アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

「神社が語る古代12氏族の正体」

2015-04-01 22:24:57 | 映画とドラマと本と絵画
    前から、日本の神道とはいったいどんなものなのか気になっていたので、たまたま本屋に平積みされていた本書を手に入れました。

     「伊勢神宮にしても、道教の思想がふんだんに盛り込まれている。深い森の中にたたずむ社殿を見れば、日本人の感覚がすみずみまで息づいていると思ってしまうが、じつは、当時の最先端の外来文化や「観念」を借りていたわけである」

      筆者によれば、神道や伊勢神宮がいまのかたちに整備されたのは8世紀ごろ。律令体制がほぼ完成したころのこと。このころ、新興氏族であった藤原氏が、急速に力を持ち始めて他の氏族を追い落とし、独裁体制を固めていきました。

     「正史とされる「日本書紀」は編纂され、歴史は塗り替えられた。藤原氏の正当性が強調され、(中略)新たな「神道」が生み出されていく。こうして、古代豪族や士族たちの凋落とともに、「神道以前」の信仰もまた、失われていった」

      たとえば、蘇我氏。「日本書紀」では、天皇家をないがしろにした悪人ということになっていて、教科書にもその様にかかれていたとおもうのですが、じつはこれ、藤原一族の脚色の一つだというのです。漫画「天智と天武」も、本書のようなあたらしい説をもとにして構想されたのでしょう。

      「日本書紀の編者(編纂時の権力者は藤原の不比等・鎌足の子)は、蘇我氏の手柄を横取りするために、「蘇我系皇族・聖徳太子」という虚像を用意したのである。蘇我氏の業績をすべて聖徳太子に預けて、その子や孫を蘇我入鹿が滅亡に追いこめば、「聖者殺しの蘇我氏」のレッテルを貼ることができる。また、もともと聖徳太子などどこにもいなかったのだから、上宮王家に丸ごと蒸発してもらえば、完全犯罪が成立する・・・これが、筆者が考えるカラクリである」

      藤原氏による歴史の改ざん、神道の改変がかなり大規模になされ、それがいまにいたるまで解明されずに信じられている、というのが筆者の意見です。正史にのみ目を向けるのではなく、稗史にひそかに記された記述や、今ではほとんど参拝する人のいないような神社のもともとのご神体をしらべることによって見えてくるとされる事柄には、いろいろおどろかされます。

     といっても、細かい事柄が多くて、読んだ端からわすれているのですが、とにもかくにも、日本人の信仰について、なんであれ、簡単に言ってのけることはできない、ということがよくわかりました。     
コメント
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