ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

今年は,6月以降,地震・豪雨・猛暑・台風・・・嘉永・安政のころは?「万事一代記」より

2018-07-30 13:41:36 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
台風12号が,異例のコースをたどっています。
昨日,7月29日朝6時頃,
たまたまNHKのデータを見ると,
「位置 姫路市付近」とありました。
確かに風はかなりきつかったけど,
娘が出かける9時ごろには,
普通の雨程度になっていました。

前回の西日本豪雨の時は,
夜中に特別警報や避難勧告が出ました。
今回は,避難勧告は出ませんでしたが,
姫路市では,28日の夕方のうちに,自主避難用に
小学校など,避難所を開設していました。


さて,今,「はりまふるさとアーカイブ」で
「万事一代記」というおそらく姫路・飾磨在住?の「木綿亭」という人が
安政4年以降に書いたと思われる日記のようなものを読んで(ながめて?)います。

「ながめて」程度にしか見ていませんが,
そこには,
嘉永6年(1853年),日本中大干ばつ・・とありますが。
姫路でも,総社(惣社)で雨ごいをしたようです。(たぶん)
その後,「異国船アメリカ参り・・」とかも書かれています。
信州善光寺で地震があったことも書かれています。

翌嘉永7年(1854年・安政元年)
11月4日「又大地しん」
翌5日「又々大ゆり」(嘉永7年の南海トラフの地震です。)
これは姫路のことを,少し詳しく書いています。
(ここはしっかり読みたいのでまた後日)
他にも安政江戸地震や京都の大火などなど・・・
でも,飾磨の祭りや大坂の角力も出てきます。
(読み間違いがあるかもしれません。お許しください。)


さて,この「はりまふるさとアーカイブ」のことを
姫路市立図書館に電話で尋ねました。
すると,この「万事一代記」のように,「コピー版あり」と書かれているものは,
いつでも図書館で見ることもできるし,
必要なページをコピーすることもできるそうです。
ただ,論文とかにする場合は,許可証を提出しなければならないそうです。

涼しくなったら,一度姫路市立図書館に行こうと思います。
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ぢ志ん乃辨

2018-07-18 14:13:55 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
暑中お見舞い申し上げます

今日は大阪北部地震からちょうど1か月だそうです。
その後の豪雨の被害が大きすぎて,忘れられがちではないか・・・と思うのですが,
どちらにしても,被災された方,
農業被害,工場の被害にあわれた方,
暑い中,大変だと思います。

今日もスーパーでは,いつもの豆腐はまだ売っていません。
昨日行った別のスーパーでいつも買っているヨーグルトもまだ売っていません。
工場が被災されて,入荷がないそうです。



話は,江戸時代,嘉永・安政のころの地震について書いた瓦版のことです。

以前,コメントを書いてくださった方からお聞きした
「ぢ志ん乃辨」という瓦版を私なりに読んでみました。
「みんなで翻刻」ですでに翻刻されて載っているはずなのですが,
私の見方が悪いのでしょう,
はじめの方の翻刻しか見ることができません。
ということで,自分で翻刻,内容を簡単に書きます。
(ところで,「翻刻」と「解読」どう違うのでしょう?)
ただし,私がやっていることなので,意味を取り違えたりしている可能性が大いにあります。
力不足のですので。
その点,お許しください。


ぢ志ん乃辨

だいたい天地のことは,陰陽の二気からなっている。
このニ気は和順な時は穏やかだが,
陰気が陽気の上にあり,閉じているとき,
陽気はのぼろうとするがのぼれず,
だんだんふくれて,時を待ち,
陰気を突き破ってのぼる。
このさき,大地が大小ふるう。
(餅を焼いて膨れ上がるのに似ている。)
陽気が出て,地中の空穴を縮ませるが,
一時に縮みつくせないので,
一昼夜に3~50回,或いは,2~30回
少し震って,だんだん元に戻る。
昔から今まで地震について記しているが,
また大小震うと思い,
道に仮屋をしつらえ,寒風にあい,夜気をうけて病気になる。
路傍に宿してはいけない。

俗に,地下に鯰がいて,尾ひれを動かす時に地震になるというが,
建久9年(1198年)の暦の表紙に地震の蟲として描かれ,日本六十六州の名を記した。
6,7百年前以前よりこのような説がある。
仏経には龍の所為という古代の説が地震考という書に記されている。
当時の雑書には必ずこの図が載っていないということはなく,
その形は鯰ではない。
龍に似た異形のものである。
今またその図をとくに写して
寅卯2か年(嘉永7年(安政元年),安政2年)の
地震,津波の災異ありし図を一眼に見れる目的とする。

(龍に似た絵の中に,2年間の被災地の日本の地図が描かれている。)


先にも言いましたが,読み間違い,意味の取違い,多々あると思います。
お許しください。


まだまだ調べたいことはたくさんありますが,
これからしばらく忙しくなるので(言い訳)
いつになることやら・・・。

また後日。


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第6回「A」なのですが・・・,「あなたの声」第7回課題提出

2018-07-12 07:27:20 | 古文書
先日,NHK古文書解読実践コース第6回課題が返ってきました。
先生はいつも,丁寧に添削してくださるだけでなく,
私の質問や「あなたの声」に答えてくれます。
課題は「A」でした。
でも,いつも感じることなのですが,
とても「古文書が読める」というものではありません。
先生も
「もう一歩くずしの形に踏み込んでくださいね。」
と優しく書いてくださっています。


間もなく第7回課題提出です。
課題はできています。


いつものように「あなたの声」

ある程度までは読めるようになったと思うのですが,
なかなか「古文書が読める!」という状態にはなれません。
「努力が足りない」と言われればその通りなのですが,
あっちこっちの古文書をかじり読みするのは楽しいです。

江戸時代の終わりごろの
播磨の誰だかよくわからない人が書いたものであろう日記らしきものを
「はりまふるさとアーカイブ」でみつけました。
はば広くいろんなことを書いていあるのですが,
「はたしてそこに書いていることは事実か?」
ウソを書いていなくても,
「聞きちがいではないか?」
「記憶違いではないか?」
と疑う・・・とまではいかなくても,
他の日記や文書も見て確認することは必要ですよね。

ここ一ヶ月ほどの間に,
西日本では地震や水害にみまわれました。
我が家は無事だったのですが,
42年前,自分が経験した水害を思い出しました。
その時,網干一帯は浸水。(正確にはもっともっと広範囲)
我が家は床下浸水でしたが,
その時通っていた中学校や友人の家は床上浸水でした。

あんな強烈な出来事だったのに,
ふっと調べると,あれは9月の出来事でした。
私は10月だったと記憶違いをしていました。

「江戸時代の日記も同じ,
 記憶違いをして間違って書いている可能性もある。」
とふっと思いました。

(長々と失礼しました。)


「あなたの声」のところには,
「講座や機関誌へのあなたの声を自由にお書きください。」
と書かれています。
「講座や機関誌」???
「自由にお書きください。」
だけ読んで書いているような・・・?!?

先生はそれでもいつもコメントを書いてくださっています。
ありがとうございます。
励みになります。

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床下浸水体験談(1976年)

2018-07-09 11:19:00 | 日記
昨日のブログで私が中学2年の時(1976年)の床下浸水体験談を少し書きました。

もう40年も前の記憶ですが,断片的に覚えています。
でも,記憶違いもありました。

気になって,昨日調べ始めると,ネットはすごいですね,すぐにわかりました。
でも,私は9月ではなく,10月と思い込んでいました。
確認のため,いくつか信憑性が高いと思われる自治体関係のサイトを見たのですが,
やっぱり,9月でした。

そうなってくると,金曜日という記憶は・・・
と調べると,
山口百恵の「赤い運命」は,金曜日でしたから,やっぱり金曜日であっていたのですね。


あの金曜日は雨が降っていましたが,
学校が休みになるほどではないでしょ,と思っていました。
午前中は母はいつものように網干K地区のスーパーにパートに行っていました。
当時,中学2年の私は,小学5年の妹とオセロゲームをして遊んでいました。

すると,母から電話がかかってきました。
「こっちは,床上まで水がきはじめた。
 そっちは大丈夫か。」と。
その時,S地区に住む私の家は全くそんな気配は感じられませんでした。
妹と2人,びっくりしました。

そうこうしているうちに,
母は帰ってきたのだと思います。

夕方,
家の横の田んぼの水がいっぱいになってきました。
今度は,家の前の道が冠水してきました。
父が会社から歩いて帰ってきました。
いつもは自転車通勤ですが,その日は雨だったからはじめから歩いて行っていたのかもしれません。
父は,「○○内科の前の道が,水路のようだ。」とか言っていたような気がします。

家の庭に水が入ってきました。
母は,排水用のブロック塀の下の穴に掃除用に置いていた古着を入れてふたをしていましたが,
そんなことしても無駄でした。

そうこうしているうちに,
家の中にいても,
ボコッ,ボコボコっと音がし始めました。
玄関や勝手口の靴を置いているところに水が入り始めたのです。

怖かったです。

父母は,冷蔵庫の下に,ブロックを1段積みました。
2階に大事なものは持って上がろうとしました。

そして,「赤い運命」が始まるころ,
玄関の水位は下がり始めました。


翌日だったと思います。
市から消毒液やパンが配られました。
「うちはパンをもらうほどでもなかったのにねえ。」
と話をしたのを覚えています。

畳をめくり,床下の水を家族みんなでかき出しました。
当時,土曜日は学校がある日でしたが,
休校です。
いつまで休校だったか,覚えていません。
中学校は,床上浸水だったし,
片付け,消毒など,あったから,数日休みだったのかもしれません。
体育館は,論外。
床はすべてピカピカ新品!張り替えられました。

我が家で父が,「よかったなあ。」と言っていたのが,トイレです。
当時は水洗トイレではありません。
私たちは,「ぼっとん便所」と言っています。
水位はトイレの汲み取りの穴よりも上に行ったのだろうと思うのですが,
きっと,ふたがしっかりしていたのでしょう。
便などが,あふれだすことはありませんでした。


学校が始まり,
クラスメートの家は,床上50センチの浸水。
その子の家は,すっごく盛り土をして,建て替えられました。



この水害の姫路市等の被害は,前日に書きました。
姫路市だけで,死者6人浸水被害は床上,床下合わせて2万9千件余り。
そんなすごかったとは,昨日,調べてみるまで知りませんでした。

Wikipediaによると,日本全体では,
死者 - 161名、行方不明 - 10名、負傷者 - 537名
住家全壊 - 1,669棟、住家半壊 - 3,674棟
床上浸水 - 101,103棟、床下浸水 - 433,392棟
だったそうです。

長々と失礼しました。
私の床下浸水体験談でした。

姑は戦後,満州から引き揚げてきましたが,
(当時小学4年生だったそうです。)
けっして,体験談を語ろうとしません。


PS.今日,スーパーで会った友達の話
1976年の水害の時,高砂市に住んでいた。
自分の家は床下浸水だったが,隣の家は床上だった。
水害の被害がすごいときに,
秋祭りをしていいものだろうか,という話が出たが,
祭りは行われた。
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7月7日:大雨特別警報 氾濫危険水位(レベル4) 避難勧告

2018-07-08 17:16:37 | 日記
昨日,夜中の3時,トイレに行く・・・。
よく雨が降っているなあ・・・とリビングのテレビをつけ,
夜は電源を切っている携帯の電源を入れる。

え?
?大雨特別警報 氾濫危険水位(レベル4) 避難勧告?

携帯には12件のひょうご防災ネットからのメール。
(子どもが学校に行っていたころ,登録していた。)

正確には,
7月7日1時22分:姫路市に大雨特別警報
7月7日1時53分:網干校区,網干西校区,余部校区避難勧告
7月7日2時20分:揖保川下流,氾濫危険水位(レベル4)に到達し,氾濫の恐れあり。
       (ちなみに,我が家から西へ歩いて2分ほどで揖保川)

NHKテレビのデータを見ると,
網干小学校区  4269世帯,9826人
網干西小学校区 3065世帯,6921人
余部小学校区  1987世帯,4911人

避難所 網干小学校,網干中学校,網干高校,網干市民センター・・・等々

さて,どうする?

もう眠れない・・・
主人を起こそうか?どうしよう?

新聞配達のバイクの音
・・・まだ大丈夫だ!と思う。

7月7日5時45分:揖保川下流,危険氾濫水位(レベル4)を下回る。

結局,我が家近辺は,近隣の道路が何か所か冠水した程度だったと思います。
(正確には調べていませんが。)
もしかしたら,床下浸水はあったかもしれません。



実は,私は床下浸水の被害にあったことがあります。
中学2年の時です。
当時は同じ網干の別の地区に住んでいました。

「赤いシリーズ」(山口百恵の)を見る時間のころに落ち着いた
(床下と玄関まで水が来たけど,床上には上がらず,水が引き始めた。)
のを覚えています。
次の日当たりに,パンが配られました。
床下の水をかき出したのを覚えています。
当時通っていた網干中学校は,
1階は水につかりました。
体育館は,床がはがれ,反りあがったと聞きました。

翌週,月曜日か火曜日に学校に行くと,
クラスメートのうち,1番被害が大きかったこの家は,床上50センチだったと聞きました。
運動場には,上靴が散らかっていました。

あの水害は何だったのだろう?

40年以上たった今日,調べてみました。

昭和51年(1976)9月8日~13日 台風17号
台風は9日に沖縄の東海上を北上、
10日に奄美大島の西をかすめた後、
大陸の高気圧が日本海方面に張り出してきたため鹿児島の南西海上で一時迷走した。
12日午後から次第に速度を速めて北上し、13日1時40分頃に長崎市付近へ上陸した。
この間、兵庫県では大雨が降り続き、
8日に淡路島南部で200mm、
9日は淡路島南部と県南西部沿岸地域で100mm、
10日には県南東部を除く全域で200mm以上、
県南西部の沿岸地域では300~500mmという記録的な大雨が降った。
11日は県南西部の県境付近で200~300mm、
12日も引き続き県南西部で100mmという大雨が降り続いた。
台風が九州に上陸した13日になって県南西部の大雨はやっと弱まったが、
午後になって県中部で50~100mmの強雨が降った。
この期間の総降水量は、県中部と南西部で500mm以上、
家島では1,000mm以上という記録的な量に達し、大きな災害が発生した。
(兵庫県CGハザードマップ)



昭和 51 年 9 月洪水の被害状況
(大津茂川水系河川整備基本方針(案)流域及び河川の概要に関する資料
 平成 26 年 2 月 兵 庫 県 )

       姫路市    太子町     合計
死者        6人      0     6人
負傷者        4人      9人     13人
家屋全壊     7戸   1戸    8戸
家屋半壊    63戸   2戸    65戸
床上浸水    6,891戸  401戸    7,292戸
床下浸水   22,412戸   1,095戸   23,507戸
田畑冠水    3,253ha 0    3,253ha
橋流出     12件 0    12件
道路決壊    128箇所 0    128箇所
山、崖崩れ   241箇所 0    241箇所
※たつの市は不明
出典:姫路市地域防災計画、太子町地域防災計画
(なぜか数字がきれいに並びません。入力段階ではきちんと並んでいるのに・・・。
 見にくくて,すみません。
 ちなみに,我が家は 22,412戸のうちの1件です。)



ちなみに,今回の降水量は,
揖保川下流域:
 5日4時20分から7日4時20分までの流域平均雨量
  313ミリ
この時間以降ははっきりした数字は分かりませんが,
NHKテレビデータ姫路市の降水量から推測すると,
少なくとも,50ミリは降っていると思います。

ちなみに,姫路測候所の7月平年値は160ミリ余りです。
(上記の 平成 26 年 2 月 兵 庫 県 )

(7月9日「梅雨明けしたとみられる」と大阪管区気象台が発表。
 6月6日の梅雨入りから,7月8日までの降水量 
 姫路:509.5ミリ (平年194.8ミリ)
 朝日新聞7月10日朝刊より   この部分,7月10日追記)
 


この度の水害で多大な被害に遭われた皆様に謹んでお見舞い申し上げます



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