子どものころの思い出の一つ。
秋,祖母の家に行って,お祭りを見たことです。
獅子舞も見たと思うのですが,はっきり覚えていません。
ある年,当時は「ひみつのアッコちゃん」が流行っていて,
お祭りの出店のくじを何度もひいて,
アッコちゃんのテクマクマヤコンを当てようとしたこともありました。
結局,テクマクマヤコンはあたらず,
あきれた母が買ってくれました。
その祖母の家は,相生。
そのお祭りをしていた神社は,相生天満神社。
鎌倉時代,相模国から地頭として赴任した海老名氏が創建したものということを,
この度,初めて知りました。
矢野荘は学生時代に宿題だったかな(?)レポートを書いたことがあります。
その矢野荘のことを展示している相生市立歴史民俗資料館に行ってみよう!
と思い立ち,
ワクチンも打ったし,コロナも以前に比べたら落ち着いてきているし,
7日,ふらっと電車に乗って出かけました。
電車の待ち時間と電車の中で,復習。
家にあった本
永原慶二『荘園』の矢野荘関係だけ読みました。
懐かしいですね。昭和56年発行です。
さて,矢野荘
相生市立歴史民俗資料館のホームページには,
「東寺百合文書は,矢野荘の様子を今に伝えています」と書かれていますが,
矢野荘はほぼ現在の相生市だそうです。
東寺百合文書は,京都の東寺に伝えられた日本中世の古文書で,
8世紀から18世紀までの約1千年間にわたる膨大な量の古文書群で,
その数はおよそ2万5千通に及びます。
また,2015年に世界の記憶に登録されています。
『相生市史』には,矢野荘関係の東寺百合文書が
活字になって,すべて載せられているそうです。
矢野荘について書くと,きりがないのですが,
相生市立歴史民俗資料館には,わかりやすく説明されていました。
1075年,矢野荘の前身,久富保の開発。
その後寄進され,美福門院は矢野荘の立券完了。矢野荘が成立します。
皇室領荘園となりますが,
鎌倉時代承久の乱後,地頭が送られてきます。
それがはじめに書いた海老名氏です。
その後,矢野荘例名(りょうみょう:矢野荘の約60%)では,
地頭が年貢を滞納するようになり,
下地中分が行われ,地頭方と領家方に分割されます。
(高校日本史の教科書のような単語が続きます。)
1313年,矢野荘例名領家分は,東寺に寄進されます。
(その後も,高校日本史そのままのような単語が続きます。
学生時代レポートで書いた「悪党」などなど・・・
難しくなるので,パスします。)
そして,
1527年を最後に,東寺に年貢は送られなくなります。
いくつか古文書も展示していたのですが,
「写真はとってもいいけど,アップしてはいけません。」とのことなので,
今回は資料館の内部の写真は載せません。
矢野荘の産物は,那波の市で取引され,年貢は銭で京都に送られたそうです。
那波とは,相生市立歴史民俗資料館周辺です。
古文書は載せられませんが,
那波周辺の海(いや,川かな?)の写真です。
右手の建物は,「IHI」もと,石川島播磨重工業,
左は道の駅「あいおい白龍城」です。
相生市立歴史民俗資料館は無料。
矢野荘のことばかり書きましたが,もちろん古代から現代まで展示解説しています。
でも,職員さんのお話では,矢野荘の調査のために来られる方もいるそうです。
(少しお話しましたが,いろんなお話が聞けて楽しかったです。)
今回は,電車&徒歩で行きましたが,
今度は車で行って,相生天満神社などもっと広範囲を見て来ようと思います。
子どものころの思い出ばなし等,
長々と失礼しました。