晴耕雨読とか

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『検証 国家戦略なき日本』

2009年02月04日 | 
『検証 国家戦略なき日本』(読売新聞政治部著/新潮文庫)。この本は2005年から1年以上にわたって読売新聞に連載された記事をまとめたものだ。06年には単行本になって、最近文庫になった。



科学技術、資源政策、知的財産などについて、科学部などではなく「政治部」の記者が国家戦略という政治の観点でルポしたものだ。

内容はタイトル通り。大丈夫か、日本は?という本である。なかなか興味深いとか、おもしろいというと語弊があるが、いっきに読み進む。

ルポそのものは05年執筆だし、今となっては古い気もするのだが、読んでみるとそうは感じないところが恐ろしい。それぞれの章には、その後の最新情報をまとめて「追記」もあって、扱われている問題が、その後は前向きに捉えられているような気がするけれど、実際は、、、、?

個人的には読売新聞は嫌いだし、確かにこの本にも偏った部分を感じるけれど、それはそれとして考えれば、まぁ、いいかという気がする。

いろんな新聞社に存在する政治的な偏りとか、押し紙のインチキとか、高慢ちきで高給取りのいけ好かない新聞記者だとか、新聞には気に入らないことはいっぱいある。

朝日はついに赤字だし、読売も含め、企業として考えれば、新聞社の現状は惨憺たる状況だ(ま、社会全体もそうですが)。

でも、やっぱりジャーナリズムというものは、僕らにとって必要なものだと思う。この本を読んでそう思った。

物事を世に問う力。政治や権力に対して、物言う力。テレビでは絶対に無理なことだが、まだ新聞なら多少はその力はあると思う。それは幻想かもしれないけれど、うーん、、、限りなく幻想かもしれないけれど。

いずれにせよ、全国津々浦々まで張り巡らされた新聞社というジャーナリズムのカタチは、ここ数年で変わらざるを得ない状況に追い詰められている。それは、おそらく紙に印刷した新聞というカタチではないかもしれない。どう変わるのか、ちょっと楽しみだ。なにしろ他人事だし。

少なくとも朝日、読売に関しては、記者の給料を半分にすれば、何年かは生きながらえるのは明確だが。