ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

東寺と立体曼荼羅

2016-12-30 15:37:54 | 日記
実は12月27日,京都・東寺と東本願寺・西本願寺に行ってきました。
いろいろ事情があって,近場しか行けなかったのですが,
私としては久しぶりの遠出です。

はりま勝原駅から新快速で約2時間,
JR京都駅です。
大きい!!人ひと人・・・!

電車では,大阪あたりから中国語らしき言葉が聞こえ始め,
すでに,旅気分でした。
(よーく考えると,姫路でも中国語をよく聞きますが)
電車の中では,しっかり予習していました。
朝日新聞出版「週刊 日本の名寺をゆく 仏教新発見 東寺」と
同じく朝日新聞出版「週刊 日本の名寺をゆく 仏教新発見西本願寺 東本願寺」
(恥ずかしい話ですが,真宗では檀家ではなく,門徒というのですね。
 今までのブログで,何回も檀家と門徒がごちゃごちゃになっていると思います。
 すみません。訂正します。)

京都駅からすぐに近鉄に乗り換え,1駅,東寺で降りました。
「東寺はこっちです」って感じの看板があるし,
私は地図は得意なので,迷いません!
東寺の五重塔と南大門が見えてきました。

どっかで見たことがあるような落ち着いた風景です。
時期が時期なので,人も少なく,京都なのだ・・・という感じでした。

あれっと思ったのがその横です。
鎮守八幡宮です。
薬子の変を鎮め,足利尊氏も祈願したというのですが,
これぞまさしく‟神仏習合”とうれしくなってしまいました。

それにしても,どこから講堂や金堂に入るのかしら?と思いながら,北を向いて歩き,
やっと入り口を見つけました。

まず,講堂
私が見たかった立体曼荼羅です。
密教の教えをあらわしているという立体曼荼羅ですが,
すごくすごく見たかったのに,(たぶん「ぶらぶら美術博物館で見たと思います。)
もっともっと感動すると思ったのに,
なるほど・・・何?・・・でした。
「金剛」って何だろう?
向かって右側は五大菩薩
みんな「金剛」とついた名前です。

向かって左は五大明王です。
明王って怖いですね。
本当の意味は知りませんが,火を燃やして怒っているように見えます。
なんでそんなに怖い顔ですか?

その後,金堂へ
金堂は薬師如来と日光・月光菩薩で,
ほっとするような感じでした。
きっと,さっきの明王が怖かったからそう思うのですね。

金堂の斜め前に茶店があり,「どうぞ」と言われるままに金粉の入ったお茶をいただきました。
講堂の明王が怖かった話をすると,
「左端にハンサムな仏様もおられたでしょう?」
と言うので,お茶をよばれ,お土産のおたべを買ってからもう一度講堂へ

左端・・・
きっと,帝釈天ですね。
ハンサムです。
「ハンサム」という言葉に年齢を感じますね。

写真をいっぱい撮り,
次の目的地,西本願寺へと歩いて向かいました。

西本願寺・東本願寺については後日改めて


では,今度こそ,
よいお年を



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BSプレミアム「昭和の選択:市川房枝」

2016-12-17 10:10:17 | 日記 テレビ
私が高校3年の時ですね。
参議院議員で全国区トップ当選(イメージです。本当は落選した時もあります。)の市川房枝が亡くなりました。

高校の日本史の勉強で,
「平塚らいてうとともに,女性の地位向上のために,また,婦人参政権獲得のために一生をささげた女性」
というイメージを私は持っていました。
かっこいい!と感じ,あこがれました。

私の勉強不足でした。

市川房枝も時代に流され,
戦時中,「婦選のためにある程度の協力」をし,
「自由主義的・個人主義的生活態度を清算して,国民的・奉公的態度に転換しなければなりません。」
(ホームグラフ昭和15年9月号)
という人になっていたのですね。
婦選のためなら・・・

そして,
昭和18年,女性の徴用に強制力をつけるように働きかけたのが市川房枝でした。
女性の地位向上,能力を認めさせる,
そのためですが,
結果的には戦争に協力していたのです。


戦後,しばらく公職追放となりました。
戦争協力者ですから。

ただ,やっぱり女性のために頑張ったこと,政治の浄化のために力を注いだことには変わりないと思います。

今回の昭和の選択は,
自分の勉強不足を痛感しました。

次回,今度は「英雄たちの選択」ですが,
瑛太・・・いえ,小松帯刀です。
(大河ドラマ「篤姫」はおもしろかったですね。それこそ強い女性という感じで,スカッとしましたね。
 もちろんこの「篤姫」像も大河ドラマの篤姫であって,そんな面ばかりではないのでしょうね。)


ちょっと早いですが、
2016年しめくくり
今年は,国芳と妖怪の年だったような気がします。

でも,今年の古文書といえば,
網干・大覚寺の信長・秀吉・家康の禁制だと思います。

2017年
歴博では1月28日から「特別展 人間国宝 桂米朝とその時代」が始まります。
桂米朝は姫路出身,そして,先輩です,高校の。(桂米朝は前身の旧制中学ですが。)
とても楽しみにしています。


では,よいお年を




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趣味どきっ!も,大河ドラマも,井伊直虎ですか?

2016-12-14 11:17:12 | 日記 テレビ
趣味どきっ!の火曜放送シリーズは「姫旅」

私が歴史熱再燃のきっかけは
JMOOCの本郷和人先生の「日本中世の自由と平等」でした。
その本郷先生とあって,どう出てくるかと思ったのですが,
JMOOCの時と違い,
一般受けするバラエティーのような番組でした。

JMOOCの時は,
「歴史には証拠がいる。
それが史料であり,またその史料が本当に正しいのか裏を取る必要がある。」
というようなことをおっしゃっていました。

今回の趣味どきっ!
第1回の井伊直虎に限って言えば,
その証拠が足りない気がするのです。

出てくる史料は「井伊家伝記」ほか少し
主に「井伊家伝記」に頼ているようですが,
その史料は大丈夫ですか?
江戸時代に言い伝えをもとに井伊家に都合のいいように書かれたものではないですか?
と思ってしまいます。

大河ドラマはドラマですからねぇ。
創作・・・ですけど,ある程度は・・・と思うのです。

よく知らずに疑っているだけです。
すみません。

でも,私が高校生の時に歴史を好きになったきっかけの1つは
大河ドラマであり,
戦国時代の女性について書いた本でした。
それと,歴史小説とか・・・。

「草燃える」とか,永井路子とか,司馬遼太郎とか

こんなふうに文句を書いておきながら,
昨日の趣味どきっ!
今日,お昼ご飯を食べながら見ます。
きっと,大河ドラマ「おんな城主 直虎」も見るんでしょうね,私。

この前の「真田丸」よかったなあ。
もちろん,ドラマとしてですが
きりさん,大好き!
後藤又兵衛,死んじゃった~!
あの古文書がなかったら,後藤又兵衛に興味なかったんだけどね,きっと。


PS.「「おんな城主直虎」は男だった? 大河主人公に新史料」
12月15日朝日新聞朝刊
昨日,上のブログを書きました。
今日,新聞を見てびっくり!
やっぱり
「歴史には証拠がいる。
それが史料であり,またその史料が本当に正しいのか裏を取る必要がある。」ですよね。

柴咲コウさん,気の毒・・・。 
(12月15日 追記)
コメント (5)
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日本玩具博物館に行ってきました!

2016-12-09 14:39:14 | 日記 博物館・美術館...
ふらっと,なんとなく,日本玩具博物館に行ってきました。
場所は最近(平成18年)平成の大合併で姫路市になったばかりの旧香寺町。
昭和の香りがする(?)いわゆる田舎です。

なんで「日本」なんてオーバーな名前をつけるの?
と思われるかもしれませんが,
井上館長が集めた玩具は9万点,
世界160か国から集めているというからすごいです。
「日本」とつくはずです。


昭和38(1963)年、日本の郷土玩具について書かれた一冊の本に触発された井上重義(当時24才)が、各地に伝わる郷土玩具が時代に流され失われゆくのを知り、後世に遺そうと会社勤めのかたわら、全国を歩いて蒐集しました。その資料公開のために、昭和49(1974)年11月、自宅の一部に46㎡の小さな展示館を開設し、「井上郷土玩具館」の名でスタートしました。

とホームページにはあります。

館長さんのお話を少し聞くことができました。
館長さんは,
「世界各国から集めていましたが,1990年代になり,どこの国のおもちゃも「メイドイン チャイナ」になってきました。」
だからこそ,日本の世界の郷土玩具がいいのですよね。


今している特別展「世界のクリスマス」では,
北欧には北欧の,ドイツにはドイツの
そして,南米にもアフリカにも
各地で独自のクリスマスがあり,
祝っていることがわかりました。

もちろん,日本には日本のクリスマスです。
南蛮貿易のころ,クリスマスは伝わりましたが,
「鎖国」のため廃れ,
明治になり,クリスマスを祝うようになりました。
私が子どものころに家にあったクリスマスツリーと似たようなツリーがありました。
モールでできたサンタクロースがついていたんです。

クリスマスツリーに雪に見立てた綿をのせるのは日本だけなんですって。


ホームページに詳しく解説があるので,ぜひご覧ください。
ちょっとしかお話しできませんでしたが,
大学時代いっしょに旅行したAちゃん,
学芸員のお仕事,頑張って下さい。
またお雛様のころ,きっと行きます。

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信長・秀吉・家康の禁制&書状2点:網干・大覚寺

2016-12-03 14:12:17 | 日記 地域
網干(あぼし)ロマン街道めぐりも今日・明日のみとなりました。
(大覚寺は今日の午前中で終わりました。)

大覚寺は7年ぶりの虫干しで,
大覚寺の寺宝をたくさん見ることができました。

なかでも,安土桃山時代の当麻曼荼羅はとても大きく,
最近,修復されたとかで,綺麗でした。

秀吉や京都の僧侶がいわゆる朝鮮出兵のため,名護屋に行くときに立ち寄ってこの曼荼羅をみて,
感想を書いたそうで,「当麻曼荼羅拝見記」も残っています。


でも,私の最大の関心は,
信長・秀吉・家康の禁制です。

網干・興浜の庄屋や年寄が,
「禁制が火事などでなくなっては困るので,預かってください。」と
延享3年(1746年)に大覚寺に預けました。
その代わり,毎年,虫干しをしてもらい,確かに無くなっていない,ありますよ,と見せることになったそうです。

どれも,網干に対して宛てたもので,
網干に侵攻した軍勢が,網干の村人に乱暴狼藉をしてはいけない,などなど,といった内容で,
網干の村人に対して出された安堵状となるわけです。

信長の禁制は朱印状です。
あの有名な「天下布武」の朱印が押されています。
天正4年(1576年)です。

秀吉の禁制は,花押です。
天正8年(1580年)のもので,「筑前守」となっています。
別の秀吉の書状は,天正5年のもので,
それには「藤吉郎 秀吉」と書かれ,花押が書かれています。
禁制の花押と同じものです。

家康の禁制は,家康の名前ではなく,
「本多弥八郎」となっています。
本多正信のことだそうです。
慶長5年9月25日と書かれています。
なんと,関ケ原の戦いの10日後です。

書状2点は何が書かれているのかよくわかりません。
(解説を読まないと)
でも,禁制の字はわかりやすく,だいたい読めるし,意味も取れました。

もう,わくわくです。

大覚寺のご住職(日本仏教会の副会長,京都の永観堂のご住職でもあられます。),
説明をしてくださった大覚寺の方,檀家の方?(すみません。)
ありがとうございました。

感動しました。


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