ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

地味~に古文書頑張ります!

2016-03-27 16:41:57 | 古文書
奈良文化財研究所, 東京大学史料編纂所が一昨日,公開したばかりの
「解析:木簡・くずし字解読システム」
また,今日も試してみました。

今度は,次の古文書の課題の文字

・・・・・

参考にはなります。

でも,よく読める人がどうしても分からない文字を調べるヒントにはなると思いますが,
“このシステムで,全く古文書を読めない人でも読めるというモノではない。”
と思いました。

私の場合,
まだ,応用コースステップ2です。

学生時代も含め,過去何回か古文書に挑戦し,挫折し,
この度やっと,自分で何とかなりそうだと思うところまで進んできました。
そんな私にとっては,
今のテキストを読み,課題の添削してもらいながら,
今までと同様に,コツコツと勉強していくのが古文書読解の力をつける方法と思えました。

課題文を読みます。
分からなければ,テキストに戻って読み返します。
そのなかで,似たような文字や言い回しを見つけます。
そんな地味~な勉強のくり返しでないと,古文書は読めるようにはならないと・・・
(システム使ったから簡単に読めたら今までの苦労はなんなの?ってなるよね。
 世の中そんなに甘くない!)


と言うことで,
地味~に古文書頑張ります。

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「解析:木簡・くずし字解読システム」さっそく使ってみました。

2016-03-26 16:36:36 | 古文書
奈良文化財研究所, 東京大学史料編纂所がきのう,公開したばかりの
「解析:木簡・くずし字解読システム」
さっそく使ってみました。

今日の朝日新聞に載っていたんです。
こんなシステムができたと

「お手持ちの文字画像(一文字分)から似た形の文字画像が解析できます。」
と書いてくれています。

①古文書で読めない字があると,
 その文字を写真に撮り,パソコンに入れます。
②「解析:木簡・くずし字解読システム」をインターネットで検索して,
 そのページを出します。
③写真に撮っていた一文字を
 「解析:木簡・くずし字解読システム」の
 「画像選択一字分」のところにコピーします。
④「解析する」を押します。

すると,ジャーン!!!

⑤まず,該当しそうな文字が8文字出ます。
⑥そこになければ,100文字まで出ます。


先日返ってきた古文書の添削,
まちがえた文字を写真に撮り,やってみました。

正解は「恐」ですが,私は「思」と書いてしまった文字です。
「解析!」・・・・・100文字でも出てきませんでした。:残念
(「忠」ならあったけどね。下の心ははっきりわかりました。)

いろんなクセがあるからそんなにうまくいくわけないのかな?
と思いながらももう一文字

これは正解だった文字「哉」
「解析!」・・・・・100文字の所にぴったりの文字が出てきました。
やった!!!

古文書の好きな方,一度試してみてください。
辞書も使っていましたが,辞書より調べやすいですよ。
うまく出てこないこともありますが・・・
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黒田基樹(「真田丸」時代監修)『百姓から見た戦国大名』

2016-03-23 11:07:53 | 日記
おもしろいです。

真田丸もこの本も


「軍師官兵衛」の時,播磨の領主・・・
(と言ったらいいのでしょうか?戦国大名と言うべき?・・。正しい呼び名は分かりませんが,ここでは,「領主」に統一します。)
播磨の領主は大変だと思いました。
織田と毛利に挟まれ,生き残るためにどっちにつくべきか・・・。

「真田丸」では,織田の後,
徳川につくべきか,北条につくべきか,はたまた上杉か?
小さな信州の領主(こっちは国衆ですね。)たちは大変です。
徳川と北条が手を結んだ前々回(?だったかな?)は,声を上げてビックリしましたね。テレビの前で。

そして思いました。
戦国大名だの,領主だの,そういう人はいいよね,こき使われる農民はもっともっと大変じゃないですか。
戦争になったらかり出されるし,田畑は荒らされるし。


この考え,根本的に間違っている!!!

確かに,戦争にかり出され,田畑は荒らされ,百姓は気の毒(?)でしょう。
でも,戦国大名や領主は百姓によって選択されているのです。


まず,戦国時代は,戦国大名が戦争をしているだけではありません。
百姓間においても,たえず,近隣の村と争っています。
それも,武器を持って
自分の村だけでは力が足りないので,合力する村が存在します。
お互いに協力するのです。敵の敵は味方と言った具合に
なぜそうなるのか
飢饉と戦争が常態化しているからです。

年貢・公事などは,大名や領主・村の間で行われ,
領主が個々の村人に課すのではない,
教科書でも出てくる「村請」です。
戦国大名は一方的に支配するのではなく,「契約」で成り立っています。
領主は支配下の村の戦争に「合力」し,
外部勢力の侵攻から防衛します。
村は,この領主ではダメ・・・と思えば,違う領主に代わります。
「飢饉と戦争が日常化していたなか,
 村の平和と安穏を保障する,
 それが大名や領主の責務であった。」(137ページ)

また,
「戦国大名があれほどまで侵略戦争をを続けた根底には,
 慢性的な飢饉状態があったとみても,的はずれではなかろう。」(58ページ)
そして,略奪のため,戦争をするのです。


そういえば,
本郷和人氏の「日本中世の自由と平等」(JMOOCの講義)のなかで,
「戦国大名は,みんな京都を目指していたわけではない,
 ドラマではまるで,戦国大名がみな,天下をねらっていたようにしているが,
 ねらうのは信長ぐらいだ。
 実のところ,自分の領国を支配するのがやっとだった。」
と言うようなことを聞きましたが,このことにもつながりますね。

それが,秀吉の「惣無事令」
つまり,
「全国の戦国大名に停戦を命じ,
 その領国の確定を秀吉の裁定にまかせることを強要した。」(山川日本史152ページ)
以降,徐々に戦争による紛争解決ではなく,
「裁定」による解決へと流れていく。
徐々に・・・
村でも・・・

江戸時代は,はじめの頃はともかく,
次第に,戦争のない時代になり,
生産量も増え,人口も増える。

ちょっと歴史学をかじったことのある私にとっては,
ある意味,懐かしい,でも,新しい本でした。

大河ドラマ「真田丸」では,こういうところはほとんど描かれることはないでしょうが,
ドラマがいっそう面白くなりそうです。




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太子町立歴史資料館「お殿様ご到着」

2016-03-12 10:14:22 | 日記
実は,先に書いた龍野歴史文化資料館に行った2日前,
いつも行っている太子町立図書館の隣の歴史資料館に行っていました。

~山陽道宿鵤(いかるが)宿・本陣五百井(いおい)家から~と副題があるように,
江戸時代の本陣五百井家に残る
藩から出された御法度や宿の休泊帳などが展示されていました。

遊女を泊めてはなりません。とか,
病気の人は診てやりなさい。とか,
古文書の勉強のテキストのような内容でした。
これは何とか読める・・・?・・・のですが,
宿の休泊帳になると,字の崩れ方が大きくて,わかりません。
(勉強せんと・・・)

普通は,本陣ではご飯を出さないのですね。
知りませんでした。
(幕府の使者など特例はあります。)
大名行列などは,その中に料理人もいるそうです。
食材はどうしたんでしょうね?
朝鮮通信使の料理を思い出しました。
(朝鮮通信使は,接待などはのぞき,
 通信使のなかに,料理人がいて,
 食材は幕府の指示に基づいて藩が用意していました。)

幕末,薩摩,島津久光は大軍を引き連れ,京,そして江戸に行きます。
その時,伏見(京都)では,寺田屋事件にからみ,
江戸に行った帰り,生麦事件を起こすというあの時の薩摩です。

一部がこの五百井家の本陣に宿泊し,
宿泊者名に「小松帯刀殿」の文字も残っています。
「大河ドラマ篤姫で瑛太が演じた小松帯刀」と言った内容の解説もありました。
ただ,この古文書は本物ではなく,古文書の写真の展示でした。


図録を買って帰ろうと思ったのですが,
残念ながら4月にならないとできあがらないとのこと・・・

また,図録を買いに行きますね。


最近,暇を見つけては,立て続けに出かけましたが,
これからしばらく仕事が忙しくなるので,当分更新できないと思います。

次回更新はしばらくお待ちください。
(待っている人はいないかもしれませんが)
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秀吉の手紙 その2  特別展「秀吉からのたより」

2016-03-11 12:26:15 | 日記
1月22日に「秀吉の手紙 その1」を書きました。

今日,行ってきました。
たつの市立龍野歴史文化資料館

特別展「秀吉からのたよりーよみがえる龍野神社の宝物」

まず,修復について

たまたま資料館の人がいたので聞きました。
以前,陸前高田市の古文書レスキューの話を聞いたことをいうと,
「あれは,ぬれてすぐ修復できた。
 でも,この古文書は,火事に遭い,消火で濡れ,そのまま2年間放置された。」

入り口には,焦げて,はりついて,ただの紙のかたまり,
いや紙か何かも分からないようなものも展示してありました。
修復が終わったのはごく一部とは思いますが,
その修復できて展示してあったものについて少し書きます。

歴史の流れはさておき,
修復された古文書は,いかにも濡れましたといった感じのシミだけでなく,
黒く焦げたようなあとがあるものも多いので尋ねると,
「すすがしみになって,取れないのです。」
とのこと。
もちろん,穴が開いたであろう所もあり,
同じような紙でうめてはいるものの,当然,その部分の文字は見えません。

そんな古文書を解説を見ながら読んでいきました。

見て思ったのが,秀吉からの手紙最初の方,
山崎の合戦のころは,秀吉の花押が書いてありました。
賤ヶ岳の戦いの頃の手紙からは,朱印でした。
あとで,資料館の人に聞くと,
「秀吉の朱印が出てきたのはこの頃ですが,花押はまだ続きます。」
「右筆が書いて,花押や朱印は,秀吉ですか?」と尋ねると,
「花押も右筆が書くこともあります。」とのことでした。

前半目立つのは,木材に関する朱印状。
新聞にもあった通り,
これでもか,これでもかと言うぐらい木材の催促が続きます。
「木材ってそんなに重要ですか?」と尋ねると,
きっぱり,
「重要です。この時代は建築ラッシュです。
 江戸時代の初めには木材不足になります。」とのことでした。
城や橋など土木工事そんな古文書がありました。

いわゆる朝鮮出兵に関するものも多かったです。
国内でいくさをし,全国を統一し,そんななかでも,土木工事にも気を配り,
そんな秀吉の朝鮮出兵・・・
書き始めるときりがないので,資料館の話はこれくらいにします。

資料館の方だけでなく,
資料館で出会った“おじさん”とのお話しも面白かったです。

買ってきた図録は,古文書集とセットになっています。

木材に関する古文書だけでも,(と言っても,10枚以上あるけど)
読み下し文を参考に読んでいきたいです。

PS.今日は東日本大震災からちょうど5年です。
 陸前高田市の博物館の人は,あの日出勤していた人全員が亡くなられたと
 古文書レスキューのお話しの時に聞きました。
 せめて,地震の起きた2時46分頃,黙祷しようと思います。

追記(3月12日)
陸前高田市立博物館の古文書など文化財レスキューについては,
昨年,阪神・淡路大震災20年にあわせて兵庫県立歴史博物館で
岩手県立博物館の方,新しく陸前高田市立博物館の学芸員になった方からお話を聞きました。

今回の古文書の修復も大変だったと思いますが,
もちろん,陸前高田の方も大変です。
「文化財や古文書なんてどうでもいい,もっとすることがあるでしょ?」
と言う市民もいたようですし,そう言うのも当然のことと思います。
この時の古文書の修復については,
「大津波被災文化財保存修復技術連携プロジェクト」
「歴史資料ネットワーク」
で調べていただければ,分かると思います。
今も,手つかずの古文書・冷凍保存されたままになっている古文書も多いのではないかと思います。


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