乳がんの放射線治療
ついでに私の放射線体験も書いておきましょう。右胸全摘、同時再建手術、抗がん剤と続き、2,009年3月から4月にかけてのことです。乳腺外科の先生から放射線科の先生に紹介状を出していただき、個人面談。手術の後の病理検査の結果をもとに計画を立てる。「大変優秀な先生なのだよ」といわれていたが、どう評価してよいかわからない。
まず、CTを撮り、胸の部分に細かく印をつけ計測。赤紫のペンで範囲を決める。これは初回のみ。赤紫のラインを石鹸で洗わないように注意を受ける。
この時、かつらをつけたままで計測したので、後ずっとかつらはつけたまま治療を受けることになる。位置が変わらないようにということなのでしょう。
治療は、台に乗り、放射線技師さんに位置を決めてもらう。この時赤紫のラインが基準になる。印をつけた範囲を、左、右、肩の方(頭の真上後ろ)の、3方向から放射線を照射する。放射線技師さんは普通のレントゲンと同様、照射の時はリニアック室の外に出て、マイクで指示をする。時間にして、10分ぐらい。何ということもなく簡単に終わる。
先生から、放射線治療の初めには、船酔い、二日酔いのような症状が出ることがあるとのお話がありました。放射線を照射するとケロイドのようになるのか?と質問したところ、そういうことはない。むしろケロイドの治療に放射線を使うことがあるとのことでした。
日焼けのような症状は出る。脇の方が茶色くなりやすいとのことでした。
私も脇の方が薄茶色になりました。放射線が終わって1か月検診の時、先生に、
「なんか皮膚が茶色くてぼろぼろしていて、後遺症ですか?」と訊いたら、
「それは垢だね。お風呂で温めて、石鹸を付けて良く洗ってください。」ですって。皮膚が弱っているからと思い大事にしすぎたみたい。
そして、胸のレントゲンを撮り、肺炎を起こしていないかチェックがありました。副作用として後日肺炎を起こすことがあるようです。一緒に受けていた方の中で、半年以上たって肺炎になった方もいました。
放射線治療は、月曜から金曜まで毎日25回も続くので、1か月定期や回数券を買い、同じ時間に出て、同じ電車に乗り、だいたい同じ時間に治療を受けることにしていました。
そして、待合室の患者さんに話しかけてみました。乳腺外科には何十人も乳がん患者がいますが、入院するまでは、話しかけることはありませんでした。ステージⅢB、ⅢC、末期の人は少なくて、皆いいな軽くてと暗い気持ちになるからです。
それでも、入院して、同じ部屋の患者さんたち、10年目の再発の方、乳がんが肝臓や骨に転移して抗がん剤を受けているが食事を摂れずに入院された方、乳がんになったばかりの方々・・・と病気のこと、治療のこと、かつらの話などするうちに、乳がんのその先がどうなるかはみんなわからないのだと思うようになり、がんと付き合うのはみんな同じと思えるようになりました。
ある日、地下のリニアック室の前の受付で診察券を出し、順番を待つ。順番が近づいてくると、呼ばれ、検査着を渡され、着替えをして待つ。いつも混んでいて、5,6人待ちは当たり前、1時間ぐらいは覚悟していました。入院の時同じ病室だった人と一緒だったし(がん友1号)、乳がんの患者が多く、いつも同じ人と顔を合わせるので、病気のことや他愛ないおしゃべりで楽しい時間を過ごしていました。あるとき、2時間ぐらい経つのに順番が回ってこない。へんだなと思い、受付に聞いたら、「診察券が出てませんよ」と言われてしまった。わーいやだ。笑うしかない。そそっかしいにも程がある。小さくなって帰りました。
後日、放射線科の先生の診察の時、「診察券、出さなかったんだって?」とおかしそうにいわれてしまいました。放射線科のスタッフに知れ渡ったみたいです。
時々気晴らしをするのも楽しみでした。商店街を探検し、履きやすそうな靴を売っている店を見つけたり、日傘を探したり、本屋に行ったり、おいしそうなパン屋を見つけたりしました(この時期はタキソールで足がしびれていて、足の感覚がよくわからない。せっかく見つけた靴屋さんも試着がうまくいかない。でも、その後定期健診の帰りに時々寄っています)。
丁度お花見の季節でもあり、鎌倉に散歩にも行きました。段かずらに、見たことがないくらい人がいるのも驚きでした。桜のころの鎌倉ってこんなに人がいるのかとおのぼりさん気分でした。
モノレールで江の島に出たのも楽しかったです。羽田や多摩モノレールと違って、上から吊っているタイプで、カーブでは身体が斜めになるのが楽しい。だるさや手足のしびれといった抗がん剤のしんどさから解放されていくのがうれしかったのかもしれません。
こんなのがこれから放射線治療を受ける人の参考になるかなあ・・・。