ノーキーエドワーズ 1965年 日本に大エレキブームを巻き起こした The Venturesのリードギタ-リストで多くの日本の少年がこの年にギターを弾き始めたと思う。あるいはバンドを始めたと思う。
自分の出来事として1965年当時を少し振り返ってみると 前年の東京オリンピックで元来のアスリート魂に目覚めた僕は小学生のときから得意だった水泳をやるか、合法的にプロレスにちかいものができる柔道をやるか、迷った挙句入った水泳部での特訓に明け暮れていた。
告白すると水泳に没頭した理由が非常に不純というかゆがんでいて、オリンピックの年、学校から帰ると即効小田急線に乗り参宮橋で下車、徒歩2分でたどり着くオリンピック選手村に行っていた。 毎日、、 そこで生まれて初めて大量に綺麗な西洋人のおねいさんを見た、、。
目的はアメリカの女子水泳選手キャシーエリスに会うためだった、、 100mバタフライで3位に入った当時16歳の彼女、、それはそれはもうめっちゃくちゃかわいくて、(左から二人目)、、片思いは募っていった、、 そうだ、僕がオリンピック選手になれば彼女と会える、次のメキシコには彼女は20才だから出てくるだろう、、じゃ、僕がメキシコに行けばいいんだ、、 なんという発想だろうか、、 しかし コケの一年岩をも通す、、のごとく 恋する12歳の思いは強烈でどんどんタイムが上がっていった 100m自由形を選んだ、、 タイムはちじまりまくった、、 (ここでネット時代の凄さを体験、、今、当時の写真がゲットできた、果たして僕の初恋の人はどういう顔をしていたのだろうか? 以外に え? 見たいな時もあるのだが、、はたして驚いたことにトム クルーズと一緒になり分かれたケイトホームズのようなどちらかというとタヌキ顔のチャーミングな子だった。 笑)左から2番目Kathy Ellis キャシーエリス16歳),, センターはこの年のチャンピオン シャロン スタウダー(15歳)
1964年の冬、当時の中学の水泳部では実際に泳げるのは9月いっぱい、それ以外の年間のほとんどはつまらない筋トレや走りこみのようなことをやるだけだったので、水泳部の有志何人かは毎週東京都体育館の温水プールに行っていた。 メキシコでキャシーエリスに会うためだ、、。
しばらくして、泳ぎながらも聞こえてくるダイナミックでビートぎんぎんなグルーヴィーな音楽にすぐ僕は魅了され始めていた。なんと水泳にあった音楽だろう、その時はそれがヴェンチャーズのダイヤモンドヘッドが入っているコンパクト盤が繰り返しかかっていたことなんてまるで知る由も無かった。、同じ時期に家には姉によりBeatlesのコンパクト盤がもちこまれ、毎日 あ、きゃんはいー あっきゃんはいー♪とレコードプレイヤーからの音が家中にこだましていた。といっても狭い部屋なわけだったが、、笑。
正直 小学生のころから聞いていた、正確に言うと家で鳴っていた、かかっていた、が近いけど、、のレイチャールズ、ナットキングコール、ジーンビンセント、アートブレイキー、セロニアスモンク、アダモ、リトルリチャード、ラムゼイルイス、ポールデスモンド、ボビーソロ、カスケーズなどに比べてすこし子供っぽい(と子供が言うのも変だが)感じがそのビートルズサウンドからしていた。 今で言うならきっと黒っぽさが希薄だったのかもしれない。 まあ、カスケーズが黒いかどうかはおいておいて、、
当時姉貴の手により数々の音楽が家に持ち込まれていた。 そう、姉はみゆき族だったのだ。ダンモを聞いて喫茶店に入るのがもっともヒップな若者の姿だったと記憶する。
当時レコードは子供が買うにはとても高価なもので自分で初めて買ったレコードは小学6年のお正月のお年玉で買ったシルビーバルタンのアイドルを探せ、だった。 単純にシルビーバルタンがかっこよかったのだ、またまた恋しちゃったのかもしれない。笑。
ともかく あの東京都体育館でのダイヤモンドヘッドのかっこよさは一発で水泳少年にメキシコオリンピックをあきらめさせるに十分だったわけだった。
その後もいろいろあってもっとストーリーは面白くなっていくのだが、、それはまた次の機会に書くとして、そのきっかけになったダイナミック ベンチャーズのノーキーエドワーズさんに昨日会ったわけです。 FBのほうにも多少書いたのでバッテイングしないように書くと 日曜日はフリーウエイもすいている、、しかし 氏を中心に夕飯の宴が開催されているのは僕の住むあたりから決して近いとは言えない。 よくライブに行くサンタクラリタという北の町だ。
かっとんで30分くらいで着いた。 まあ、140kmくらいで走ったのかもしれない。 1985年に寺内さんとノーキーさんとのレコーデイングの際、縁あってかかわっていたのだけど、そのとき以来、といってもそのときはゆっくり話はできなかった。 昨日はこれまで聞いてみたかった話ができた。
ノーキーさんもギターの話を沢山してくれて ここですべては書けないけど、以前日本で自分がツアー中に出会ったノーキーさんが使った後のTwin Reverb、セッテイングがそのまま書いてあって驚いたセッテイングだった。そのことからTWINを使いこなすこつ、またいかにワーミーバー(ノーキーさんはワーミーバーと当たり間の事ながら言いますよ!!!皆さん) が不安定なものかそしてそれを調整する最大のコツ、、などなど、、
ちなみに氏はフロイトローズは好みではないという話も聞け内心嬉しかった。 あれは最後の手段、、というかプレイヤーの美的センスの問題なので音楽以前の好みにたどり着くのかもしれない。
何度も握手したけど、驚いたことにあの体格(多分昔は188cmくらいはあったと思われる現在は縮んだとおも割れるので183,4cmくらいか?)から想像していたフリッツフォンエリック級の手のでかさ、ごつさとはまったく逆の すらっとしたやさしい手をしていて それほど大きいとは感じなかった。
なんか 中学生にもどってしまった昨日だった、、またの再会を期待して、いただいたCDを聞かせていただこう。