風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

春節前の風景 (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第76話)

2012年01月19日 21時00分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 もうすぐ春節だ。
 中国では元旦を祝わずに、今でも中国の旧暦の正月――春節を祝う。中国独自の太陰暦なので、毎年少しずつ日がずれるのだけど、今年は新暦二月三日が春節に当たっている。僕の住んでいる広州では、春節を過ぎれば、寒さがやわらいで暖かくなる。亜熱帯に住んでいるからかもしれないけど、陽射しはもう春。
「明日、帰省するんだ(明日要回家了)」
 などと、知り合いの中国人たちは嬉しそうに言う。
 とりわけ、地方から都会へ働きにきている人たちは春節を心待ちにしている。家族を大切にする中国人にとって、というよりも家族で団結しなければ暮していかれない彼らにとって、家族との再会はなによりの楽しみだ。
 市場の周りをぶらついてみれば、大きなビニール袋を抱えた家族連れがどっさり買い物をしている。買い物袋の中身は多少違っても、年末に人々がすませなければならないことは日本も中国も同じだ。
 街角には屋台が出て、春節用の飾りを売っている。紅地に金色の文字で「福」と書いた張り紙や紅いぼんぼりやふくよかな顔をした童子の絵が並べてある。果物やらお酒の瓶が山盛り入った贈答用の大きなバスケットも置いてあった。
 こちらではみかんの鉢植えを飾る家も多い。市場の通りには、小さなみかんの実をたわわにつけた鉢植えがずらりと並べてあった。鉢の大きさは両手で一抱えほどで、高さは胸くらい。





 これは「大桔大利(ダー・ジュイ・ダー・リー)」という縁起物だそうだ。日本では門松を飾る家は少なくなったけど、日本の門松のようなものだろう。
「桔」は「橘」の俗字で、みかんのこと。みかんの実を黄金に見立て、お金が儲かりますようにという意味をこめているのだとか。みかんの枝に紅色のポチ袋を飾りつけ、みかんの鉢植えを中心にして、その周りに菊の小さな鉢植えを並べるのが定番だ。なにはともあれ、この国の人々は真っ先に金儲けを願う。お金でしか自由を買えないから、と言えば、言いすぎになるだろうか。それとも、お金で買える自由しか知らされていないから、と言ったほうがいいだろうか。
 日本の年末もそうだけど、春節前になると銀行に行列ができる。
 地方から出稼ぎに来ている人たちは、こつこつ蓄えた貯金を下ろして田舎へ持ちかえり、そのお金のおかげで農村の実家は年を越すことができる。貧困から抜け出すことができる。
 この間、昼休みに銀行のATMでお金をおろそうとしたら、ATMが二台ともとまっていた。銀行の職員に訊くと、
「みんな大量におろすからねえ。もうお札が切れてしまったんだよぉ。補充できるのは三時くらいかなあ。でも、その時になってみないとわからないけどねえ」
 とのんびりした顔で言う。彼だけ一足先に春節休みに入ってしまったようにほっこりした顔をしている。
 こりゃだめだと思い、急いで別の支店へ行って行列に並んだのだけど、運悪く、ちょうど僕の順番でお金が切れてATMが動かなくなってしまった。隣の台に並ぼうとしたら、隣のATMのお金も今しがた切れたところで、不思議そうに目を丸くしたおばちゃんが「どうなってんのよ?」と銀行員に訊いていた。僕はあきらめて引き返すことにした。
 お金を引き出すのはなんとかなるけど、この時期、いちばん大変なのは帰省用のチケットの手配だ。一説によると、春節前には四億人もの人々が帰省するのだとか。四億人といえば、日本の人口の三倍以上。気の遠くなる数字だ。



 一番安い交通手段は鉄道だから、やはり列車が人気だ。
 春節の頃に列車に乗った人の話によると、通路にはびっしり人が座っていて、デッキも満員電車なみに人が立っているのでトイレへも行けないほどなのだとか。なかには、座席の下に潜りこんで横になっている人もいるらしい。
 春節休暇中の広州から雲南省の昆明まで、交通手段の値段を調べてみた。
 飛行機のチケットが片道約八〇〇元から一一〇〇元(約一万円から一万四〇〇〇円)、夜行寝台バスが六〇〇元(約七五〇〇円)、夜行列車の硬臥車(日本のB寝台)が三四一元(約四三〇〇円)だ。軟臥車(日本のA寝台)が五三九元(約六七〇〇円)だから、ぼろぼろの夜行寝台バスのほうがゆったり寝ることのできる軟臥車より高かったりする。鉄道の硬座(普通座席)なら一九四元(約二三〇〇円)なので、エアチケットと比べれば四分の一以下の値段だ。
 ちなみに、春節帰省輸送期間の一か月間、中国国鉄は貨物列車の運行を休止して帰省用の臨時旅客列車を増発する。だけど、みんな列車の切符を求めたがるので臨時列車がいくら出たところで鉄道の切符を手に入れるのはとても難しい。なにしろ、四億人が帰省する民族大移動なのだから。
 春節前になると駅の窓口には長蛇の列ができる。五、六時間待ちというのはざらにあるうえに、自分の順番がきたところでお目当ての列車の切符が残っているかどうかもわからない。
 ただでさえ入手しにくいところへ、旅行代理店やある組織が切符を買い占め、高い手数料をのせて転売したり、偽造切符が大量に出回ったりと、春節時期の鉄道切符には問題が多かったため、今年から広州駅やその他の一部の駅では窓口で身分証を提示しないと切符を購入できなくなった。切符には身分証の番号を印刷して、改札や検札の時にチェックするので、その身分証の人しかその切符を使うことができない。
「これで一般の人は切符が買いやすくなるよね」
 僕は、中国人の友人に言ってみたのだけど、
「さあねえ。すこしはましになるだろうけど、どうだろうねえ」
 と、彼は首を傾げていた。お上の対策をあんまり信用していないようだ。ともあれ、普通の人々がふるさとへ帰りやすくなるといいのだけど。
 出稼ぎの人たちが多く住む郊外の店は早々に店じまいしてシャッターを閉じたりと、人通りも少なくなった。朝のラッシュ時のバスもいつもより空いている。職場の同僚も一足先に帰省したりして、くしの歯が抜けるようにがらんとし始めた。
 道行く人々の顔も、春節を前にしてうきうきしたような、ほっとひと息ついたような。
 ここ二週間ばかりは、春節までに片付けなければならない案件やトラブルの処理に追われて目の回るような忙しさだったけど、そんな生活の糧を得るための仕事も一段落ついた。
 なんだか僕も、すこしほっとした気分になりかけている。
  
 
 



(2011年1月30日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第76話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


中国企業にコピーされた製品をコピーし返すたくましさが必要かも (『ゆっくりゆうやけ』第75話)

2012年01月19日 08時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』


 日本の某文具メーカーは中国で自社ブランドのニセモノ商品が大量に出回っているのを知り、中国でこれだけ偽ブランドが浸透しているのならわが社の本物の製品も絶対に売れると考えて中国へ進出したそうだ。
 中国で買ったその会社のボールペンの質があまりよくないので不思議に思っていたのだけど、この話を聞いてようやくわかった。僕が購入したのはニセモノだったのだ。それにしても、偽ブランドを逆手に取って自社ブランドの本物を売りこむとはなかなか商魂たくましい会社だ。
 ちなみに、中国には大学入試のマークシート対応専用の鉛筆があるのだけど、それも大量にニセモノが出回っているのだとか。HSK(外国人向けの中国語検定試験)もその大学入試用の鉛筆を使わないといけないのだけど、留学中に申し込みに行った時、受付の事務員さんが、
「ニセモノが多いから、なるべくきちんとした文房具店で鉛筆を買ってね。ニセモノだとマークシートをきちんと読み取ってくれなくて、あなたの努力が無駄になるかもしれないから」
 と、注意してくれた。その事務員さんによると、中国の大学入試では知らずにニセモノの鉛筆を買って試験に臨んだばかりに、不本意な成績しか取れなくて志望校へ入れない人がいたりするそうだ。
 でも、そんなことを言われても僕には本物とニセモノの区別がつかない。
 困ったなあと思ったのだけど、用心しておくに越したことはないから検定会場になった大学の近所にある大きな文房具店なら大丈夫かもしれないと思い、わざわざそこへ買いに行った。検定の後で自己採点した結果とHSKの事務局に返してもらった採点結果が同じだったから、たぶん本物の鉛筆だったのだろう。
 閑話休題。
 日本の某文房具メーカーは、中国でどのようにコピーされているのかを知りたくて、その偽ブランドボールペンを試しに分解して調査してみたのだそうだ。
 もちろん、品質は本物に遠くおよばないのだけど、コピー技術のなかになかなかいいものがあって、それを使えばコストダウンできることがわかった。某メーカーはさっそく中国企業のコピー技術を盗んで自社の製品に応用し、コストダウンを図ったそうだ。
 コピー商品や偽ブランドが当たり前の中国では、日本の技術がコピーされると嘆いてばかりいても始まらない。この某日系メーカーのように、中国企業のコピー技術をコピーし返すくらいのたくましさが必要なのかもしれない。なにはともあれ、タフでなければ生き馬の目を抜くような中国では生き残れないのだから。
 

 

(2011年1月27日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第75話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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