明延鉱山です。
前回の神子畑に行った時,時間の関係で行けなかった明延に8月10日に行ってきました。
明延鉱山は天平年間に開山され,東大寺の大仏鋳造にも明延の銅が献上されたという言い伝えもあるそうですが,残っている遺跡は主に明治以降になります。
明延の錫は,私が中学の時の地理の教科書にも載っていた,という記憶があります。
それほど有名だったのです。
明治のおわりごろ,錫のほかにも,銅,鉛,亜鉛など産出し,「一円電車」の愛称のある明新電車で神子畑選鉱場に運ばれ,選鉱されていました。
しかし,昭和62年(1987年)まだ鉱物はたくさん残っているのに閉山。
円高で海外の安価な鉱物が輸入され,金属価格は下落し,掘れば赤字という状態になり,閉山したそうです。
坑道見学は日曜日以外は事前予約が必要でしたが,2家族だけの少人数にガイドさんがついてくださいました。
ガイドさんはいつまでできるかわからない・・・というようなことを言っておられました。そのうち崩れるかもしれないからです。
繁栄していたあと・・・ 「北星社宅」です。
ほかにも,「第一浴場」,道を挟んでその前には独身者用の寮の跡地がありました。
そして,8月22日兵庫県立歴史博物館でおこなわれている巡回展「日本遺産 銀の馬車道 鉱石の道」をのぞいてきました。
ちょっと長いおまけ
兵庫県立歴史博物館では,「特別展 海洋堂と博物館」もありました。
実は,こちらが楽しすぎて,巡回展「日本遺産 銀の馬車道 鉱石の道」が目的だったはずですが,
かすんでしまいました。 (;^_^A
帰りに山電姫路駅で,「祝!明石・姫路間開業100周年」のパネル展示もちらっと見てきました。
前回の神子畑に行った時,時間の関係で行けなかった明延に8月10日に行ってきました。
明延鉱山は天平年間に開山され,東大寺の大仏鋳造にも明延の銅が献上されたという言い伝えもあるそうですが,残っている遺跡は主に明治以降になります。
明延の錫は,私が中学の時の地理の教科書にも載っていた,という記憶があります。
それほど有名だったのです。
明治のおわりごろ,錫のほかにも,銅,鉛,亜鉛など産出し,「一円電車」の愛称のある明新電車で神子畑選鉱場に運ばれ,選鉱されていました。
しかし,昭和62年(1987年)まだ鉱物はたくさん残っているのに閉山。
円高で海外の安価な鉱物が輸入され,金属価格は下落し,掘れば赤字という状態になり,閉山したそうです。
坑道見学は日曜日以外は事前予約が必要でしたが,2家族だけの少人数にガイドさんがついてくださいました。
ガイドさんはいつまでできるかわからない・・・というようなことを言っておられました。そのうち崩れるかもしれないからです。
繁栄していたあと・・・ 「北星社宅」です。
ほかにも,「第一浴場」,道を挟んでその前には独身者用の寮の跡地がありました。
そして,8月22日兵庫県立歴史博物館でおこなわれている巡回展「日本遺産 銀の馬車道 鉱石の道」をのぞいてきました。
ちょっと長いおまけ
兵庫県立歴史博物館では,「特別展 海洋堂と博物館」もありました。
実は,こちらが楽しすぎて,巡回展「日本遺産 銀の馬車道 鉱石の道」が目的だったはずですが,
かすんでしまいました。 (;^_^A
帰りに山電姫路駅で,「祝!明石・姫路間開業100周年」のパネル展示もちらっと見てきました。