ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

『播州名所巡覧図絵』

2019-06-26 14:18:37 | 日記 本
太子町立歴史資料館『お殿様ご到着』に載っていた本です。

『旅からわかる江戸時代[全3巻]』という児童書を読み,
江戸時代の旅がおもしろくて,
『現代訳 旅行用心集』を読んでいっそう面白くなって,
『東海道名所図会』の「〈上〉京都・近江・伊勢編」も図書館で借りたのですが,
地名や名所がわかるようでわからなくて,
そのまま読まずに図書館に返しました。

次は,『播州名所巡覧図絵』を借りたわけですが,
現代語訳ではないので,難しいのですが,
適当にそれも我が家の近く,
姫路や網干周辺だけ読み(?)ました。

さて,「姫路鎮城(ちんじやう)」
「古城主は村上帝第七乃皇子具平親王十五世の苗裔赤松播磨守則村二男筑前守貞則
 初めは後醍醐帝に従ひ元弘の頃営館を姫山に構へて・・・」と28行もの説明が続く。
「豊臣秀吉を号し関白を歴(へ)て太閤に昇進給ふ
 依之日本乃諸侯領地を変改ある
 慶長五年に池田少将輝政に当国を賜り播備淡三州の太守たり・・・」
え?秀吉が池田輝政を播備淡三州の太守にしたわけではないでしょ?
秀吉は死んで,関ヶ原があって,その後,家康から播備淡三州の太守に任命(?)されたのでしょ?
「家康」が出てこない?
きっと,理由があるんでしょうね?(単なる読み間違いだったりして)
でも,秀吉だけでなく,官兵衛のこととかも詳しい。

おもしろい!

姫路総社・・・
「総社伊和大明神」;今と同じ建物の並び?空襲で焼けたはずなので,建物は変わっているはずです。
「総社臨時祭礼行列」;4ページにもわたって祭の絵が描かれています。
           姫路城の絵はないのに。(姫路城は描くことができないのかなあ?)

けんか祭の「松原八幡」も描かれています。
じゃあ,魚吹八幡神社は?
・・・ない・・・?
と思ったら,
「網干 宇須幾(?)八幡宮」とありました。
もちろん,イラスト付きです。

ほかに,網干では・・・と見ると,
土井(?),熊見(これは今もあります。)
宇須幾浜祠(うすきはまやしろ);網干宮津八幡宮也
                福井の庄宮内村ニあり
投石城址;福井の庄網干にあり 元亀年中(1570年~1573年)明石備前守正景(?)これを守る
(投石城?・・・ネットで調べると,出てきました。姫路市網干区網干にあるそうで・・・?
 ・・・思い出した!『峯(峰)相記』!悪党で有名な本。
    明石と投石の警護して,悪党の活動がおさまった?)
朝日山大日寺;福井庄朝日谷村にあり 真言宗・・・今もあります。
鶴立山大覚寺;網干 沖の浜(現在は興浜) 真言宗(今は浄土宗)
林松寺;今もあるある!
丁(よほろ?)村;福井庄よほろ村 朝日山の南なり
         今は丁(よろ)といいます。
陣屋;沖浜村揖保川尻にあり 丸亀領舟の入川あり
   今も網干の史跡です。
化粧(けわい)坂;新在家にあり(?)
         どこ?
         調べると,なんと網干小学校ホームページ「歴史ウォーク」に
         「網干小学校に残る龍野藩蔵屋敷跡化粧坂の由来を学習した」
         え?網干小学校内にあるの?
         私も,うちの子たちも網干小学校なのに知らなかった・・・。で,何?

「福井庄」というのが気になります。
網干周辺は中世は神護寺領福井庄でした。
もう荘園はないのにねえ。

ものすごくローカルになりました。

ほかにも,廣峯,増位,書写,飾磨津(飾間津と書いているところもありました。)などなど・・・

きりがないので,今回の超ローカルなブログ,これで終わりにします。
失礼しました。

PS.この本,もとは文化元年の本です。


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浮世絵EDO-LIFE

2019-06-26 13:13:07 | 日記 テレビ
Eテレ 毎週水曜 午前5時55分 | 毎週金曜 午前11時45分
1回5分,浮世絵1枚の解説。
Eテレだけど,
江戸っぽい(?)かるく,楽しく,
それでいて,江戸時代庶民の風習や生活,考え方がわかってくるような気になる(?)番組です。

さて今日は・・・
「これぞ粋!女心透ける広告 歌麿 夏衣裳当世美人ちぢみ向キ」
絵は,「歌麿」のようです。



女性の横には,虫かご,蛍が入っているそうです。
この女性はまゆがあるから,子どもはいない,
でも,お歯黒をしているように見えるから,結婚しているか,直前。
着物は黒の縮だけど,うっすら赤く見えるところは,下の着物の赤が透けて見えているから。
などなど,解説付き。

実はこの絵,
右上を見てください。
越後屋の広告です。

先週は,国芳「相馬の古内裏」
歴博の五大浮世絵師展にも展示されていて,
私がクリアファイルを買ったものです。

来週は,「なんだか怖そう…国芳“みかけハこハゐがとんだいゝ人だ”」です。

少し前になりますが,
広重の「堂じま米あきない」は
何と江戸時代,大坂堂島の米の先物取引の絵でした。
あれは,勉強になりました。!

最近,浮世絵大好きのATSUでした。
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文久2年,寺田屋事件の前に薩摩の一行は,室津や山陽道鵤宿・本陣五百井家に

2019-06-20 14:38:28 | 古文書
NHK学園古文書2018年度解読実践コース第9回課題は,
「文久の京都情勢ー「平田延胤見聞書」より(文久2年)」です。

文久2年(1862年),延胤が秋田藩から京都の情勢探索を命じられ,
上京して見聞をまとめた報告書の写しです。

なんと,この中には,「寺田屋事件」に関することも書かれています。

ここでは,古文書解読に関係するようなことは書きませんが,・・・

Wikipediaによると,
薩摩の島津久光らが京都・伏見に入ったのが,4月13日,
寺田屋事件は,4月23日です。

その前,薩摩を出た久光一行は,
播州室津(姫路藩飛地)で宿泊。
(我が家から室津へは車で西へ約10分)
写真は,室津海駅館の常設展(写真撮影可)

「下宿帳」



4月3日4日5日と書いているのが見えます。
「小松帯刀様」の字もはっきり,
「大久保一蔵様」も見えます。

そして,2016年3月,
特別展(企画展だったかな?)
太子町立歴史資料館
「お殿様ご到着~山陽道鵤(いかるが)宿・本陣五百井(いおい)家から~」
(写真撮影可)
(我が家から太子町鵤へは車で北へ約10分。ただし,JRの踏切に引っかからなければ)



4月6日と書いています。
「小松帯刀様」も見えます。

(なぜ,「小松帯刀」ばかり書くのか・・・
 それは大河ドラマ「篤姫」の小松帯刀のファンだからです。)

課題,頑張ります!


PS.太子町立歴史資料館
「お殿様ご到着~山陽道鵤(いかるが)宿・本陣五百井(いおい)家から~
の図録をすぐ近くの図書館で借りてきました。
図録によると,
4月2日に室津着,一行548人は本陣薩摩屋などに宿泊。
4月6日朝,室津出発。
     四ツ時(10時過ぎ)に鵤到着。
     小休したのち,姫路で陸路を来た藩兵たちと合流,京都に向かう。
となっています。
室津では泊まっていますが,鵤では小休です。

いつも図録は必ず買うのですが,この展示の時は,
展示が始まるまでに図録が出来上がらず,(なんで間に合わない?)
買い損ねました。

今日(6月21日)追記し,一部訂正しました。
コメント (2)
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江戸時代の旅の本:『現代訳 旅行用心集』

2019-06-12 15:01:46 | 日記 本
『旅からわかる江戸時代[全3巻]』のおかげで,
江戸時代の旅の本がおもしろくなりました。

『旅からわかる江戸時代』の2巻『庶民の旅』に載っていた
八隅 蘆菴 (著), 桜井 正信 (翻訳)『現代訳 旅行用心集』
まず,現代語訳の部分を読みました。



「読書メーター」感想より
『旅からわかる江戸時代2庶民の旅』を見て,面白くなって借りた本。
江戸時代の旅のまさに「用心集」。
細かいことまで注意点を書いている。
30数年前,初めて海外旅行に行った時,
旅行社の方が,いろいろ注意点を話してくれたことを思い出しました。
…江戸時代,意外と薬を持っているんですね。
歩きはじめの注意など,今にも通じそうです。
でも,
「船に酔ったときは,ひどく吐いた後,のどが渇くものだ。」(ここまでは納得)
「そのときは,子どもの便を飲ませなさい。」(えっ?)
「それがなければ,大人の尿を飲ませなさい。」(きゃ~!やめて!)でした。

時々,絵も描かれていたり,温泉や観音霊場の紹介もあったり,
「駄賃付け」といって,次の宿までの馬代などの表もあります。
現代語訳ですし,楽しく読めますよ。


さて,現代語ではなく,
江戸時代のものも縮小コピーで載っていますが,
拡大コピーすると,なんとか読めるところもあります。

当時の表現がわかっていいですね。
やっぱり現代語に訳すと,
訳す人が現代人向けにしていることがわかります。

たとえば,
「伊勢参宮に行くというのは,日本に伝わるありがたい習わしではないだろうか。」
と訳していたところ,
江戸時代の原文の方は,
「伊勢参宮の願は成就することのなわらしハ 我神国の有かたきことならずや」
です。

違いますね。
だいたいこの本が作られた
「文化7年」
「日本」という感覚はどの程度あったのでしょうか。
私は???です。


コメント (9)
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「完璧が見えて来る」(?)(条件付き)

2019-06-10 11:53:37 | 古文書
NHK学園「古文書・解読実践コース第7回」2018年度C・D
返ってきました。
「A」です。
先生は,
「今回はもう一息。
 確実に解読できれば
 “完璧”が見えて来る所までまとめる事ができましたね!」

今までで最高の褒め言葉!
「確実に解読できれば」という条件付きですが,
“完璧”という言葉はむっちゃうれしいです。

しかし,
続きません。

第8回,まもなく提出ですが,
こっちは“完璧”は見えません。・・・自分でわかります。


さて,前回の「あなたの声」,「参らせ候」です。
先生は,
「くずし字,“あるある”ですよね。
 (中略) 
 形の解説を求められるとこちらも“う~ん”となってしまします。
 (そんなに多くはないのですがね。)」
とお返事をくださいました。

ほかに課題の文書の質問もしているのですが,
こちらも丁寧にコメントをくださいました。
まだ,第7回の課題が終わっていない方もおられると思いますので,
このコメントについては,ここに書くのをやめときます。

いつも先生は,丁寧にコメントや解説,くださいます。
それも「あなたの声」までも。

きっと,何も質問等されない方に比べてみれば,
私の課題の添削等にかかる時間は,2倍ぐらいかかっているのでは・・・。
と思います。

先生,いつもありがとうございます。


では,いつものように第8回の「あなたの声」

「幕藩所領が錯綜している地域」

今回の課題は,
一つの村の中に複数の「村」があるといってもいい状態の「相給村」という
特殊な事情がある村の「済口(すみくち)証文」でした。

私が住む網干(現在は姫路市網干区)は,
江戸時代中期以降,
龍野藩や同藩預り幕府領・一橋領・讃岐国丸亀藩飛地と錯綜している地域でした。
網干の歴史を調べたくて見た『姫路市史第4巻本編近世2』には,
すぐ近くの飾西郡才(さい)村(現在は姫路市広畑区才?)は,
酒井家(姫路)領と龍野藩の相給村だったことが書かれていました。

(才のことはよく知りませんが)
藩は違っても,「網干」は「網干」です。
余子浜村・新在家村・興浜村は「網干三カ村」とよばれ,
『姫路市史』には,
「揖保川河口の網干地域には,
 (中略)
 年貢米を主とする諸物資の流通の中継地として
 それぞれの役割を果たすことによって,
 一定のまとまりを持っていたのである。」
と書かれています。

今も網干地区は,前述の三カ村を含む24カ村で盛大に魚吹(うすき)八幡神社の秋祭りを
毎年10月21・22日に行っています。

(播磨地方最大24カ村,1万数千戸の氏子の祭りです。
 ちなみに,この秋祭りの地区は,
 中世においては同じ荘園(神護寺領福井荘)でした。)
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