ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

BSプレミアム「幻解!超常ファイル」;江戸時代、日本人は宇宙人に会っていた!?

2018-04-27 07:30:21 | 日記 テレビ
昨日,お風呂から上がってくると,
たまたまついていたテレビが「幻解!超常ファイル」
ちょうど,
ホームページの言葉を使うと,
「江戸時代,日本人は宇宙人に会っていた!?
 球状の乗り物に解読不能の文字?
 次々現れる証拠文書と現地調査から,事件の真相が明らかに!」
という部分でした。

ちょっとうろ覚えなので,(メモはしたけど)すみません。

1825年曲亭(滝沢)馬琴の風聞集『兎園会小説』の
「うつろ舟の蛮女」によると,

1803年,鹿島灘に今でいう円盤のようなものと箱を持った女が流れ着いた。
地元の人は,役人にも届けず,また海に返した。

「うつろ舟の蛮女」には,女の絵や円盤のような絵だけでなく,
見たことのない文字も書かれている。

馬琴の創作か?

でも,近年,同様の瓦版や日記,メモ書きも見つかっている。

大正時代,柳田国男は「うつぼ舟の話」で
うつぼ舟は神が乗る乗り物で,文字は世界中どこのもない文字,
だから,「うつろ舟の蛮女」の話はあやしい,というようなことを言っていた。

が,
第二次世界大戦後,空飛ぶ円盤ブーム。
世界にない文字だからこそ,宇宙から来たのでは?

岐阜大学の田中教授は,これらの風聞集や瓦版を分析。
そして,金色姫が海を越えて養蚕をもたらしたという伝承にたどり着く。
その金色姫のことを書いたものが見つかり,
これを書いたのも馬琴。

つまり,馬琴が伝承をもとに話を作り,その話を聞いた人が,瓦版等に書き,広めた?!?

当時は,妖怪など異界ブーム!

でも,解明されていない部分も。
なぜ,今と同じような円盤の形をしたものに?



今,安政地震関係の本を読んでいます。
これから,当時の史料も見てみたいです。
瓦版とか日記とか・・・。
でも,どこまで本当のことが書かれているのか,
話を大きくしていないか,
単なる噂じゃないのか,
そんなことまで私には分析する力はありません。



それにしても,栗山千明は美人ですね。
(「幻解!超常ファイル」のナビゲーターです。)


PS.テレビ番組のことを書いたのは久しぶりです。
今,私の中で流行は,
「偉人たちの健康診断」です。
先日の「大奥 不健康物語」面白かったです。





コメント (4)
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野口武彦『安政江戸地震 災害と政治権力』(ちくま学芸文庫)その2  ;追記NHKスペシャル「大江戸」

2018-04-24 15:26:27 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
前回の続きです。

野口武彦『安政江戸地震 災害と政治権力』について

「南北両町奉行は無事でだった。」(156ページ)
(このことは重要なようです。)
当夜のうちに(安政2年10月2日(旧暦)現在の時刻で午後10時頃に地震)
町奉行所の実動メンバーが合議,緊急方針を取りまとめる。
1.焚き出し。握り飯の配布。
2.宿無しになった者のために御救小屋を建てること。
3.怪我人のすみやかな手当。
4.諸問屋総代を呼び出し,日用品並びに必需品を買い集めること。
5.職人組合総代を呼び出し,国々から諸職人を呼び集めること。
6.売り惜しみ,買い占めの奸商を警戒。
7.物価・手間賃引き上げの取締り。
8.与力・同心が町中を廻って救助そのほか取締り。
9.町名主に掛りを申し付けること(非常掛名主を臨時設置)。(158ページ)

(定式窮民御救・・・老齢,孤児,病弱者,障害者などの窮民に対して   
         いわゆる今日の生活保護)

「御救米」支給のために特別に人別帳を作成。(173ページ)
→「其日稼ぎの者」(すなわち都市プロレタリアート)
 これをいろいろな史料(『武江地動の記』など)から推定すると,
 38万1200人余りとなる。
 一部は御救小屋,一部は在方。
 
 
町会所の臨時御救を整理してみると,
 10月3日から19日まで御救小屋収容以外の窮民の
 延べ人数20万2400人に握り飯を配る。
 11月15日から11月24日まで
 38万1200人余りに白米支給。
(この年は豊作だったため,込めの備蓄が46万石あった。)

上のような公的な救済活動以外にも,
町方施行(まちかたせぎょう)
善行の数々は町奉行から顕彰され,
全記録が『撰要永久録』に残っている。



「御救」に関するものを少し書きあげました。
はっきり言って,ビックリです。
江戸時代もこのころになると,「御救」がこんなにあったんですね。
「こんなに」と書きましたが,
それがどのくらいのものなのかよくわかりませんが,
戦争がない江戸時代に
統治というものに関する考え方が
徐々に変化していったのだと思います。

野口氏のこの本は,
北原糸子『安政大地震と民衆』によるところが多いようです。
(野口氏が自分で言っています。)


しばらく,北原糸子氏や都司嘉宣氏の本などを読もうと思います。


PS.NHKスペシャル「大江戸」がおもしろいです。
なぜここに書いたかというと,・・・
第2集「驚異の成長!!あきんどが花開かせた”商都”」

天明の飢饉後,
打ちこわしされないために,商人たちが町会所を作り,
米を集め,蓄え,
施し・お救いをする。
という内容の話がありました。
上に「御救い」について書きましたが,
こんな理由があったのだ!
と,またまた勉強になりました。
(6月28日追記)





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北原糸子「江戸時代の大災害と時代の転換」&野口武彦『安政江戸地震』

2018-04-16 11:34:31 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
北原糸子「江戸時代の大災害と時代の転換」
(文化庁編『遺跡に刻まれた復興の歴史』より)

「江戸幕府の災害対策は近代のような財政構造をもっておらず,
 経常費の中に災害のためのお金は蓄えられていません。
 ・・・災害時の臨時入用は,大名手伝普請によるインフラ復旧,
 あるいは富裕町人からの御用金,
 一般領民からの国役課金というかたちで徴収します。」(155~156ページ)

元禄地震(1703年)の場合
 江戸城の復旧は大名に命じて:大名の石高に応じて
 例:毛利家(『御普請御手伝』
    ・・遠い萩から人足を連れてくるのは消耗するので,(270人)
      江戸で人足を雇う。(いい賃金で人を集める。)(9万3000人)

宝永地震(1707年10月4日(旧暦))の場合
 幕府領のみの復旧。
「当時は公儀としての災害に対する政治的義務を履行していなかった
 とも考えられます。」(173ページ)
「(東海道筋修復では,)すでに幕府が契約した請負商人がいるから
 商人の要求する金額を払えばよいと,
 幕府の勘定奉行だった荻原重秀が命令します。」(174ページ)

そして,富士山宝永噴火(1707年11月23日(旧暦))の時には,
 例:小田原藩・・作物の被害で農民が小田原藩に訴えるも救済するとの反応がない。
    農民は幕府に直接訴えようとする。
     →小田原藩11万3000石の半分を上地させ幕領にして,
      お救い米を出して復旧させる。
      全国一斉に100石につき2両の高役金(たかやくきん)を収めさせる。
       (2つとも前例がない)
*「単に大名手伝普請の形態変化に限らず,
  幕府の政治的経済的転換期でもあったといえます。」(181ページ)

天明の浅間山大噴火(1783年7月(旧暦))の場合
 商人の請負は認めず,村普請でやったものだけを認めるという方法で,
 手伝普請の細川藩が村から計算書を出させ,それらをまとめて計算書を作成し,幕府に提出。

善光寺地震(1847年)の場合
 大名手伝普請という方式は採用されなくなった。
 例:松代藩(真田氏)・・幕府役人への贈り物攻勢
             →普請担当の役人に現地に来てもらい,被害を検分してもらう。
             →いち早く幕府から救済金や修復金が出た。



もう1冊
これはまだ,第一章だけしか読んでいませんが・・・

野口武彦『安政江戸地震 災害と政治権力』
第一章 歴史は繰り返す より

「もしかしたら地震ユートピアは,PTSD性ユートピアだったのかもしれない。」(31ページ)
PTSDの段階
 第一の「衝撃」人々は高い覚醒状態でふるまう。
 第二の「衝撃後」高度の適合状態が出現。
 第三 その災害の報道が新聞のフロントページから消えるころ,
    幻滅的な現実直視の局面が現れる。

つまり,
北原糸子が『安政大地震と民衆』の中で,
鯰絵の画面から
「地震による世直りを歓迎し,また期待・歓迎するばかりでなく,
 既にそれを体験した場合出て来るであろうある種の至福感」
を読み取っているが・・・。


難しくなってきました。

北原糸子が『安政大地震と民衆』,チェックです。






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内閣府防災情報のページ 報告書(1854 安政東海地震・安政南海地震)

2018-04-12 11:48:52 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
探せばいくらでもあるものです。

「内閣府防災情報のページ」というサイトを見つけました。
その中の
報告書(1854 安政東海地震・安政南海地震)は平成17年作成のものです。
新しい~!
(今までみつけたものに比べて。でも,東日本大震災より前)


その報告書
まず,<概要>
安政元年(1854年)11月4日に安政東海地震,
翌5日に安政南海地震が起き,
伊豆から四国までの広範な地帯に死者数千名,
倒壊家屋3万軒以上という被害をもたらした。


膨大な(いや,長い?)報告書で,まだ全部読んだわけではありませんが,

「第2章 安政東海・南海地震(1854)の詳細実態」
を少し読むと,

「このペアの巨大地震に関しては,・・・
「日本地震史料」の中に活字本にして397頁,
さらに都司や東京大学地震研究所によって膨大な資料が紹介された。
その資料の全体量は,活字本として3000頁を上回る膨大なものである。」

ひえ~!

すごい史料!

東京大学地震研究所って,
「みんなで翻刻」の史料の機関ですよね。
(「みんなで翻刻」は京都大学古地震研究会)


ほかのページには,
下田の例,大坂の例などが載っていました。

嘉永7年って,
このペアの地震の前に,
6月15日に伊賀上野地震もあったんです。
この時は,大坂は若干の被害を受け,
次の11月4日5日で地震とその後の津波で大きな被害を受けたそうです。


資料(本や史料)が多すぎて,とてつもない・・・ということがわかってきました。

私が知らなかっただけです。


この報告書を中心になって書いた人

都司嘉宣氏:元東京大学地震研究所地震火山災害部門准教授。
東日本大震災の時は,テレビにもよく出ていたそうです。

彼の著書『千年震災 繰り返す地震と津波の歴史に学ぶ』
要チェックです。

東日本大震災後の2011年5月に出版された本のようです。

私は何がしたいのだろう?



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2015年の特別企画展阪神・淡路大震災20年「災害と歴史遺産」図録を見ると

2018-04-08 16:16:52 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
この特別企画展については何度か触れたことがあると思います。
古文書などの被災文化財等レスキュー活動について書いたと思います。
展示では,網干加藤家の鯰絵が印象に残ったことも書いたことがあると思います。
鯰絵は安政江戸地震の時に描かれたものだそうです。
だから,私は安政江戸地震の方ばかり思っていました。

この度,南海トラフによる安政地震について調べると,
この特別企画展でも取り上げていたことがわかりました。
その時は,関心がなかったから,ほぼ素通りしていたんですね。


図録によると,
嘉永7年(のちに安政と改元,1854年)11月4日に東海沖を震源とする東海地震,
その32時間後の11月5日に紀伊水道を震源とする南海地震が発生しました。
南海トラフが連動した巨大地震で,
いずれもマグニチュード8.4と推定されています。

東海地震では,関東・東海・近畿で揺れによる被害,
津波は房総半島から土佐までの太平洋岸。
南海地震では,中部から九州まで揺れによる被害,
津波は紀伊半島から九州までの太平洋岸を襲い,
大坂などでも津波の被害が伝えられているそうです。
(先日,関西テレビ「報道ランナー」でもこの地震・津波を特集していました。)

以前に読んだ
寺脇弘光氏の『兵庫県地震災害史 古地震から阪神・淡路大震災まで』では,
網干も相当揺れて,被害が出ていたことを書いていました。


図録には,
網干・余子浜の加藤家の
安政江戸地震の鯰絵だけでなく,
地震状況について書かれた古文書,瓦版などが載っていました。


つまり,
私が興味がなかったころ,見ていたはずのものが複数載っているのです。
そして,ちょっと探せば,
あっちこっちからいろいろ本や史料が出てくるのです。

でも,安政江戸地震の方が多いかも・・・。


引き続き,頑張ります!

今回はほぼ,私の独り言です。
失礼しました。
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