ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

私の今年の流行語大賞は「アマビエ」,今年の漢字は「疫」かな?

2020-12-16 11:30:59 | 日記
今年も残すところあとわずか。
今年の流行語大賞は「三密」で,
今年の漢字は「密」だから,
やっぱり世間は「コロナ」「コロナ」ですね。

そういう私も・・・
私の今年の流行語大賞は「アマビエ」,今年の漢字は「疫」かな?

1月17日にはのちにこんなことになるとは思いもせず,
神戸に行きました。
1.17,阪神淡路大震災25年ですから。

が,それ以降は近場ばかりとなりました。
(近隣でも私にとっての新発見?いっぱい!)
展覧会では私の一番ヒットは
兵庫県立歴史博物館特別展「驚異と怪異ーモンスターたちは告げるー」です。
「アマビエ」の本物?京都大学付属図書館蔵「肥後国海中の怪」ほか,
妖怪に凝りました。

それに,感染症。
鈴木 則子氏の
『江戸の流行り病―麻疹騒動はなぜ起こったのか』 (歴史文化ライブラリー)では,
地元の史料も出て来て,興味深かったです。

まだまだ続きますね,コロナは。

12月13日の朝日新聞に
「コレラ禍の江戸長唄「復曲」」という記事が出ていました。
鈴木則子氏が紹介した
「しに行 三日転愛合死々(しにゆき みっかころりあいあいしし)」の復曲だそうです。
https://ehon.dh-jac.net/books/arc/hayBK02-0169
で見ることができます。
私も先日読みました。
わかりやすかったです。
ここに書かれていることが,
すべて事実であるかどうか,多少オーバーに書いているかも?という点は別として,
ずしっときました。

今日はここまでにします。
よいお年をお迎えください。

PS.さっさと「よいお年を」と言ったのに・・・ですが,
年賀状を作っていていいものを見つけました。

会津若松市ホームページには,
「あかべこ特集 年賀状にご利用ください!
 来年は丑(うし)年!
 赤べこの年賀状で疫病退散を願いましょう。」とのことで,使わせていただきます。ありがとうございます。
このほかにもいくつか載っています。

疫病退散!
来年はいい年でありますように   (2020.12.18追記)

またまた
PS.上のPSを書いた数時間後,
NHK学園古文書解読実践コース2020年度第5回が返ってきました。
なんとか「A」ですが,いっぱい間違えていました。
先生はいつものように講評に「あなたの声」についても書いてくださっています。
「・・・この書状もそうですが,
秀吉のものは内容がわかると"くすっ”としてしまうものが多いですね。」

次はどんなことを書いてくださるかな?
第6回提出です。
第5回よりもぐっと読みやすい課題でした。
「あなたの声」は
「我侭」
「今日は雑談です」のそうめんの里の古文書とうすくち龍野醤油資料館の古文書です。
最後にこう付け加えました。
「以前にも行ったことがある2つの資料館ですが,
その時はさらっと通り過ぎたコーナーを
今はじっくりはりついて読んで楽しんでいます。」   (2020.12.20追記)



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瓦;斑鳩寺の瓦といかるがの瓦師&たつのの瓦師

2020-12-11 10:55:17 | 日記 地域
11月30日,太子町立歴史資料館(以下,「太子」) 
企画展「斑鳩寺の瓦といかるがの瓦師」
そして,12月9日,たつの市立埋蔵文化財センター(以下,「たつの」)
「たつのの瓦師」
に行ってきました。

その前,11月6日,たつの市立室津海駅館・室津民俗館
特別展「日本の住まいの歩み」では,
江戸時代等の寺院や商家の鬼瓦が少し展示されていて,
「打出の小槌がついた鬼瓦,ハートマークに穴をあけている鬼瓦!
家の繁栄や福を求める鬼瓦だろうといったことが,書かれていました。」
と書きました。

あまり瓦に興味があったわけではないのですが,
せっかく近くでやっているのだから・・・
(遠くには行けないし・・・去年は12月13日に京都に行っていた。)
と行ったのが,「太子」(写真撮影可,図録なし,以下写真はすべて「太子」)
そこの展示と,たまたま出会ったおじさん,そして,学芸員さんの話を聞いて面白くなり,
「たつの」(写真撮影不可,なんと100円で解説書あり)も行ってきました。

さて,古代,
斑鳩寺周辺では,瓦は見つかっていません。
丸瓦に「□治五年」と書かれたものが見つかっており,
文字史料に斑鳩寺の名前があらわれるのが12世紀中ごろなので,
この瓦の文字は「文治五年」(1189年)であろうということです。:「太子」

一方,たつのでは,来栖廃寺や奥村廃寺から瓦が見つかっており,
7世紀後半から8世紀初頭頃製作されたとみられています。
ただ,たつの市内は兵庫県でも有数の古代寺院の密集地で,
瓦窯も発見されており,
工人たちが存在したことは間違いないのだが,
製作にあたった人々の名前はありません。
しかし,中世になると,瓦工人たちは名を刻み始めます。:「たつの」

写真は,斑鳩寺庫裏(保性院)の鬼瓦:「太子」
一部,「享保11年」「三木久右門」や「天保12年」「三木庄兵衛」などの書かれています。


学芸員さんの話では,
奈良から工人が来た,という史料や岡山方面まで教えに行ったという史料もあるそうです。
そして,
斑鳩寺で見つかった丸瓦や平瓦には,(室町~江戸時代)
名前を書いたもののほかに,「南無阿弥陀仏」と書かれたものも・・・。
そして,・・・ん?

学芸員さんの話では,
丸瓦は大量につくる。
滑り止めとして,焼く前に文字を刻んだりする。
大量なので,
こんな瓦もあるそうです。
そうです。
有名な瓦師だけが瓦造りにたずさわっているのではないのです。

それにこれ,

ちょっと私には難しいのですが,
翻刻文も,解説もついていました。
要するに,
姫路で家を取り壊した際に出た瓦3500枚を築地塀を葺くように差し上げます。
という内容で,おそらく,天正20年(1592年)ころのものだろう,とのことです。

さて,この瓦,喜ばれたのでしょうか。
使われたのでしょうか。
そこまではわかりません。

長くなりましたが,最後に
鬼瓦は下から見上げるもの,
展示されている鬼瓦も
斜め下から見てみましょう。
違って見えると思います。
といったことが,展示されているところに書かれていました。:「たつの」
コメント (2)
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今日は雑談です。

2020-12-02 11:19:30 | 日記 地域
12月になりました。
昨日発表の「流行語大賞」は「3密」!
「アマビエ」もトップ10に入っていましたね。
兵庫県立歴史博物館
特別展「驚異と怪異ーモンスターたちは告げるー」で
本物(?)のアマビエの絵
京都大学付属図書館の「肥後国海中の怪」を見たのは,6月の終わりごろでした。

緊急事態宣言はあけても,結局,私は自粛です。

コロナのこともあるし,
また,緊急電話があるかもしれません。
揖保乃糸 資料館 そうめんの里に行った時(9月)のように。
(今はその姑とも会うことができません。姑がいるところは大丈夫ですが,
たくさんの病院や老人ホーム等でクラスターが出ています。仕方ないです。)

でも,今年も新しい発見がたくさんありました。
自分がいかに自分が住んでいる地域のことを知らないかもよくわかりました。

ということで,
10月,たつの市立龍野歴史文化資料館「特別展 龍野城下のたたずまい」
ここで,寛文年間(1661~1675年)に淡口しょうゆを開発したと伝えられる圓尾家の古文書等を見ました。
また,こんな展示があったのです。

ここで,網干の圓尾家と龍野の醤油の圓尾家と関係があるのかな?
と思ったのですが,まだわかりません。

9月に行ったそうめんの里

「明神講素麺連中約定書」という明治5年の古文書には,
毎年9月の晦日,1月10日に生産者が集まって,協議し,
職人の賃金を決めることなどが書かれていました。

11月に行ったうすくち龍野醤油資料館では,

「蔵方江法度書覚」(文政5年:1822年;労働者の守るべき注意事項)です。

当たり前のことですが,
そうめんでも,しょうゆでも経営者がいれば,労働者がいます。
どちらの史料にも,
「我侭」が出てきます。
「明神講素麺連中約定書」には,
そうめんの組合で労働者の賃金を決めているが,
勝手してはいけません,守りなさい,と経営者同士で約束。
「心得違無之様 一統堅申合候事」
として,細かい取り決め。
「蔵方江法度書覚」には,
三役の指図を「不用我侭成義致人 其時限断ニ及可申候」
つまり,言うことを聞かない労働者は辞めさせられる?


ところで,うすくち龍野醤油資料館は,
ヒガシマル醤油の前身,菊一醤油造合資会社の本社として,建てられ,
浅井醤油合名会社と合併後,龍野醤油(株)となり,
のちに,ヒガシマル醤油(株)と改称した後も,本社でした。
資料館は江戸から明治の古文書だけでなく,
帳場はもちろん,大きな仕込蔵,圧搾場などが再現されていて,
製造工程がよくわかります。
というか,こちらがメインですね。

次は播磨の瓦!
と今のところ考えています。


最近読んだ本
公益財団法人永青文庫 熊本大学永青文庫研究センター編
『永青文庫の古文書 光秀・葡萄酒・熊本城』

読書メーターから感想をのせて,
今日の長いなが~い雑談を終わります。

久しぶりに雑誌ではない本を読んだ。
といっても,興味のある章全体の3分の2ほど。
熊本細川家には,6万点近くの歴史資料が伝わっている。
永青文庫である。
この本には,明智光秀や細川幽斎,ガラシャの章もあるが,
私がおもしろいと思ったのは,細川忠興とガラシャの子,忠利。
薬として,葡萄酒やアヘンを製造させている。
もちろん,これらは,古文書,一次史料からわかることである。
また,改易された加藤家に代わって,寛永9年(1632年)忠利は熊本城に入るのだが,
もともと雨漏りもしていた上に,地震や水害で熊本城は被害にあい,熊本城を普請することに。
でも,福島正則が改易になったことも頭によぎる。
慎重に計画。
江戸城の公儀御普請や将軍家光の病気・自分の病気,島原・天草一揆などでなかなか進まない・・・。
時々,史料の写真が載っている。
もう少し大きな写真で,それぞれの史料の翻刻文と解説もあったら,と思うが,
・・・難しいけどね。
コメント (3)
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