アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

山地酪農の見学をしました。

2020-11-05 17:58:40 | 小さな旅
  ずっと前「美味しんぼ」で山地酪農という酪農法を知って、感動したことがあります。山地酪農とは簡単に言うと、整備されていない山に牛を放ち、笹や下草を食べさせることで、牛は自然の生活を営むことができ、山は健康状態に帰ることができるという酪農法です。
 
  岩手にある中洞牧場が、この山地酪農を実践している先駆的な牧場です。
 
  このあたりの、間伐の行き届いていない荒れた森も、この酪農法で新しい価値を生み出すことができるのではないかと、ずっと思っていました。だれか、そういう人が現れないかな、とひそかに登場を願っていました。
   そうしたら、いました!
 
   この夏あたらしく知り合った、隣村の長野県根羽村の人たちから、根羽に数年前に移住した酪農家が山地酪農を実践していると聞いたのです。
 
   先日やっと念願かなって、友人たちと一緒に根羽村の農場、ハッピーマウンテンを訪ねることができました。
 
   農場主は、幸山明良さん。ハッピ-マウンテンは、「幸(福な)山」さんのお名前から命名なさいました。農場のふもとで彼と落ち合い、案内していただきました。
   子供たちを集めて自然観察ツアーなども企画している彼から、最初に教わったのはムラサキシキブ。うちにもある木なのですが、この木の実が意外においしい。食べたのは初めてです。
   彼が菌打ちしたなめ茸を収穫。ぷりぷりでぬるぬる。
   道端で見つけたベニバナボロギク。自然状態で見るのははじめてです。この草、雑草料理研究家の前田純さんの草の会で何度かお菓子や料理に使いました。味のあるおいしい草です。
   稲武から行った5人以外は、根羽村と隣の浪合村の方たち。彼らは、Covid-19感染拡大防止のための自粛期間中、毎日のようにこの山にやってきて、牛と親しんだり植物を観察したり木切れや土で遊んだりしたそうです。彼らのおかあさんは、「ほんとにここがあってありがたいことでした。毎日が校外学習でした」と話していました。
 
 こちらは、農場に入ったすぐのあたり。信州大学の学生たちが取り付けた装置があります。
   
     「このあたりは、最初に一頭を放った場所です。当時は笹の原。牛は一年でほぼ食べつくし、植物の生態が変りました。放牧による土に対する圧力も加わって、今はパイオニア植物であるタラやキイチゴ、タケニグサなどが生えています。装置は、豊かな山とは何か、ということをさまざな角度から調べるために取り付けました」
   こちらは、土砂崩れでできた沢に置かれた装置。水量や濁りの度合いを調べているのだそうです。
   地層が3つに分かれている場所を幸山さんが見せてくれました。一番上は腐葉土。その下が黒土。そしてその下は粘土層。粘土層には水は浸透しないので、黒土と粘土の間には、パイプと呼ばれる穴が開いています。木々が育つには黒土が必要なのですが、一年の間に作られる黒土はたった1mm。この場所の黒土は40センチほどあるので、作られるのに400年かかったことになります。気が遠くなるほどの長い年月をかけて、この緑の山ができているのだな、と改めて実感しました。   
   この山の80%の植物は牛の飼料になるものだそうで、幸山さんが支払う餌代はゼロ。ヨーロッパでの酪農はいまも放牧が主流だそうですが、冬になると牛舎に入れざるを得ず、冬場の餌代は必要です。でもここでは、冬でも茂っている笹が豊富にあります。だから年間を通して餌代は不要なのです。
 
   単に餌代だけの問題では、もちろんありません。
   「今は、子供たちを自由に遊ばせておける山というものがなくなりました。根羽村の70%は人工林ですが、うっそうとしていて、下草は伸び放題。気軽に山には入れません。そこに牛を放つことで、山の管理を助けてもらっているのです」
 
   牛は山の保全と食糧生産の二つの柱を担う重要な役割をしているというわけです。彼の農場の広さは12町歩。牛は1頭当たり1町歩あると、食糧自給ができるそうです。
   山というよりなだらか丘の続くこの場所。3年前に幸山さんが来たときは、杉、ヒノキ、カラマツとあとは笹ばかりの人工林でした。それをほぼ一年かかって仲間とともに木を伐り出し、道を作りました。
 
   あちこちに落ちている黒い塊はうんこでした。それと知らず踏んでいましたが、驚いたことに新しいうんこも臭くない。うんこにだけ生えるというキノコを発見。このキノコはワライタケという毒キノコ。名前だけ聞いていましたが、こんなところで目にすることができるとは!  
   肛門内部の壁の襞がそのまま残ったうんこ。牛の糞と言えばべちゃっとしていて臭い、と思っていました。
 
   あれは、下痢便なのだそうです。幸山さんによれば、一般の酪農法で飼われている牛のうんこには、栄養を摂らせるために与えたトウモロコシや麦の粒がそのままの形で便に交じっているそう。高いお金を出して買った飼料の効果が出ていないということです。もったいない。
 
   狭い牛舎で無理な飼い方をされ、目の前にある食べ物だけを食べるよう無理強いされているせいで、あんなうんこになるのでしょう。運動不足もあるし、ストレスもすごいとおもいます。
 
   このうんこを拾って畑に漉き込んだら、いい肥料になりそうです。
 
  「牛は食物繊維をものすごく分解します。胃袋の中にある菌の量がすごい数なのです。そして、その胃袋で炭水化物とたんぱく質を合成する能力もすごい。実の形がそのまま出てくるというのは、胃の中の菌が少ないから分解されていないということです。栄養も摂取できていない」
   牛と幸山さん。彼は自分を酪農家とは言わない、とおっしゃっています。「あえていうなら牛使い」と。ここで出会った牛はみんなおだやかで、幸山さんに教わったやり方で体をなでると、気持ちよさそうにじっとしています。もちろん幸山さんは牛にとっては別格のようで、飼い主を信頼している犬のように彼の周りにたむろします。
 
   一般の酪農家は、牛の角を切るのは当たり前。鹿の角と違って、牛の角は血管が通っているそうなので、切られるときはものすごく痛いはず。それにあるべきものがない、というのは彼らにとっては不自由をかこつことになりそう。
 
   そのうえ日本の酪農家は、牛のしっぽまで切るのだそうです。搾乳の際に邪魔だからという理由で。この牧場にいる牛は幸せ。山も牛も幸せです。だからハッピーマウンテンなのだなと実感しました。
   農場の頂上には東屋が作られていて、おおきないろりが掘られています。幸山さんのフェイスブックには、彼が焚火をすると牛たちが続々集まってくる動画がのせられています。動物が火を怖がる、というのは家畜の場合あたらないのかしら。それともほんとはみんな暖かいのが好き?
   こちらには5頭の牛がいて、雄は一頭だけ。その雄がほかの4頭の雌を妊娠させ、現在彼女たちはみんな妊婦。牛のお産は難産だと聞いていましたが、幸山さんは否定します。たしかに、彼女たちはこのゆったりした生活をいつもどおりしながら、月が満ちたら、うんこと同じように赤ちゃんもすぽっと産み落とすことが出来そう。
   みんな毛並みがきれい。うんこがすぽっと出るから、肛門周りもきれい。人間が洗ってやるとかブラッシングするとかいった世話はたぶんしていないと思います。
   横たわった牛にハグするカウカドリングを一人ずつさせてもらいました。このハグ、ヨーロッパではセラピーに使われているそう。
   牛の呼吸や心臓の音を感じながら、静かに寄りかかるこのセラピー、とてもここちよいものでした。安心感が全身に満ち溢れるような感覚になりました。牛はおとなしくなすがままにさせてくれ、信頼できる保護者の膝や懐に抱かれる、そういう感じなのかな、とおもいました。たぶん包容力に満ちた母親のもとで育った乳幼児は、知らずとこの優しさにいつも包まれているのでしょう。
   この時の感触は、翌日まで続き、なんだかあの時の気持ち良さを逃したくなくて、体中でその心地をなめまわしているような気がしました。
   カラマツの紅葉が美しい頂上付近。幸山さんが、タムシバの木を教えてくれました。クロモジとはまた違った芳香です。いつまでも嗅いでいたくなる香りです。人工林を伐採することで豊かな生態系に戻りつつある山。すがすがしい。
   ふもとの林でみんなでお昼ご飯を食べてその日は解散しましたが、牛のいる山が懐かしく思われて、またすぐにでも訪ねたくなりました。
 
   幸山さんは、子供たちといっしょに山で学ぶツアーなど、さまざまな企画を実施。これからさらにおもしろいことがこの山で実現しそうです。わたしは、あの草だけ食べた牛の乳をおすそわけしてもらえる企画を楽しみに待っています。
 
   
 
   
 
   
  
 
 
   
   
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明智町でヨガとランチ

2020-09-24 21:20:41 | 小さな旅
   毎月2回、稲武でヨガ教室を開いてくださっている横光あゆみさんは、明智町の方。きょうは、彼女の住む明智町に、ヨガ仲間6人と車に同乗して出かけました。

   明智町は大正村のあるところ。昔何度か訪れたことはありますが、大正村以外の場所に行くのははじめて。大正村近辺の電信柱や信号機、なぜか緑色。大正時代がこの色だった?
 
   稲武を出て45分足らずで町の施設に到着。あゆみさんを待って、ヨガの開始です。3週間ぶりのヨガ、気持ちいい。教室に通って久しいのですが、家でなかなか実行しないので体はかたいまま。でも、動かすと、「あ、こんなところ伸ばしたことない」と思える箇所がいっぱいです。

   そして最後のシャバーサナでは、私は必ず寝ます。あゆみさんの話では、温度差が激しいと自律神経が緊張して体調を崩すのだとか。6月以降、長雨と酷暑で体がだいぶ疲れている上に、日較差が大きくて、なんだか体の芯がついて行っていない感じがありました。1時間だけのヨガですが、体がいまどうなっているのか、気づかせてくれる大事な時間です。

   ヨガの後訪れたのは圡田金商店。製麺所です。おいしいうどんをつくっている、というので立ち寄りました。連れの何人かはよく知っていて、「どたきん」と呼んでいました。店の構えを見て、思い出しました。小学生の頃、しばしばお使いに行った製麺所のことを。もう少し間口が狭かったけれど、似ています。昔は、米の裏作で小麦を作っている土地が多かったから、たいていのちょっとした町に製麺所があったのでしょう。こちらのお店は、創業百三十年。いまは、うどん、きしめん、ひやむぎのほか、ラーメンも作っています。特に焼きそばがおいしいというので、全員が購入。訪れた6人の家は、たぶんどちらも今夜のごはんは、焼きそばだったはずです。

   ランチはあゆみさん行きつけのお店、クラシヤ。こちらは前から行ってみたかったカレー屋さんです。全員一致して注文したのは、ルーロー飯と二種のカレー、つまりこの日のメニューのすべてが載ったごはんです。辛さが適度で、ココナッツミルクの味がまろやかな、おいしいカレーでした。ルーロー飯の味もよかった。ご飯には長粒米が混ぜてありました。

   ケーキもおいしいというので、4人で4種のケーキを頼み、無理して4等分していただきました。こういうことができるのうれしい。木の実のタルトが一番好みでした。

   今年に入って、covid-19感染拡大のため自粛が続き、家族以外の誰かとどこかへ出かける、ということがなくなっていました。外食はもしかしたら9か月以上していなかったかもしれません。友人と会って一緒にご飯を食べる、ということはままありましたが、誰かの家か戸外でお弁当を広げるのが普通になっていました。3人以上の人とある程度長い時間、とりとめなくおしゃべりする、というのも久々です。体がほぐれたのと同じように、気持ちもほぐれました。
   
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GONZORE TRAILの森を訪れました。

2020-09-17 10:56:38 | 小さな旅
   足助の過疎の集落に住んでいる知人の藤澤あやさんが、婚家先の持ち山を「GONZORE TRAIL」と名付けて整備し、美しい森に変えつつあります。しばらく前にこの話を聞いてから、ずっと訪れたいとおもっていましたが、昨日やっと願いが叶いました。

   手作りの木の橋を渡ると、杉やヒノキの針葉樹の森が広がっています。針葉樹の森と言っても、かなり間伐してあるので、明るい。木々の向こうには、清流が流れています。

   川のある場所は、森からすぐ。森と川が一体になって、あたりの景観を形作っています。そのせいか、木々の緑を見ながら聞く川の音が、ことのほか心地よく響きます。

   針葉樹のほか、カエデ類などの雑木も。古い木にからみついた太い蔓は、サルナシかもしれないとのこと。1町歩ほどの広い森には、コケや小さな植物、実生の木など、無数に生えています。

   細い木の株を覆った苔。かわいらしい。

   実生のねむの木。こういうのを見て歩いていると時間を忘れそう。

   朴の実。初めてみました。大きさはこんなです。

   もう、枯れていますが、とげとげ。クリのイガのようなものだとか。

   森の端のほうに横たえられた倒木。あやさんの夫君が川から運び出し、この場所にしつらえたのだそうです。揺れるベンチになりました。ここに座ると、森全体が眺められます。

  彼女たちは、今年の冬、この森の整備に着工。小さなお子さんもいっしょにご家族で作業を開始。標高600mにある寒い山の中で、笹竹の駆除にいそしみました。

   「私が住んでいる集落は、6軒ある家のうち、実際に住んでいるのは4軒だけ。子供がいるのはうちだけです。いまはみなさんまだお元気ですが、いつかこの集落が消滅の危機に見舞われることは必至。すばらしい場所なのに、朽ちていくのをただ見ているのはつらい。森の整備を始めた1番の目的と動機は、地域に人の動きを生み出し、地域の存続を目指すきっかけにしたかったからです。この土地の良さをまず知ってもらいたい。良さを感じてもらえる場所を作りたいとおもいました」

    はじめは、自転車が走れるトレイルを作って、人々が訪れる場所にしたいとおもいましたが、整備している間に、自転車のための場所だけにしてはもったいないと思うようになったのだそうです。

    彼女自身が森で過ごす時間が長くなるにしたがって、木々のにおいや風、川の音などが醸し出す心地よさに魅せられたのでしょう。わたしも、この日、数時間いただけで、なんだか胸が開くような気持ちよさを味わいました。

    この夏、彼女たちは、地域の方たちを呼び、山でのご飯会を開きました。過疎化が進むうえに、covid19禍でさらに人が集う場が減ったこのごろ。お年寄りたちはあやさんたちの計らいにとてもお喜びになったそう。この会はまたこの秋、開く予定だそうです。

    こちらは、デザイナーでもあるあやさんが考案したオリジナルTシャツ。鹿の角に山と川が配されています。

    シャツの前部分。木に寄り添うように人が座っているイラストです。書いてある言葉はドイツ語。「Waldeinsamkeit 」の後に地名が続いています。

   あやさんのFBの投稿によれば、「ドイツ語で、「Wald(ヴァルト)森」と「Einsamkeit(アインザムカイト)一人でいること、孤独」を合わせて「森の中に一人でいる気分」という意味です。森で孤独⁉︎‥ちょっと「怖い、寂しい」と思い浮かべがちですが、ドイツ語では、ポジティブな意味で、「自然との繋がりを強く感じて、リラックスしているような瞬間」の事を指します。森の中で、自然と共に在り、自然と一体化して、ゆったり過ごすようなイメージの言葉です。日本語にはない言葉ですが、まさに!私たちが作りたいフィールドを説明できる言葉です。MTBでももちろん遊べて、そして、自然の中で、ただ「自分で在る」ということを、ゆったり心地よく感じられる場所。自分のあるべきエネルギーを受け取り、満たせる場所。そんな場所です。(中略)アーシングや瞑想などのワークも考えています」とのこと。

    私はこの「Waldeinsamkeit 」という言葉に惹かれて、たぶんはじめて、オリジナルTシャツというものを買いました。選んだ色は「ダークフォレスト」。深い森の色です。きのうは、このシャツを着て森に入ったのですが、まさにこのことばどおりの気分を味わいました。

    お昼ご飯には、先週石窯でやいた黒パンを持参。杉の薄板のお皿に並べて木のカウンターに載せると、あまりに様になったので、うれしくなりました。森にはドイツパンがよく似合う。持参したナスのペーストとラフランスのジャム、あやさんの作った春雨と卵のスープ、キノコのアヒージョなどで、おなかも満喫。

    この日の帰り、同行した友人と話していて気がついたのですが、私はこんな山里にいても、木々の間を自由に歩きまわれる森に入ったのは、たぶんはじめて。この近辺には、きららの森や面の木など美しい森がたくさんあるのですが、どちらも、管理された散策路に沿ってしかあるいたことはありません。

    裏山など、その辺の山に分け入ることもありますが、そういうときは、木の株や竹の地下茎に躓かないように気を取られ、気分はなかなか愉快にはなりません。

   そんなことを思うと、自然を損なわないようにしながら、ゆっくり歩きまわることのできる森に変えてくださったあやさんたちのご苦労に、いまさらながら感謝の気持ちでいっぱいになりました。今度は、子供たちがこの森で自由に遊びまわる姿を見たい。倒木や木々は、かくれんぼうに格好の場所になると思います。

   帰る間際、あやさんがバッグから取り出したのは、松の精油。この森の松から採ったものです。松脂臭いかなとちょっとおもいましたが、そんな臭さは全然なくて、いつまでも嗅いでいたくなる芳香でした。この森にあるウスゲクロモジや、スギ、ヒノキなどからも精油を採り、様々な利用法を模索したいとのこと。あやさんの夢は広がります。
   ・・・・・・・ 
*GONZORE TRAIL オリジナルTシャツ 1枚 2800円(税込)
(ロッドにより価格が多少変動する場合があります。)
※このうち500円を環境活動家谷口たかひささん
https://m.facebook.com/chikyuwomamorou/
に寄付いたします。
GONZORE TRAIL のある御内の自然環境をずっと残したい。その為に、待ったなしの地球の状況を救う活動をしている谷口さんに、少しでも協力したい。との思いからです。
Tシャツご希望の方はお気軽にお問い合わせ下さい。(以上は、GONZORE TRAILのFacebookから)
   





 




 
   
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ガキ大将養成講座の拠点さくら村を見学しました。

2020-08-11 14:15:48 | 小さな旅
   先月、豊田市旧旭地区にある、さくら村を見学しました。

   さくら村とは、ガキ大将養成座の拠点となる場所。この講座には前から興味があり、いつかお訪ねしたいと思っていました。

   写真は、さくら村のシンボルツリーである桜の大木を中心に作り続けられている、ツリーハウス。全体がらせん状にできていて、右から左に次第にせりあがっている構造になっています。しかも、この建物にはどこにも直角がありません。側面も屋根もすべて台形のユニットが組み合わさってできています。複雑な形のこの建物、完成時には何人もの人たちが寝泊まりできるというりっぱなものになります。

   驚いたことに、壁板や屋根の板、雨よけシートなど、手作業でできることはすべて、子供たちの手でできているそう。いささか高所恐怖症気味の私は、カメラをもって上がるのがこわくて、屋根が見える場所には何も持たずにおっかなびっくりであがりました。小学生の子どもたちが、この高い場所で、釘を打ったりシートを広げたりといった仕事をこなすとは、すごいことです。

   ガキ大将養成講座を企画、運営なさっているのは、安藤征夫さん。さくら村のある山は、彼の持ち山です。6年前にガキ大将養成講座を立ち上げ、今に至るのですが、年々この講座の人気は沸騰。お訪ねした前夜、今期の講座の告知をしたのだそうですが、募集を始めて1時間後には定員いっぱいとなったとか。人気のほどがうかがえます。

   さくら村にあるのはツリーハウスだけではありません。長い滑り台のほか、わっかにしたロープがいくつもぶら下がっていて、ターザンのようにつるつると移動できるものや、グラグラ揺れる木切れの上をロープに伝わりながら先に進むことのできるものなど、活発な子供なら、見るだけでわくわくするような遊具がいくつもあります。

   ピザ窯も、バーベキューのできる場もあります。遊具もほかの設備も、すべてみんなほとんど子どもたちの手でつくりました。最近できたばかりという休憩所の小屋は、土壁づくり。さくら村にある赤土を掘ってきて刻んだわらと混ぜ、ひと月寝かせてできた壁土で塗り固められています。小屋の前には、ピンクのドアが。どこでもドアだそうです。

   「ガキ大将養成講座はプレイパークなどとは違って、遊びが目的ではありません。あくまで学びの場。ちゃんと生きることのできる子供たちを養成するための講座です」と安藤さん。ひとつの遊具や構造物を作るのに、子供たちは企画を出し合って計画を練る。そして手分けして作業が始まる。うまく行かないことがあればそこで立ち止まる。反省する。仲間の意見、大人のアドバイスを聞く。そしてまた作業を進める。これらの繰り返しが彼らを成長させるのでしょう。安藤さんのフェイスブックには、働いている子供たちの笑顔が溢れています。たくましくすがすがしい笑顔。惹き付けられます。 

    「私たちは、まず、道具の使い方をおしえます。どうやったら効率よく使え、どう仕損じたらどんな危険なことになるのかについて、みっちり伝えます。あとは、子供たちが質問してきたとき、ちょっとしたアイデアを伝えるくらい。最初はなかなか仲間に入れない子もいますが、いつのまにかお互い相談しながら何かを作り始めています」
 
   ピザを食べたいからピザ窯を、ターザンごっこをしたいからその道具を、それぞれいちから作る。こどもたちにとって、おそらくこれまでにしたことのない体験の連続だろうと思われます。

   働く目標が明瞭なので、頑張ろうという気になる。友達とのやり取りをしないと先に進まない。ときには危険を伴うので、勝手にだまって知らん顔しているわけにはいかない。だから、コミュニケーション能力は自然に身についてくるのだとおもいます。働くことは楽しく、人とかかわることはおもしろい。そういう気持ちが知らず知らずのうちにはぐくまれるのではないかと思えました。

   「仲間に入れなかった子供が、平気でみんなと行動するようになっています。不登校だった子が登校するようになったこともあります」と安藤さん。小学生の頃、通知表にしばしば私は、「協調性がない」と書かれました。とりわけ孤立していたわけではないし、教師に反抗的であったわけでもないのですが、今思えば、コミュニケーションの仕方が下手だったから、教師にはそう見えたのだろうと思われます。ガキ大将養成講座のような場所にいたら、たぶん自然に身につくことがらのひとつが、学校では育たなかったということなのでしょう。

   宙づりのトンネルの中にいるのが安藤さんです。うれしそう。彼がそもそもガキ大将だったから、こんなこころみを思いついたのだな、と納得できる写真です。
  
    彼らの親御さんたちも、作業には一緒に参加。その親御さんたちが遊べる場所も、この近くに作りました。そこには広いデッキが作られていて、見晴らしがとてもいい。キャンプできる場所ももちろんあるし、大きな焚火を囲める場所も作られています。こちらもすべて子供たちと親御さんたちの工夫と作業で生まれました。

    ガキ大将養成講座では、「生きる力」を養うために、ほかにもいろいろな活動を行っています。

    そのなかのひとつは、「小遣い稼ぎ」。昨冬は、さくら村で伐採した木々を薪にする作業を子どもたちが実施。束にして販売したそうです。彼らの時間給は500円。子どもにしては大金です。

    今年は開催中止でしたが、旭地区の福蔵寺で毎年三回開いている福蔵寺ご縁市では、ガキ大将養成講座の子供たちが、地元特産の自然薯やかけそばの販売にいそしんでいます。いつも近くで出店しながら、彼らの威勢のよさ、元気さに感心していました。最初からそういう子たちばかりが集まったとはかぎらず、元気な子どもに育っていったのだな、といま、思い返しています。

    そのほか、登山やシャワークライミング、農作業などなど、盛りだくさんの講座が用意されています。いずれも安藤さんの考える「生きる力を培うための養成講座」。そのプログラムの一つに、今年は、草木染め体験が加わりました。その講師としてお呼びいただき、この日下見を兼ねて伺ったしだいです。

    秋の終わりころの開催となるので、クリにしようか、あるいはさくら村で育っているほかの木々の枝葉をつかおうか、ただいま思案中です。養成講座に集う子どもたちと一緒に一日作業できるのが、今からとても楽しみです。

*当日撮った写真を収めたカードが壊れて使えなくなったため、本ブログにつかった写真はすべて、安藤さんと当日スタッフとして同席してくださった野中佳美さんにお借りした写真です。



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名倉の碁盤石山にのぼりました。

2019-08-30 16:03:14 | 小さな旅
   8月もあしたで終わり。ずっと暑くてしんどかったはずなのに、終わってしまうと思うと、何だかさびしい。

さて、8月の初旬に友人たちと歩いた、名倉の碁盤石山。上りも下りも、まあまあ楽なコースで、楽しく歩けました。一月近くたちましたが、報告します。

   この山は、面の木とつながっている森で、林道をしばらく走ると数台置ける駐車場があります。そこで車を降り、低い笹をかき分けながらしばらく行くと、天然のブナ林が見えてきます。

   写真、中央のブナが「おかあさん」だそう。この木がもとになって、周辺の木々が生まれたのだそうです。同行した木の専門家の友人が教えてくれました。

   こういう木があちこちにあって、そのまわりにブナ林がちらほら。母木が縦横に伸びているのは、彼女?が育った時には、周りに遮るものが何もなかったから。子供たちは兄弟が多いため勝手な生長はできなくて、日差しを求めて上に伸びるしかなかった、ということなのだそうです。

   上る途中、ところどころにある巨石が目立ちます。巨石の中から生えたように育った木。

   よく見ると、石の向こう側から生えていました。

   中腹から見た設楽新城方面。「富士見岩」というのもあったのですが、写真を撮りそびれました。もちろん、富士山は見えず。

   碁盤石山の由来となった場所(らしい)。名前の由来には諸説あるらしいのですが、一説には、天狗がだれかと(天狗同士?)碁をさしていてケンカになり、怒って碁盤をひっくり返し、そのひっくり返された碁盤が、この山だといわれているそう。で、散らばった碁石がこの山全体に散在する巨石だとか。とくに頂上に至るちょうど真ん中あたりにある公園となっている場所には、巨石が多い。

   どうやらこちらも、山伏の修行場所だったらしい。稲武の城ケ山にも山伏の行者にまつわる跡があります。全国の山々、どこも山伏の修行場所だったのかしら。多いなあ。

   蓮華つつじ。草ではなくて木だそう。毒性植物だとのことです。

   シカが皮をはいだ跡。赤くなっているのは、人間が薬でもぬって修復させたのかと思いましたが、そうではなくて自然治癒の跡だそう。かさぶたみたいなものかな。

   登山口から時折見かけた馬酔木。このあたり、馬酔木ばかりの森になっていました。馬酔木は成長が遅くてちょっとしたした木でも樹齢100年200年は経っているそうです。その木々が奇妙な形に枝を伸ばしてゆく手に続いています。葉が生い茂っているわけではないのに、暗くて何か出てきそう。童話に出てくる魔女の館に至る道みたい。ちなみに馬酔木は文字通り毒のある木なので、そう思うと一層、気味が悪くなります。でも、3月の、馬酔木の花の咲くころに来たら、ずいぶん美しいだろうなと思います。

   馬酔木の小道を抜けたところにあった大木の馬酔木。木の根元には、ベラドンナ~トリカブトが繁茂していました。毒+毒。まだ花は咲いていませんでしたが、こちらも紫色の美しい花が咲くので、いつかその時期に見てみたい。

   頂上は特に眺めがいいわけではなく、ちょっとだけ休んで同じ道を戻りました。行きに見そびれた巨石。これは碁石っぽいといえなくもありません。

   青い実のかわいい木。名前を教えてもらったのに、すっかり忘れました。

   ゆっくり歩いて休みもたっぷりとって、ほぼ往復2時間ちょっと。設楽町の作った地図には、「家族向けのらくらくハイキングコース」だったかの言葉が記されている山。ほんとに気軽に行けました。といっても、娘ほどの年齢差のある友人たちの脚についていくのは、結構大変でしたが。

   標高700m近くの名倉でもかなり暑い日でしたが、山の中は長袖を着ていても暑すぎることなく、さわやかな風を感じることができました。でも、下山して、昼食のため立ち寄った稲武のヒトトキの駐車場に降り立った途端、蒸し暑さにげんなり。

   久々のヒトトキのご飯は、ゴマ味噌の冷や汁がメインの献立でした。安心して食べられるお店が、こんな山里にあることがありがたい。食後のデザートにはコーヒーフロートを選びました。添えられたストローは本物の麦わら。固くてしっかりしていました。
 
   歩くことにも登山にも縁のなかった私ですが、昨年から時たま、気の合った人たちとの自然観察を兼ねた山歩きを続けていて、結構楽しみになっています。次回は松平の六所山へ。碁盤石山よりかなり行程が長いそうなので、ついていけるかいささか心配。今回同様、次回も、五本指の靴~ビブラム・ファイブフィンガーズにお世話になるつもりです。

   
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乳岩峡と奥三河蒸留所に行ってきました。

2019-07-09 09:30:25 | 小さな旅
   先日、ときどき一緒に山歩きする友人たちと一緒に、新城市の乳岩峡に行ってきました。

   子供のころ住んでいた土地の近くにあるミニ観光地だったこともあって、家族か学校の遠足で訪れたこともあったように記憶していたため、気軽な気持ちで行くことに決めたのですが、前夜遅く、はじめて乳岩峡に行った人のブログを読んで、軽い気分で山歩きできる場所ではないと知り、急に怖くなりました。

   長い距離ではないので、私一人ふもとで待っていてもいいなと思って、リュックに本をつめて出発しました。

   当日朝まで雨。途中まだときどきぽつぽつと降りはしましたが、駐車場につく頃にはすっかり上がっていました。乳岩峡は国の天然記念物だそうで、あたり一帯が凝灰岩でできた岩山。川底も岩なので、水がとてもきれい。最初に遭遇したモリアオガエルの卵。大きい! そばには、小さなオタマジャクシがたくさん泳いでいました。

   峡谷に入るなり、景色の美しさにうっとり。岩ばかりの道ですが、意外と滑りません。

   大きな流木が2本。アングルが悪いのですが、もう少し遠くから見ると、外国で撮ったCMフィルムにでも出てきそうな光景です。

   巨岩だらけ。

   石の成分のせいか光の加減か、水が緑色に見えるところがあって、それがとても美しい。

   湿気が多いせいか、苔とシダが目立ちます。

   橋の上から。中央の石は、周りを巡る水でどんどん削られ、この形になったらしい。真ん中のくぼみも水の仕業なのでしょうが、手水鉢に見えます。

   人間でいえば良性腫瘍ができた木。同行した友人の木の専門家が教えてくれました。

   いよいよ難所に。結構すたすた来れてしまったので、昨夜沸き起こった恐怖をしばらく忘れていましたが、これがブログに「おちたら死ぬ」とあった、怖い場所のはじまりです。写真は横になっています。縦にする方法がわからないので、このまま載せますが、最初の階段からかなりの急角度。でも、まだまだこれは序の口です。ここまで来た以上、引き返すのもなんなので、ともかく前に進むことにしました。

   最初はまだ鉄の階段になっていたため、後ろさえ振り向かなければ、なんとか登れました。でも、このあとがすごかった!岩戸岩の間のわずかな隙間にかけられたはしごは、ほぼ直角。友人がニューヨークの高層アパートの非常梯子みたいと評しましたが、ほぼそれです。そういうのが、いくつも角度を変えて続きました。

   足を踏み外すのがこわいので、足元を見ながら上りました。するとどうしてもメガネがずり落ちそうになります。それもまた怖い。それでもなんとか決して後ろを振り返らずに、下と前だけ見てひたすら上りました。

    やっと頂上に。特にいい景色が見られるわけではなく、すぐに下り始めました。崩れそうな道や細い道、歩きづらい個所など相変わらず多々ありましたが、さきほどの難所のことを思えばなんてことはありません。

    しばらくいくと、「通天門」と名付けられた巨石に。門のようにえぐられています。見事な形。

    洞窟をいくつか見ました。修験者の雨宿りの場所だったかも。

    この右奥上には、鍾乳洞が。急な階段を上らないといけなかったので、わたしは手前で待機しました。

    乳岩を一巡してもどった場所。看板の図の左手にはしご模様のある個所が難所。梯子の数はこれだけではなくもっとたくさん。

    もどってきました。行くときは気付かなかったけれど、注意書きの看板には、「転落事故あり」とありました。いまさらながらぞっとしました。身の危険を感じながら進む、という経験をしたのは、もしかしたら初めてかもしれません。すれ違った若い人たちの格好は、ガウチョパンツにサンダルといった女性もいて、びっくり。注意書きを読んでいる人はいないようでした。

    さて、はらぺこのおなかを抱えて向かったのは、奥三河蒸留所。この春開業したアロマの製油所です。こちらは杉やヒノキなど、この土地で採れる精油を蒸留するために建てられたところで、レストランや売店を併設しています。

    奥三河の食材を使ったランチ。ハーブ入りのポトフと五穀米を注文。ごはんの上にふりかけてある赤い粉は、ローズソルトだそうです。暖かいスープと優しい味が身にしみました。

    エルダーフラワーとルバーブのコーディアル。右はソーダ割り、左はホットです。心配していた甘すぎ、ということはなく、薫り高いのみもので、のどもうるおせました。売店にはさまざまなコーディアルも売られていました。最近受講したハーブ講座でコーディアルの作り方を学んだところ。家にある桑とカキドオシで作ろうと思いつつ果たせないでいます。葉が固くならないうちに作ろう。

    食後は、室内用エアスプレーづくりを体験。私が選んだ精油は、スコッチパインとレモンユーカリです。針葉樹の香りにほんの少しレモンの香りが混じった、心地よいスプレーができました。売店では、目薬の木とジュニパーベリー茶を購入。

    蒸留所の横に流れている川は板敷川という名前。その名の通り、川底は全面板のような岩で、藻も飛び出た岩も砂州もありません。岩の上を流れているので、水はとてもきれい。橋の上から見ると、対岸まで歩いて行けそうです。水遊びに最適に見えますが、危ないのかな。

    川のすぐそばを飯田線が走っています。子供のころよく利用した路線です。山間ばかりを走り続ける飯田線。いつかまた乗ってみたい。

    この日一日履き続けたのは、五本指靴。ファイブフィンガーズです。購入してしばらくたつのですが、小指がどうもうまくはいらず、敬遠していましたが、4月に鳳来寺奥の院散策をした時にこの靴を履いて行ったら、難路にしっかり足が吸い付くような感じで歩け、普通の運動靴では無理だったかもしれないと思いました。だから今回も、濡れると嫌だなとは思いましたが、あえてこの靴を選びました。選んでよかった! 急な梯子は、この靴でなかったらもっと怖い思いをしたことでしょう。ありがたいことでした。

    この日、夕飯を食べようとしたら、右手の指がぎこちなくなり、箸が持てなくなりました。たぶん、階段の手すりをしっかり持ちすぎたせいだと思います。ああ、すごい経験したのだな、といまさらながらおもいました。
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「つむぎて」の圃場を見学しました。

2019-06-15 11:07:02 | 小さな旅
    雑草料理研究家の前田純さんが所属している合同会社つむぎて。こちらは主に、耕作放棄地の活用を目指して、さまざまな取り組みをしています。以前から、長久手市にある彼らの圃場を前から見学したいと思っていたのですが、先日やっと実現できました。

   お邪魔した圃場は二つ。一つ目は、当日、市内の福祉施設の職員と入所者が大豆の種まき作業に来ていた場所。遠くに大きな商業施設の見える田園の一角です。圃場周辺に咲き誇っているのは、ニンジンの花。つむぎてのメンバーの一人、さやかさんが大好きな花なのだそうです。

    昨年採取した大豆の種。

    久しぶりにちゃんとした土いじり?をしました。30センチほどの間隔をあけて種をまくのですが、ゆがんだり、間隔が狭くなったりしないようにこんな道具が用意されています。

    一般の農家の方も、こういう道具を使うのでしょうが、彼らの道具は独特。古い糸巻きです。藍染めした糸と布を使っています。

    大豆と小豆のほか、余った場所には藍も植えました。

    こちらの畑から車で10分ほど走ったところに、彼らの多分最も大きな圃場があります。

    「つむぐ草の畑」と書いてあります。看板通り、こちら草の生育場所です。

    山というか丘のふもとにある、原野。でもよくみると、きわめて丁寧に整備されています。写真中央に見える藁の屋根の家が、ずっと見たかった草の家です。

   敷地の周囲に作った水路。はじめは暗渠を掘ったつもりだったのだそうですが、いつの間にか湧水が流れ出し、水路に。こちらには古代米がうえてあります。

   さやかさんのいう「植物の病院」。弱った苗が運ばれ、ここでしばらく育てています。

   「病院」の片隅。ここだけ深く溝が切ってあって、焚火をした後の炭が敷いてあります。

    この圃場で主に育てているのは、セイタカアワダチソウとススキ。必要な雑草を残して不要の草を取り除くという、選択的除草をしてきた結果、このように、みごとに一種類だけの草地ができました。それでも、人間の通る道際の草は生育が悪いそうです。

    森の真ん前にある味噌蔵。竹で作ってあります。1年半前、この地を借りたときは、一面原野。山側は竹がはびこっていました。その竹を伐り、ススキを刈ることから始めた彼ら。伐り倒した竹やススキを利用して、この味噌蔵と、竹の家を作りました。

    竹の組み方や屋根を葺く作業は本職におそわりながら、試行錯誤。竹の柱は、地中に数センチしか埋めていないそうですが、びくともしません。コンクリートで固める代わりに、土と灰を入れて鎮圧しただけなのだそう。後ろ姿はさやかさん。

     かやぶきは、ほんとうは先端を上にしたほうが長持ちするのだそうですが、そういう葺き方はとても難しいのだとか。だから出来上がった屋根は上下さかさまあり、になっています。

     藍の畑。森に近いので、昨年イノシシに全部やられたとか。

     草の家。

     内部です。竹の骨組みを作って、上からススキを葺いたものなのですが、こちらの家は、地面に置いただけ。でも、昨年の2度の台風で、何の損壊もうけなかったそうです。

     別の建物の中に築かれたいろり。いま、石窯も製造中。

     木立の中のハンモック。長久手市は、稲武に比べたら3度から5度は気温が高いとおもうのですが、木陰はとても過ごしやすいそうです。

     最近はめったに見なくなったハハコグサ。選択的除草のおかげで、あちこちに群落ができています。しかも背が高い!

     竹で作ったドームの手前、茶色に枯れている草は、レンゲソウ。一面のレンゲ畑にしたくて、ただいま種ができるまで、草刈りを控えているところだそうです。

     つむぎてのメンバーは4人。野草味噌や野草茶の販売、味噌作り、野草料理、藍染などのワークショップの開催などの精力的に活動しているほか、昨年末からはセイタカアワダチソウの販売も手掛け始めました。セイタカアワダチソウは、アメリカンネイティブの間で聖なる薬草として大事にされている草。無農薬無肥料のこの草を刈り取って乾燥させ、袋詰めは福祉施設に依頼しています。

     まるで「草の苑」とでもいった風情の広い草の畑。ところどころに道や階段が作ってあるので、野原とは大違いなのですが、もともとこの場所にあった草が前よりのびのびと生育できているようで、気持ちのいい光景が広がっています。さやかさんの話では、最初この土地にあったのは、背丈ほどのススキ。刈り取っていくうちに、さまざまな別の種類の草が芽を出し、育ったのだそう。このあたりでもあまり見かけなくなった山帰来の蔓を手にして、さやかさんはうれしそうでした。

     自然をそのまま保護するのではなく、人間にとって有用の植物を生かすために自然を壊さない工夫をする。不要の植物は何とかして使う努力をする。あくまで人間の暮らしに役立つように考えるさやかさんたちの試みは、とても面白く興味深いものです。この夏は、育った藍の葉を塩もみして染め付けるワークショップを開くとか。都合が合えば、ぜひ参加したいとおもいます。
      
      
   
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とよた森林学校自然観察会~森の仕組み探検隊~に参加しました。

2019-02-19 16:21:47 | 小さな旅
    昨秋以来久々に、森林学校の講座に参加しました。第一回めは「天然林と自然林の違い」がテーマ。講師は北岡明彦氏でした。

    森を見る三つのポイントは、地形と地質と気候。「そりゃそうだよな」と思いながら聞いていましたが、説明を聞いて、改めてこのポイントの重大さを知りました。

    例えば愛知県。大きく分けて3つの河川に流域に分類されるのですが、私が住む西三河地方の矢作川流域は、花崗岩地帯。この花崗岩、三つの石によって構成されているのだそうですが、地中にある時はとてもかたく、地表に出るとそれぞれの石の性質が違うため、ボロボロに崩れるのだそう。この花崗岩の風化した土はマサ土と呼ばれ、土砂災害に弱い地層だということです。東海豪雨の折、西三河地方が甚大な被害を被ったのは、ひとつにはこの地質のせいによるものがおおきいとのことです。

   これがマサ土。午後の講座で出かけた、三ツ足(みたち)市有林で見ました。しろっぽいのがそれだそうです。

   この林は、足助町時代、業者に売却されそうになったところを、町の英断で買い取ったもの。その後、合併と同時に豊田市有林となりました。ほんとは、川に近い下のほうの林は、水に強いスギを植えたほうがいいのだそうですが、こちらはヒノキ林になっています。

    今回の講義でもっとも印象に残ったお話は、放置された人工林での雨の害のこと。

    適切に間伐されていれば、人工林には光が入るので、下草が生え、灌木も育ちます。でも、放置された林では、下草は皆無。やせた杉やヒノキがひたすら光を求めて、上方に伸びていきます。すると、上のほうは枝同士がさしかわしているため、常緑の葉がいっせいに雨粒を受け、なかなか下に落ちて行きません。でも、大雨が降ったときは、葉を通り越して幹を伝い、地表に落ちます。そのとき、雨粒は、最初の衝撃の3倍ほどの大きさになって地表を直撃します。それが次々に地面に落ちれば、ただでさえ、水を受ける草や灌木というカバーのないところなので、大きな衝撃になって地面をえぐるのだそうです。

    さらにスギやヒノキは、広葉樹に比べて根が10分の1ほどの深さしかありません。浅木と呼ばれるほどなので、簡単に倒れます。こうして土砂災害は起こるべくして起こるというのです。

    写真中央の白い木は、巻き枯らし間伐という方法を施したもの。普通の間伐は多大な人件費がかかるため最近編み出された方法だそうで、根元から1m~ほどの皮をぐるりとむいて放置しておき、数年後に自ら倒れるのを待つという気の長い方法です。

    倒れた木。確かに根はとても浅い。

    愛知県は、明治時代の地図で見ると、日本三大はげ山の一つに数えられる地帯があり、森林率は低かったそう。はげ山になっている地域は、瀬戸や常滑周辺などの焼き物の産地。陶器を焼くのに使う薪炭材として山の木が大量に切り出され続けたせいだそう。

    いまも、全国平均66%に対して42%と、低めです。でも、人工林率は64%。全国の第4位に位置していると言います。国産材が高く売れないため、間伐する余裕はなく、放置林が目立ちます。稲武は、豊田の中でも特に人工林率が高いのだそう。たしかにちょっと周辺を見渡しただけで、不健康な森になっているのがよくわかります。

    暗い話をいろいろ聞いた後でしたが、久しぶりの森歩きは、楽しかった。蜂や蛇の出現の心配のない冬は、雪さえなかったら気がかりなく楽しめます。こちらは、コウヤボウキ。高野山で昔箒として使っていたものという言い伝えがあるそう。ドライフラワーとして使えそう。

    こちらはサルトリイバラ。猿(を)取る茨となづけられたこの植物、赤い実の付き方がかわいい。

    私が知る限り、もっとも大きなどんぐりの実をつけるアベマキの木の肌。戦争中、コルクの輸入が途絶えたとき、この木の皮でビールの栓を作ったのだそうでで、いまでもアサヒビールのどこかの工場には、アベマキ林が残っているそうです。

    狸の糞。狸は一匹ずつで行動するけれど、一族の安否をある一か所で糞をすることでお互い確かめあう、という習性があるのだとか。はじめてみました。

    きれいにえぐれた川。川底は、すっかり岩盤が見えるところまでえぐれているそう。こうした小さな箇所で、自然は知らないうちにじわじわ変わっているのだなあ、と実感しました。

    
   

    
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奄美・加計呂麻島の旅~補遺

2019-01-29 01:13:11 | 小さな旅
  昨秋旅した奄美・加計呂麻島。シーカヤックとシュノーケリングを楽しませてもらい、島の生活や食べ物のことなど教えてくださった、little lifeの天野宏美さんから、島の海で撮った魚の写真が届きました。私たちが島で実際に目にした魚の写真もありますので、ちょっと紹介します。前にも書きましたが、浜からほんのちょっと沖に出るだけで美しいサンゴ礁が広がり、色も形も面白い魚が泳いでいるのです。いま、改めて写真を見て、あの海の中の光景を思い出すと、ほんとに貴重な場所だな、としみじみ感じます。鍵カッコ内は、宏美さんのコメントです。

  まずはこちら。「サンゴの隙間に見え隠れする赤いお魚、わかりますか〜? たぶん、アカマツカサかな。暗いところを好むので、お目目が大きいのです」

  私が島で見た魚のうち、もっとも美しいと思たのがこのルリスズメダイ。「この子は撮影が難しくて、あまり上手く撮れていませんが、記念に・・・」以外に目がきついのにびっくり。

  「これは泳いでいてもちょろちょろ見られたニジハギくん。この子もすばしっこいので撮影が難しいのですが、ちょっと上手く撮れたので。うふ」

   「サンゴ礁の上を悠々と泳ぐは、ノコギリダイです。尾の付け根の黄色い点が綺麗です。」

    「黄色いけれど、アカヒメジ」

  「尻尾が白くて群れているのがアマミスズメダイです。
鮮やかな黄色い体に白い顔、黒い斑点があるのがヒフキアイゴ。」

   「おまけのアオウミガメちゃん今回は会えませんでしたが、こうやってサンゴ岩の下でお昼寝したりしています。可愛いですね〜」

    宏美さんのコメントからは、海の生き物をいとおしく思う気持ちが伝わってきます。little lifeのHPには、さまざまの海の生き物や波、木々、空、浜辺などを撮った写真が載っています。彼女のfacebook にも、朝焼けの浜、夕暮れの空、波のしぶき、釣りたての魚の写真が。いつもうっとりして眺めています。

    加計呂麻島の属する瀬戸内町は、奄美本島の最南端を含む町。その瀬戸内町の本島側の西の浜に、5000人が乗れる大型クルーズ船の発着のできる港を作る計画が、進んでいます。中国人の観光客を当て込んでの計画らしいのですが、もし計画が実現してたくさんの人たちが押し寄せたら、ホテル一つない加計呂麻島も、一気に変わってしまうことでしょう。反対している人たちもけっこういるようですが、いまのところ撤回の見込みはないようです。今後の成り行きが心配です。

     先日、やっと夜光貝のペンダントを完成させました。このペンダントは、加計呂麻島の諸鈍の体験施設で材料を購入し、磨き体験したもの。ほんとは1時間半かけて磨き続けるというワークショップだったのですが、10分足らずでギブアップしました。それからふたつき、放置してあったのですが、先日やっと、旅に同行した友人の家に泊まったときに、ふたりしてそれぞれの貝を、2時間ちかくかけて磨きました。ピカピカになった夜光貝、旅の思い出になりました。
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奄美・加計呂麻島の旅⑦

2019-01-07 11:43:58 | 小さな旅
    翌日は、前夜商店街の食品スーパーで買ったパンや菓子で朝食を済ませ、加世間(かしけん)峠に。加計呂麻島の宿で相客に教えてもらった場所です。

    標識も何もない田舎道と山道を、友人のスマホを頼りに走り、やっと見えたこの景色。二つの海が同時に一望できるのです。右は太平洋。

     左は東シナ海。

     途中の道はこんな山道。ほとんど車に出会いませんでした。

     サトウキビ畑。やっと青い空が見えました。奄美に、この日まで7日間もいたのに、真っ青な海と真っ青な空を見たのがこの日初めて。

     奄美の空港でこんな注意書きが。本土への持ち込み禁止植物があるとは驚きました。

     機内から見た青い海。この日が奄美に向かう日だったら。

鹿児島空港から、つぎのセントレアへの便が出発するまで4時間ほどの間があったので、鹿児島市の繁華街天文閣へ。時間はお昼をだいぶ回ったころ。朝からちゃんとしたものを食べていないので、おなかペコペコ。二人とも食べたいのは、パンとパスタ! 加計呂麻島では、一度も小麦粉食が食卓に上らなかったので、粉食に飢えていました。

     ろくに調べていなかったので、歩きまわって見つけた夜光杯という名前のイタリアンレストランに。ピザとパスタをそれぞれ注文し、半分わけ。どちらも十分満足できる味と量でした。

     夕方、鹿児島空港を出発。この旅行中に初めてみたきれいな夕日です。

     翌日、稲武の戻ってきたら、あたりの山々は美しく紅葉していました。奄美では紅葉はたぶんない。帰宅後早速こちらの紅葉の写真をlittle lifeの天野さんに送りました。

     さて、奄美・加計呂麻の長い旅はおわり。旅行というものをほとんどしたことのない私には、結構な冒険の旅でした。初飛行機搭乗、初南の島、初シーカヤック&シュノーケリング、初レンタカーの運転・・・
友人宅で一泊し、翌日帰路に就いたのですが、足助でいつも見かける道端の数本のバナナの木を見たら、胸が詰まるようななつかしい気分になり、またすぐ島に引き返したくなりました。 

      稲武や周辺の山間地域よりさらに激しく人口が減少していると思われる加計呂麻島。それでも、島の魅力にひかれて、移住してくる若い人も多く、いまは、人口の一割が移住者だとか。でも、地元住民との折り合いが悪くなったり、生業が見つからなかったりで去る人も多いそう。

      島の人は外来者にはとても親切にしてくれるそう。布団を貸してくれたり食べ物を持ってきてくれたり。でも、何事かで移住者たちに期待を裏切られたことのある集落は、人口がどんどん減っているにもかかわらず、今は断固移住者の転入を拒んでいるという話も聞きました。鍵をかけなくても平気で外出できるのは気楽なことですが、反面、それだけいつも隣人たちの目にさらされているということでもあります。若い時にこの島を知ったら、移住していたかもしれないなとちらっと思いましたが、ずっと住み続けられたかどうか。

      ともあれ、島の魅力にはたくさん触れることのできた旅でした。最後に、たくさん買ったお土産(帰りの飛行機に持ち込んだ荷物は、かなりの重量オーバーでした。もっとも拾ったサンゴや貝殻も相当の重量だったと思いますが)の中からいくつか紹介を。

       little lifeの隣家・かけろまの森という名の工房で作っているジャム2瓶。加計呂麻島産のグァバのジャムと同じく島産のショウガのジャムです。

       大島紬村で作っているチョコレート。品質の良いカカオを選び、乳化剤を使わないチョコレートです。包装紙の柄は大島紬の伝統柄。

       加計呂麻島の製糖工場で作っているきび酢は、わりに有名らしい。塩と黒糖も購入。

       本島の宿の近くの久保薬局で見つけた有機黒糖。国内産の有機の黒糖は珍しいと思う。

        真ん中の青菜は、長命草。加計呂麻島では自生しているそう。一週間ほど冷蔵庫に入れっぱなしにしていましたが、まったくしおれることなく青々していました。てんぷらにしたら、パセリみたいな味がして、おいしかった。    
     
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