私のスマホには東海道五十三次の万歩計がついています。
約1年2か月前に「日本橋」を出発し,「京師」で折り返し,今,「品川」を過ぎました。
まもなく,「日本橋」に戻ります。
特に頑張って歩こう!という気がなくても,なんだか嬉しいです。
時代は変わって江戸時代。
萩藩・毛利家の当主が,参勤交代のなぐさめとした「行程記」です。
(写真は太子町立歴史資料館・常設展示の写真パネルの一部,写真撮影許可を得て可)
山陽道,現在の兵庫県たつの市,揖保川周辺です。
歩いている山陽道を中心に書くので,地図上の文字も向きは上から書かれていたり,下から書かれていたりします。
揖保川は,正條(しょうじょう)付近は,橋はなく,渡し船で渡っていたんですね。
満水の時は,16文のようです。
村境も書かれています。
方位が所々に書かれているそうですが,基本,北が上のようです。
でも,学芸員の先生のお話によると,長い紙に入るように書いていくため,
多少くにゃくにゃした道でもできるだけまっすぐ書き,
すると,ところによっては,方位がずれるため,このように方位を書いているそうです。
さて,最近読んだ本,
谷釜尋徳『江戸の女子旅 旅はみじかし歩けよ乙女』
とても読みやすかったです。
何人もの女性が紹介されていましたが,どの人もまあ,歩く,歩く!
関所破りの案内ビジネス(?)とか,
蛭のため「雨もなみだもふりそひて行」とか,
時々ブッと吹き出したりしながら,読みました。(蛭にやられた諸九尼さん,ごめんなさい)
ところで,スマホの万歩計,日本橋に戻ったら次はどうなるのでしょう?
私としては・・・次は中山道がいいなあ (^^♪
そんなわけないですね。
約1年2か月前に「日本橋」を出発し,「京師」で折り返し,今,「品川」を過ぎました。
まもなく,「日本橋」に戻ります。
特に頑張って歩こう!という気がなくても,なんだか嬉しいです。
時代は変わって江戸時代。
萩藩・毛利家の当主が,参勤交代のなぐさめとした「行程記」です。
(写真は太子町立歴史資料館・常設展示の写真パネルの一部,写真撮影許可を得て可)
山陽道,現在の兵庫県たつの市,揖保川周辺です。
歩いている山陽道を中心に書くので,地図上の文字も向きは上から書かれていたり,下から書かれていたりします。
揖保川は,正條(しょうじょう)付近は,橋はなく,渡し船で渡っていたんですね。
満水の時は,16文のようです。
村境も書かれています。
方位が所々に書かれているそうですが,基本,北が上のようです。
でも,学芸員の先生のお話によると,長い紙に入るように書いていくため,
多少くにゃくにゃした道でもできるだけまっすぐ書き,
すると,ところによっては,方位がずれるため,このように方位を書いているそうです。
さて,最近読んだ本,
谷釜尋徳『江戸の女子旅 旅はみじかし歩けよ乙女』
とても読みやすかったです。
何人もの女性が紹介されていましたが,どの人もまあ,歩く,歩く!
関所破りの案内ビジネス(?)とか,
蛭のため「雨もなみだもふりそひて行」とか,
時々ブッと吹き出したりしながら,読みました。(蛭にやられた諸九尼さん,ごめんなさい)
ところで,スマホの万歩計,日本橋に戻ったら次はどうなるのでしょう?
私としては・・・次は中山道がいいなあ (^^♪
そんなわけないですね。