ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

古岳院様の短刀,超宗院様の脇差

2022-11-30 14:06:56 | 日記 地域
11月29日,雨がよく降る中,姫路市立美術館 コレクションギャラリー
「鉄(くろがね)の技と美3 ー姫路藩主 酒井家の刀剣ー」
を見てきました。(写真撮影可)
まずは,酒井忠恭(ただずみ)(古岳院様)が刃文を焼刃した短刀です。
姫路城主酒井雅楽頭(うたのかみ)家は,鎌倉時代の後鳥羽上皇による鍛刀・貴人が刀を打つという系譜を受け継ぎ,
当主自らが鍛刀に携わっていたそうです。
酒井忠恭は,寛延2年(1749年)前橋から姫路に転封してきました。
以後,廃藩置県まで酒井家が藩主(版籍奉還後は知藩事)です。
ちなみに,酒井家が姫路に転封になる前年は,寛延の大一揆がおこりますが,
・・・今後,勉強します。

さて,今回の展示,11口(ふり)の刀剣の中で,私の一番のお気に入りは,これです。


酒井忠以(ただざね)(超宗院様)が刃文を焼いた脇差です。
この刃文・・・綺麗でしょ,・・・怖いでしょ。ゾクゾクっとしませんか?
酒井忠以は忠恭の孫,忠恭の次に藩主になります。
藩政改革で有名な河合寸翁は,酒井忠以ら4代の城主に仕えたそうです。
河合寸翁については,以前,歴博でボランティアの大先輩からいろいろ教えてもらいました。

ちなみに,「古岳院様」「超宗院様」という名は,今勉強中の史料に出て来る名前です。

姫路市立美術館は久しぶりでしたが,
今度は,酒井抱一の絵が見たいなあ~!
ちなみにこの方,酒井忠以の弟です。
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最近読んだ本・買った本

2022-11-19 13:14:18 | 日記 本
最近食料品が高い!
今日,人参を買おうと思ったら,2本で258円!(玉ねぎの値段は落ち着いたと思ったのに)
牛乳は198円が218円に!etc.etc.
でも,高いのは,本も同じ⁉

ということで,図書館で借りて読んだ本

本郷和人『歴史学者という病』

本郷和人氏と私は同年代。
唯物史観,歴史学は科学,政治史よりも民衆史
そして,網野氏・・・懐かしいです。
印象に残ったところを抜粋します。
「私(本郷和人氏)の考える実証史学のイメージとは,まず歴史事実や史料からこつこつと「史実」を復元する。
 次に復元された史実をいくつも並べて,その史実たちを俯瞰する「史像」を導く。
 そしてそれらの史実を集めたうえで「史観」という歴史の見方を生み出していく。」(174ページ)
その基礎(?)大学院時代の史料の読み込み・・・
「新田(英治)先生は,ひと言で言うならば「史料の物量」で圧してきた方である。
 大量の史料を読み込み,(中略)私たちに「史料を着実に読め」と教えてくださった。」(115ページ)
「とにかく物量を与えられて読む,読む,読む,その繰り返しである
 ・・・千本ノックのような鍛錬の日々を通して,
 「実証ができて当たり前」とようやく世間様に申し上げられるレベルにまで底上げしてくださった
 ーそれが新田(英治)・百瀬(今朝雄)両先生のゼミであった。」(117ページ)

・・古文書の勉強,・・・「私なりに」頑張ります!


最近買った本

五味文彦『疫病の社会史』
本の値段は税込みで3080円!高い❕
と思ったけど,それだけの価値があるかも・・・
まだほんの少ししか読んでいませんが・・ん・・見ていませんが・・かな?
絵巻などのカラーの図像がとてもいいです。
これは「借りる本」ではなく,「買う本」です。
対談形式でわかりやすいのですが,
普通に文章を書いてもらいたかったなあ・・・とは思います。
妖怪や疾病の歴史は私の趣味です。
図書館で,
『播磨が見える Ban Cul 2022 夏号』も借りてきました。
特集 播磨の「怪異」 (;^_^A

最近は,軽い本ばかりです。
中公新書レベルでも,読んでいるとしんどくなる・・・情けない

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武士の押領から鵤荘を守る

2022-11-11 11:50:22 | 日記 地域


写真は斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町)です。
斑鳩寺のInstagramには,
「11月20日(日)斑鳩寺にて聖徳太子1400年法要が行われます!当日は庫裡の落慶、聖徳太子孝養像御衣替法要、晋山式、法伝哉奉納があり、法要終了後から孝養像と庫裡の公開があります。」と書かれていました。

・・・・・・・・・

さて,先日,地元の図書館でチラシをもらってきました。
近いうちに行こうとは思っていましたが,
ぜひ行きたい!と思ったのはチラシのこの文を読んだから。
「法隆寺は,鵤荘を治めるために,この地に聖徳太子の信仰を持ち込んだ。
それは武士の横領から鵤荘を守ることになり,やがてこの地にしっかり根付いていった。」

押領(おうりょう)とは、平安時代中期以後の荘園制下において武力などの実力をもって他人の所領や年貢などの知行を侵奪する行為。(押領 - Wikipedia)

・・・・・・・・・

太子町立歴史資料館
聖徳太子没後1400年記念企画展  「法隆寺領鵤荘と聖徳太子への信仰」

昨日,斑鳩寺をチラッとお参りしてから,太子町立歴史資料館に行きました。(写真撮影 許可をもらえば可)
  この絵は,鎌倉時代のものですが,(斑鳩寺蔵・展示はレプリカ)
聖徳太子が推古天皇に勝鬘經(しょうまんぎょう)を講説する様子を描いたものです。
このことにより,推古天皇から播磨国の水田100町歩をいただき,法隆寺におさめたと
日本書紀に書かれています。 
日本書紀 推古天皇条   

そして,聖徳太子はこの地を「鵤莊」(いかるがのしょう)と名付けられ、一つの伽藍を建てられました。これが播州斑鳩寺の始まりです。
と斑鳩寺のホームページにありますが,
古代の鵤荘はよくわかっていません。
鵤荘・斑鳩寺の記録があらわれるのは平安後期以降になります。

鵤荘は,聖徳太子が仏教興隆を祈願して法隆寺に納めた「御起請の地」「太子の聖なる遺跡」と信じられるようになり,
源頼朝による地頭・金子十郎の罷免,
また,その後の下司の相続争いから始まり,
鵤荘の下司職が鎌倉の御家人に譲られ,
さらに,六波羅探題に没収された時も,
法隆寺は聖徳太子ゆかりの品を持って鎌倉まで下り,
結果として,鎌倉幕府が聖徳太子ゆかりの地・鵤荘全体(一円)を法隆寺に寄進するという形で決着が図られました。

しかし,展示を見ていくと,荘園に自らの信仰を持ち込むことは,ごく当たり前のこと・・だそうです。

ん・・・
荘園領主と地頭の争いなどは,まるで高校の教科書にも書かれていることにそっくり!
そういえば,昨年行った,相生・東寺領矢野荘もあったし,
よくあることなのでしょうね。

ただ,当然のことですが,こういうことは,
法隆寺や東寺など荘園領主側の史料や吾妻鏡など幕府側の史料からわかることで,
住んでいる農民の側の史料というのは,江戸時代になってこないと出てこないのでしょう。

さて,
天正8年(1580年)秀吉の播磨平定,知行配分により,法隆寺領鵤荘は姿を消しました。
しかし,聖徳太子信仰は,形を変えながら続いていきます。
真宗寺院と結びついたり,職人の神になったり,
雨乞いに登場したり,(太子町立歴史資料館:企画展「雨をくだされ,おぉてんとう!」2017年9月)
子どもの成長を願ったり・・・

以前,知人が言いました。
「聖徳太子がいなかったのなら,太子町はどうなるの?」
大丈夫です。「聖徳太子」がいなかったとしても,聖徳太子信仰はありますから。

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