ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

室津 賀茂神社 ちょっとお散歩

2015-12-30 16:37:14 | 日記
前に賀茂神社に行ったのは9月だったと思います。
3ヶ月しかたっていないのに,雰囲気が違いました。
お正月準備だからでしょうか?
重要文化財とか書いた旗がたくさん奉納されていました。
ずらっと,参道,階段の下から上まで。そして本殿の前も!

12月も30日だというのに,仕事が終わったやれやれ・・・
と掃除もせず,うろうろ散歩するのは私と娘ぐらいかと思いきや,
賀茂神社には,先客2人,そして私たちの後にすぐ2人
後から来た2人は何と明石から自転車で来たそうです。
私が思わず,
「え!?! あかし!」と言うと,
「自転車に乗る人はみんなそんなもんですよ。」
と,お守りを買っていました。

ところで賀茂神社
室津自体は,播磨風土記にも出てくるそうで,
「室原泊(むろのとまり)」と記されているそうです。
(賀茂神社の案内板による)

賀茂神社はいつからかわからないそうですが,
平清盛らが厳島神社参詣の時,立ち寄ったそうです。

本殿と拝殿が離れている造りは珍しいそうですが,
今日の今日まで,その本殿と拝殿の間を歩いていたことを知りませんでした。

娘が本殿の裏を見たがるので見に行くと,
小さな社
ちょっと戻って,そのまま裏を歩くとまたまた小さな社がいくつか・・・
そして,反対側には,ソテツ
今日の今日まで,正面しか知りませんでした。
(ソテツは参道からも見えますが)

今日も室津は,牡蠣の試食があったようで,まだお仕事って感じでした。

実家の父の実家の隣の家がいつの間にかなくなって更地になり,駐車場になっていました。

古くから栄え,清盛も来て,尊氏も来て,
江戸時代には本陣が並び,朝鮮通信使も訪れ,シーボルトも訪れた室津です。
ちょっと寂しかったですね。

今晩息子が帰ってきます。
正月親戚が来ます。

良いお年をお迎えください。

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歴史ミステリー 日本の城見聞録 姫路城 BS朝日

2015-12-28 13:45:51 | 日記
12月17日(木)BS朝日放送の「歴史ミステリー 日本の城見聞録 姫路城」2時間 

ハードの保存していたのを,時間のある時に少しずつ見ています。

今,姫路城は,正面から入りますが,
「確かに東からはいる門もありました。」
動物園側です。
でも,本当は入れないのですか・・・。

「白いのは,秀吉の黒と反対にするため。」
聞いたことがあります。

姫路城主は次々変わっています。
以前,歴博ボランティアの大先輩Mさんは,“姫路城主は転勤族”と言っていました。

関ヶ原後でも,まだ油断ならなかった時に建てられたから,姫路城はこんなにも大きく立派な城です。

でも,大阪の陣が終わると,今度は,姫路城は徳川にとって逆に不安材料に・・・。
のちに,池田家は転封。

この番組は,余計なタレントの話がなく,
説明もわかりやすく,
また,普段,見ることができないところまでテレビカメラが入って見せてくれるし,
自分の勉強のためになりました。

かつて,高校入試の時,
教室の窓から見える姫路城に圧倒されました。

今は,月2回の歴博通いで姫路城を見ています。

【2016年1月7日(木)夜7:00~10:54放送】
新春4時間スペシャル 永久保存版! 現存12天守に攻め入る!!

楽しみにしています。
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江戸幕府の財政

2015-12-24 14:02:36 | JMOOC
現在,JMOOCでは,「歌舞伎の経済学」を一応受講中。
「一応」の理由は,登録はしているけど,
他のことに忙しかったりで,
あまり,いやほとんど,勉強をしていない・・・ということです。

用事をしながら,ちょこっと聞いているだけなので,きっと,最後までいかないでしょう。

でもその中でおもしろかったこと。

江戸幕府の財政。

幕府の財政 支出は,
①1730年頃(享保の改革の頃);73万両(人件費が約30万両 約4割)
②1844年頃(天保の飢饉の後);213万両  約3倍に

収入は,
①1730年頃;年貢収入は,50万両(収入の約8割)
      両替商からの借り上げは,3万両
      貨幣改鋳益は,収入の1%
②1844年頃;年貢収入は,65万両
      両替商からの借り上げは,70万両(収入の約3割)   
      貨幣改鋳益は,86万両(収入の約4割)

だそうです。


ちなみに,今日,来年度予算案を閣議決定
NHKニュースによると,
一般会計の総額は,過去最大の96兆7218億円だそうです。
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高田屋嘉兵衛・北風家・松右衛門

2015-12-19 10:03:37 | 歴博
昨日は歴博。

職員さんと雑談をしていて,室津の話が出ました。
「子どもの時は,室津が昔,どんなところだったかよく知らなかっくってね・・・。」
等々話していると,はっと思い出しました。

「今読んでいる『菜の花の沖』にも,室津が出てくるんですよ。
遊郭があって,船乗りたちが一休み・・・とか。」
と,私が笑いながら,図書館で借りている『菜の花の沖』2巻をカバンの中から出すと,

「あ,松右衛門。え,北風。」
と,その職員さん。

松右衛門は,「松右衛門帆」をつくった人,と職員さんは教えてくれました。
この前の,特別展「北前船」で展示していたのです。
私って,何を見ていたんでしょうねえ。


「北前船」の図録を見ると,松右衛門帆について,こう書いています。

「綿布で制作された帆布。
18世紀後半,播磨高砂の工楽松右衛門が,
播州の特産品でもある太い木綿糸を用いてそれまでより厚く丈夫な帆布を開発し,
以後「松右衛門帆」として普及することになった。
松右衛門は自らも兵庫津を拠点に北前船を経営し,
18世紀末には幕府の名を受けてエトロフ島の埠頭開発にも従事した。
松右衛門のエトロフ開発は,
その後の高田屋嘉兵衛へと引き継がれていく。」

図録には,北風家文書もありました。
歴博の中に,北風正造の展示もありました。
(『菜の花の沖』に出てくるのは,正造の父。)

歴博・・・,といっても,
私は本の部屋で本やパンフレットの整理をしたり,
歴博に来た人の質問を受けて本を探したりするのが,ボランティアとしてのお仕事です。
以前にも書きましたが,解説は講習を受けていないので,できません。
でも,歴博の展示内容を勉強するのは当然ですよね。

『菜の花の沖』がまた1つ教えてくれました。




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念仏道場専称寺

2015-12-16 12:05:12 | 日記
戦国時代,英賀本徳寺の勢力は,今の姫路の白浜あたりから,たつの市御津町室津あたりまでだった,
と,いつだったか網干興浜のボランティアの人から聞いたことがあります。
本願寺勢力の西の端,英賀

昨年の大河ドラマ「軍師官兵衛」でも,英賀は出てきました。
官兵衛からいえば,敵になるわけですが・・・。


さて,念仏道場専称寺(称は本当は旧字体です。文字が見つからなくて,すみません。)

15世紀の播磨文明道場
元播磨文明三道場の一つ津市場道場

文明年間(1469~1486)蓮如の直弟子祐全が
初めて英賀に道場を建立,その後播磨各地に,町内には播磨六坊,
農村部には播磨三道場を設け
これらを文明道場と呼んだ。
三道場の一つ潮音山専称寺は潮の音に囲まれた念仏の道場で
当時は末寺50余りを支配したと言う。

と,門を入ってすぐの看板に書いていました。

何とも言えない,威圧感・・・といっていいのか何と言っていいのか・・・

英賀は,信長ー秀吉に敗れるわけですから,
専称寺も勢力をそがれるのでしょうか?
(ちなみに,英賀本徳寺は移転?その後の浄土真宗の分裂もあり,
 現在は,亀山本徳寺・船場本徳寺があります。)


今日は自転車での買い物帰りにちょっと大回りしました。
近いのに,何で今まで行かなかったのかしら・・・。
今は,昔の細い道を通って通っていったところに
こぢんまりとあるお寺ですが,
圧倒されました。
本堂など中には入っていませんが,
この感覚・・・久しぶりかも・・・
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