際の経験もないのだから怖いことこの上もない。 そして結構の人が保険に入っていないとも聞く、、。
おとなしくしているしかない、 出かけないといけないとき意外はステイホームというわけだ。
今日は映画の話、、デジタル放送で日本の映画を見た。<My Korean>というタイトルだった。 内容は 日本にいるコリアンの少年がぐれて喧嘩に明け暮れる毎日、 子供時代からの差別などから、持って行きようのない怒りが爆発する、、、
でも徐々にそういった毎日に疑問を感じ始め、また、同じような境遇でもがんばって前向きに進んでいく人たちの姿を見たりしていくうちに、己の境遇を受け入れ、前に進んでいくようになる。
とまあ、ざっとこういうストーリーなんだけど、もちろん 映画のストーリーを細かく書くほど野暮じゃないので、本当に大雑把なあらすじのまた、さわりだけ、、。
映画のなかで3対3の少年通しの喧嘩になり 相手の少年たちがコリアンと判明、、自分もコリアンだよ、と仲直りを提案するも逆に相手との立ち場の違いを発見することになり、余計に殴られちゃったりする、、
つまり主人公の少年は韓国人で相手の少年たちは朝鮮人だったのだ。(南と北の違い)
考えてみると世界中でひとつの民族が2つの国家に無理やりに分かれさせられて(国民サイドから見れば、、)それなりにがんばって発展してきたが、いまだに民族の統一はなく、
むしろその政治体制のあからさまな違いからお互いを憎しみ、また、目の前の敵と教育され、何かあれば殺しあうような状況に毎日置かれているという事実、、非常に可哀想な民族と思った。
歴史を振り返ればもちろんそうなったいきさつは皆さんの知っている通りだし、いずれかのサイドに立てば悪いのは相手、となるのかもしれない。
しかし、一般の人々のことを考えると、やはり非常に複雑な思いがする。 終戦後(WW2)祖国韓国や朝鮮にも溶け込めず(帰らず)また、もちろんその日から日本人になれるわけでもなく、、自分の属する国、もっというとアイデンテイテイすら確立しにくい人たちがいたわけだ。 こういう人たちのことを三国人といったらしい。
この言葉は昔聞いた覚えがあるし、あまりよい響きを感じなかったし、また、今、こうやって書いて、はたして良いものなのか、いけないこと、慎んだほうがいいことなのかもはっきりとしない。(もし、差しさわりがあるようだったら、この部分は消すけど、、)
この映画は単純に日本での在日朝鮮人を差別してはいけない、というようなストーリーではなく(もちろん何人でも差別はいけないよね、、アメリカにいて日本人、アジア人として差別されるとよくわかる、、そうか日本人って、アジア人って差別されるんだあ、、ってね)
もしかしたら普通の日本人の少年でもほんのちょっとした事からぐれてしまう、世を恨み、人を恨み、斜めからしか物事を見れなくなってしまう、、そういう状況に陥ってしまうような要因がごろごろと転がっているような現代社会なんだな、と改めて思わせられる映画であった、、ということなんですね。
よい映画だった、、。
今日はちょっとへヴィーな話題だったかも、、でもすべてハッピーエンドが用意されていると信じればへヴィーな話も経ヴィーじゃなくなる、、かも知れない。
Happy Weekend!
晴れてくれええ、、、、