ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

現在,気持ちがふらふらしながらも,「除蝗録」頑張っています。

2016-05-30 15:18:40 | 古文書
時間をかければ,いろんなことがわかってくる。
なるほど,意味がわからないと思っていた語句は,著者は大蔵永常の別名だったのか・・・とか,
文字にとらわれながら,でもとらわれ過ぎず,古文書の文章を読んでいく。
とにかく難しいけど,時間をかければ,少しずつわかってくるような・・・。

現在,NHK学園古文書講座応用コースステップ2
課題2「除蝗録」

すごいですね,江戸時代って。
農業のことを真剣に書いた書物があり,
それを読む人がいて,
それを活かすんですね。

そういえば,
田中優子『カムイ伝講義』にも,そんな農民たちの姿が描かれていました。

今日はここまで,
今度は,「除蝗録終わりました。」
と書きたいです。
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若冲もいいだろうけど,やっぱり国芳!(NHKスペシャル・BS日テレぶらぶら美術館・Eテレ趣味どきっ!)

2016-05-25 13:38:56 | 日記 国芳
若冲がすごい人気だそうですね。
江戸時代中期の画家です。

4月のNHKスペシャルの「若冲」では,
いかに若冲がすごいかをいろんな科学の力で解き明かそうとしていました。

そして,BS日テレぶらぶら美術館でやっていた「若冲展」
まあ,すごい人気だそうですね。
この番組,司会の人たちの話もおもしろいです。
あの若冲のことを,
「蛙の絵が下手」「蛇が下手」「きっと蛙や蛇は嫌いなんでしょうねえ。」
といった具合に話をします。
もちろん,若冲の絵のすばらしさ,技法などの方を何倍も解説しているのですが,
美術がわからない私には,ちょこっと言った蛙や蛇の話の方がおもしろい・・・なんて,すみません。


でも,私はやっぱりEテレ趣味どきっ!で紹介されていたお寿司の絵の国芳がおもしろい。
浮世絵を美術作品と見ずに,江戸の人々の暮らしの史料と見るからでしょう。

さっき,昼ご飯を食べながら,昨日のEテレ趣味どきっ!を見ていました。
もちろん,おもしろかったのですが,
思わず声を上げてしまいました。
なんと次回は番外編「国貞・国芳」

たのしみです。


PS.古文書が進みません。
変体仮名は,本を借りてとても勉強になりましたが,
(『変体仮名とその覚え方』よかったですよ。
 でも,それ以上に古文書の課題が難しいです。)
ぼちぼち頑張ります。
コメント (2)
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e国宝

2016-05-22 07:54:18 | 日記
朝から朝日新聞「読書」欄を見ました。
本郷先生が書評を書かなくなってから,余り興味がないのですが,
とはいえ,ざっと見ていると・・・

小島 道裕 『洛中洛外図屏風: つくられた〈京都〉を読み解く (歴史文化ライブラリー)』の書評。

その文章に中に,(すみません,書評を書いた人の名前は忘れました。)
「洛中洛外図舟木本は,ネットで見ることができる。」
と言うような言葉が,・・・・

さっそく,調べました。

出てきました。


「e国宝 国立博物館所蔵 国宝 重要文化財」

もちろん,洛中洛外図だけではありません。
いっぱい,い~っぱい!!!

うれしくなったので,書きました。


今,国芳など,浮世絵にはまっていますが,
そのずっと以前は,洛中洛外図ですから,私の興味は

当時の様子がわかりますからね。

でも,
この本「つくられた京都」とはどういう意味でしょう?

また読んでみたいですね。
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三ッ山大祭:姫路総社(射楯兵主神社:いだてひょうず)を見て,本で見て考えたこと

2016-05-21 10:37:50 | 日記
昨日から3日間,姫路のお城祭があります。
これは,戦後間もない昭和23年に始まったそうです。

姫路総社の三ッ山大祭は,ホームページによると・・・


「総社では、古来より臨時に行われてきた重要な2種類の祭礼があります。
時代の変遷は経ていますが、現在は60年ごとに「丁(てい)卯(ぼう)祭/一ツ山大祭」20年ごとに「臨時祭/三ツ山大祭」が執り行われています。


起源は、藤原純友の乱・平将門の乱を鎮定するため、天慶2年(939年)に斎行された「天神(てんしん)地祇(ちぎ)祭」に由来するとされていますが、はじめは式年(定まった期間)ではなく、天災や特に国中安泰を願う時、不定期に執り行われていました。


三ツ山大祭が式年となったのは、天文2年(1533年)播磨国守護職 赤松政村(晴政)の下知による時からで、20年に一度行うことが定められてから後も、播磨国の平安と発展を祈るお祭りとして、今日まで一度も途絶えることなく継承されています。」


という,歴史ある祭です。詳しくは,ホームページを見てください。


そもそも祭とは,

「祭りは人と自然の交わりの中で形づくられてきました。
 祭りの歴史は古く,人が群れや集団,いわゆる共同体を作って生活するようになると同時に祭りは存在したと考えられます。
 日本の多くの祭りにヤマ,壇尻,屋台と称される練り物が登場します。
 これらは神の依り代となるのです。
 神祭りの原初スタイルは自然のヤマと深く結びついています。」
(県立歴史博物館がいざなう『ひょうご歴史の旅』より)

詳しくは,上記の本を見てください。

で,三ッ山大祭
播磨学研究所『三ッ山大祭と祭りのこころ』には,
嘉永7年(1854年)の三ッ山大祭(将軍の死去やペリー来航により1年延期されていた。)には,
造り物,見せ物のほか,俄芸とよばれた城下の人たちが路上などで行う即興の芝居や踊りもあったようです。

「嘉永7年臨時御祭礼ニ付作り物,興行物次第」
寅年「臨時御祭礼ニ付興行并に見せ物等留逗人覚」という史料により
詳しい数字も書かれていました。


この史料,見てみたい・・・

姫路市史史料編には載っていない・・・(他の祭礼の史料はいくつか載っています。)

約10年前の歴博の冊子によると,歴博には約2万点の史料が保管されているとか・・・。

今なら,もっと増えている?

史料のヤマを見てみたい。

話が逸れました。


先週金曜日,歴博の企画展に行く前に,総社も見てきました。
空襲で焼けてしまったので,建物は戦後建て直したものですが,
私が行った時は結婚式も行われており,ほかにも人がお参りに来ており,
今も信仰の場という気がしました。















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白隠(はくいん)禅師 日曜美術館より

2016-05-18 09:46:19 | 日記



浮世絵から,江戸時代の絵に興味を持ち,
たまたま日曜美術館で禅宗の美術をするということで,
ハードに録画していました。
家事をしながら見ただけなのですが,

白隠の絵が面白いなあと・・・

江戸中期の白隠は,子どもの時地獄絵が怖かったそうで,
そこから親の反対を押し切り禅宗の僧になったそうです。
そういう人だから,親しみのある絵を描くのかも・・・

と言いたいですが,
この絵を描く80歳代までにはいろんな思いがあったわけですよね。
これは,達磨の絵の一部です。

趣味どきっ!の浮世絵もそうですが,
絵を見ていると,私が知らなかった江戸時代が見えてくるような気がします。

今度は,明日放送のBSプレミアム「浮世絵ツアー 中山道六十九次名所歩き「京都~長野の巻」」も楽しみです。
(今まで知らなかったのですが,先日,「浮世絵ツアー」の“冬”を見ました。
 やはり,江戸時代の庶民の暮らしが見えてくるようでした。)
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