ヘミングウェイの遺作読了。
前に読んだ『イギリスを泳ぎまくる』と合わせて、文学作品における脚注の意味とネタばらし、そして、作家に対する下世話な興味について考えてみました。
この『移動祝祭日』には訳者による丁寧な注釈と巻末には、これまた丁寧な解説が書かれています。
実際、本書は、そこここに1920年代にパリにいて彼と交流のあった作家や画家の名前が出てきて、それがぜんぜん分からないものだから、読んでて、こう、理解が進まないというか、すっと落ちない。それが丁寧な脚注のおかげで、それなりに読み進めることができました。
その点で『イギリス…』とはちがって、丁寧な編集がされているなあと思ったのです。そのときは。
ヘミングウェイがカフェで作品を執筆しているときに、何を書いているのかはちょっとしたヒントが本文に出てくるのですが、脚注では「○○と思われる」と答えが用意されていたりするのだ。
それが大好きな「二つの心臓の大きな川」だったりするので、ファンとしてはたまらないわけで、いやいやこれは楽しい本だ、、、と。
でも、その脚注が、ある具体的な街の描写を捉えて「それは事実と違う」とかいいはじめると、それはどうだろう…という気がしてくる。
巻末の解説には、この本が書かれた経緯や登場人物との関係などが詳しく語られ、一連のヘミングウェイ作品の中でのこの『移動祝祭日』の位置づけ、もしくは彼の人生の中でのこの作品の位置づけが語られる(文学科とかはこういう研究をするのか!?)。
いや、これは解説しすぎじゃないのか?
そんなネタばらしや下世話な話をして、、、この文章がひとつの文学作品として扱われているのだろうか?と疑問に思ったのです。
で、ふと気づいたのです。
たとえばわたしが好きな「二つの心臓の大きな川」。最初に読んだのは、前にも書いたけど谷阿休訳の『ヘミングウェイ釣文学全集 上巻 鱒』(朔風社)だったわけで、はじめから釣りの話として読んでいました。
でも、一般に文学作品としては「戦争で傷ついたヘミングウェイが癒される…」みたいな文脈で解説されることが多いですよね。
そういわれると、確かになんとはなしにそういうことが通底するような気もしました。でも、わたしの読解力では、いわれないとさっぱり分かりませんでした。
たしかにヘミングウェイも、この『移動祝祭日』のなかで、戦争を書かずして戦争を書いたと……とはっきり言っているので、そうなのでしょう。
結局、文字の羅列としての作品そのもの以外の、作家を取り巻く事情みたいな文脈があってはじめて、そう理解されるのではないか……と。
あたりまえのことですか?
前に読んだ『イギリスを泳ぎまくる』と合わせて、文学作品における脚注の意味とネタばらし、そして、作家に対する下世話な興味について考えてみました。
この『移動祝祭日』には訳者による丁寧な注釈と巻末には、これまた丁寧な解説が書かれています。
実際、本書は、そこここに1920年代にパリにいて彼と交流のあった作家や画家の名前が出てきて、それがぜんぜん分からないものだから、読んでて、こう、理解が進まないというか、すっと落ちない。それが丁寧な脚注のおかげで、それなりに読み進めることができました。
その点で『イギリス…』とはちがって、丁寧な編集がされているなあと思ったのです。そのときは。
ヘミングウェイがカフェで作品を執筆しているときに、何を書いているのかはちょっとしたヒントが本文に出てくるのですが、脚注では「○○と思われる」と答えが用意されていたりするのだ。
それが大好きな「二つの心臓の大きな川」だったりするので、ファンとしてはたまらないわけで、いやいやこれは楽しい本だ、、、と。
でも、その脚注が、ある具体的な街の描写を捉えて「それは事実と違う」とかいいはじめると、それはどうだろう…という気がしてくる。
巻末の解説には、この本が書かれた経緯や登場人物との関係などが詳しく語られ、一連のヘミングウェイ作品の中でのこの『移動祝祭日』の位置づけ、もしくは彼の人生の中でのこの作品の位置づけが語られる(文学科とかはこういう研究をするのか!?)。
いや、これは解説しすぎじゃないのか?
そんなネタばらしや下世話な話をして、、、この文章がひとつの文学作品として扱われているのだろうか?と疑問に思ったのです。
で、ふと気づいたのです。
たとえばわたしが好きな「二つの心臓の大きな川」。最初に読んだのは、前にも書いたけど谷阿休訳の『ヘミングウェイ釣文学全集 上巻 鱒』(朔風社)だったわけで、はじめから釣りの話として読んでいました。
でも、一般に文学作品としては「戦争で傷ついたヘミングウェイが癒される…」みたいな文脈で解説されることが多いですよね。
そういわれると、確かになんとはなしにそういうことが通底するような気もしました。でも、わたしの読解力では、いわれないとさっぱり分かりませんでした。
たしかにヘミングウェイも、この『移動祝祭日』のなかで、戦争を書かずして戦争を書いたと……とはっきり言っているので、そうなのでしょう。
結局、文字の羅列としての作品そのもの以外の、作家を取り巻く事情みたいな文脈があってはじめて、そう理解されるのではないか……と。
あたりまえのことですか?
巨峰のためではありません。ありませんが、ガレージをリフォームすることにしました。おそらく昭和50年代に作られたコンクリのガレージ。粉が落ちるし、モルタルも垂れるし、車がべろべろになってます。
で、ついでに巨峰のためのブドウ棚を作ることにしました。これです。
テラスの屋根ですが、上を格子にしてつるを這わせる予定です。
で、工事は来週からなので、ガレージの上のプランタとか鉢とかを移動させませた。15個ぐらいかな。
もろもろ動かすと、汚いなあ……。枕木の下からは大きなミミズも出てくるし、コンクリの上にものを置いただけで、その下で増える植物やらダンゴムシ、ミミズには頭が下がります。
右端の奥に巨峰が植わっています。
やっかいだったのは放置していたゴーヤを這わせていたネットと、カリフォルニアジャスミン。ま、なんとかはずして、ジャスミンは移転させて…。
ふう。この夏、巨峰はどこまで伸びるのか?
で、ついでに巨峰のためのブドウ棚を作ることにしました。これです。
テラスの屋根ですが、上を格子にしてつるを這わせる予定です。
で、工事は来週からなので、ガレージの上のプランタとか鉢とかを移動させませた。15個ぐらいかな。
もろもろ動かすと、汚いなあ……。枕木の下からは大きなミミズも出てくるし、コンクリの上にものを置いただけで、その下で増える植物やらダンゴムシ、ミミズには頭が下がります。
右端の奥に巨峰が植わっています。
やっかいだったのは放置していたゴーヤを這わせていたネットと、カリフォルニアジャスミン。ま、なんとかはずして、ジャスミンは移転させて…。
ふう。この夏、巨峰はどこまで伸びるのか?