ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

ブラタモリ 神戸の街

2017-02-26 16:38:42 | 日記 テレビ
皆さま,お元気ですか。
久しぶりの更新となりました。
私,ATSUは一週間,インフルエンザでした。
やっと回復し,今,パソコンの前です。

網干の「関ノ口遺跡」のこと,
歴博の「米朝展」のこと,
「ぶらぶら美術・博物館」のこと,
いっぱい書きたいことがたまっているのですが,
今回は,昨日,たまたま見た
「ブラタモリ」から


実はこの番組,こんなにじっくり見たのは初めてです。
なんせ神戸ですから

と簡単に「神戸」と書きましたが,
「神戸」は150年前できたもので,
清盛の時代にもあったのは,「兵庫」ですね。
番組にあったように,「神戸」と「兵庫」は場所も違います。
誰かに聞いたことがあるのですが,(不確かですが)
「神戸県」ではなく,「兵庫県」なのは,
明治の初めに役所があったのは「神戸」ではなく,「兵庫」だから・・・だそうです。(不確かですが)

その「神戸」と「兵庫」は天井川である湊川で分けられていた,
というのは新発見!
そして,その川の流れを変え,
「神戸」と「兵庫」は1つになりさらに発展した,
「新開地」もできた,というあたりは
「神戸」(いや・・・もっと東ですね)の大学に行っていた私と
「兵庫」の大学に行っていた娘と
2人で大盛り上がりでした。
(その前,北野の異人館街や神戸市立博物館周辺の旧外国人居留地のあたりからすでに娘と盛り上がっていました。)

ただ,
湊川で神戸と兵庫は分かれていたため,
神戸の外国人と兵庫の日本人が争うことはなかった・・。
というようなことを言っていたと思うのですが,
確か,「神戸事件」と言って,
ちょうど「生麦事件」のようなことが神戸で起こっていたと思うのですが,どうでしょうか。

再放送は録画して,
永久保存版にしたい番組でした。

PS.3月29日,再放送。
録画して,今日(4月4日)見ました。
まず,訂正・お詫びです。
「神戸の外国人と兵庫の日本人が争うことはなかった」の件です。

神戸事件(こうべじけん)は、慶応4年1月11日(1868年2月4日)に神戸(現・神戸市)三宮神社前において備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ、銃撃戦に発展し、居留地(現・旧居留地)予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた事件である。とWikipediaにある通り,
「神戸事件」は神戸の外国人と兵庫の日本人の間で起きたのではありません。

ぶらっと散歩したいですね。

と思って,地図を見ていると,
阪神淡路大震災関係の遺構等も旧居留地あたりにあるんですね。
震災の約10年前に神戸の大学を卒業し,
その後,就職,結婚・子育て等で神戸に行っていなかったので,
神戸の震災のことをテレビでしか知りません。
もちろん,姫路も揺れましたが・・・。
ブラタモリを見て,楽しむのもいいですが,震災の後を見て勉強しないといけませんね。
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まだ肩が痛い・・・歴博,大鎧

2017-02-17 14:15:29 | 歴博
今日は久しぶりに歴博で半日,楽しんで来ました。
(ボランティアの当番ではなく)

まず,10時半
大鎧を着せてもらってきました。
(平安時代から鎌倉時代のものを参考に作られています。)
以前に十二単も着せてもらったことがあります。
この歴博のいいところは,
タダで着せてもらえるし,(入館もここはタダです。特別展等は入館料がかかります。)
自分のカメラで写真を撮ってもらえるところです。
1枚100円の写真もありますが,
自分のカメラなら,タダです。
(ただし,1日3回,希望者が多い場合は抽選)

それはともかく,
朝1番,10時半の着付けはほかに希望者がなく,
大鎧を着せてもらえました。
自分の服の上からですが,
着物を着て,
鎧を体につけて,
腕から胸にかけてもつけて,
首のあたりにもつけて,足にもつけて,
・・・重い・・・肩がずっしり
兜もかぶって,
・・・頭,動かせないでしょ・・・

はい,写真を撮りましょう!
椅子から立ち上がるのが・・・大丈夫かしら?

全部で約30キロだそうです。

写真撮影も含めて,わずか30分ほどでしたが,
4時間たった今も肩が痛いです。
この重さは着てみないとわからないと思います。
当時の武士はともかく,
俳優さんってすごいですね。
これで,馬に乗ったりするんでしょ?


ルンルンしながら,米朝展
米朝展と落語については後日改めて。

そして,姫路城昭和の大修理のビデオ
先日テレビ見た薬師寺東塔と同じですね。
昭和の大修理は
解体して修理しています。
この前の平成の修理はお化粧直しでした。

勉強不足ですね。


・・・それにしても,肩が痛い・・・

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探検バクモン「薬師寺」:ビックリ!完全解体

2017-02-16 14:05:26 | 日記 テレビ
昨日のテレビ,
探検バクモン「薬師寺」
薬師寺東塔の復元現場に入るとビックリ!
塔がない!

なんと,バラバラにして完全解体!1300年前の具材1万点以上は周りに積まれているのです。
1つでもなくなると大問題!
きちんと番号を書いて,置いています。

新しいものにしてしまう方が簡単でしょう。
でも,1300年前のものをできるだけそのまま使い,
傷んだ部分だけ,新しいものをはめ込むのです。
1300年前の心柱は割れ,腐り,虫食い状態です。
心柱も取り換えるのではなく,傷んだところを心柱を立てたままにして人間が中に入り込んで,取り除き,
きちんと組み込めるように設計図を書いて,はめ込みます。
1ミリでも狂ったら,心柱は割れてしまったりします。
まあ,気が遠くなるような細かい作業!

また,木の削りあとを見て,当時の道具を作り,
道具を復元するところから復元が始まるというのだから,たいへん!!

1300年前の木材をできる限り後世に伝えること
伝え守ってきたものを同じ形で次の時代の人に伝える

恐れ入ります。

でも,
もともと土と石の土台は,
今後,千年,二千年ともたすため,コンクリートで覆うことになったようです。

千年,二千年?
爆笑問題・太田さんがこのことについてちょっと言いかけていましたが,
千年,二千年と人類が平和でいてこそ,薬師寺東塔は残るんですよね。


姫路城の復元は?

明日,歴博に 特別展「人間国宝・桂米朝とその時代」を見に行く予定です。
ついでと言っては何ですが,バーチャル歴史工房で
「姫路城天守修理工事記録」を見てこようと思います。
ただし,これは昭和の大修理の記録です。
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古文書を読む「解読実践コース」第1回を終えて

2017-02-15 10:18:19 | 古文書
結局,応用コースをしっかり復習しないまま,
買ったノートはまだあけてもいないまま,
解読実践コース第1回をそろそろ提出しようかなあ・・・,と思っています。

わからない文字はいくつかありますが,
テキストのおかげもあり,だいたいの意味は取れたと思います。
役に立つのは,辞書と「はじめての古文書」のテキストです。

とりあえず,第1回を提出したら,
もう一度「はじめての古文書」のテキストから見ていきたいです。
このテキスト,
なんせ「はじめて・・・」ですから,
例文の古文書を解読筆写してくれているだけでなく,
すべて,ひらがなで読み方を書いてくれています。
いつの間にか勝手な読み方をしていることがあるので,
とても助かります。

もしも,古文書をやってみようかなあという方にお勧めは,
油井宏子『古文書はこんなに面白い』
板倉聖宣『変体仮名とその覚え方』です。


さて,いつものように
「あなたの声」(今回の課題は新田開発に関する文書でした。)

「はじめての古文書」からスタートし,やっと「解読実践コース」までたどりつきました。
よろしくお願いします。

さて,今回の課題は,新田開発に関する古文書でした。

私が住む姫路市では,毎年11月に「こころの祭り」といって,特別に一部のお寺などを見せてもらえる日があります。
昨年は「聖安寺」という浄土真宗本願寺派のお寺を見せていただきました。
今から500年ほど前につくられ,
200年ほど前に本堂が建てられたそうです。
そのころは今のお寺の少し南,播磨灘を干拓し,新田開発を大規模にしていたころで,
それでも,地域の人たちが本堂を少しずつ建ててくれた,
と副住職の方がお話してくださいました。

『姫路のあゆみ』という中学生向けの副読本には,
現在の姫路市の播磨灘沿いの地区にたくさんの新田がつくられたことが書かれています。

聖安寺のある姫路市大津区天満のすぐ南,海岸沿いの地区は,
今は大津区勘兵衛町という地区です。
『姫路のあゆみ』には,「勘兵衛新田」とのっています。
勘兵衛さんが中心となって開発したのでしょうか?

私が住む網干のすぐ隣の中学校区のことを書きました。
(ただし,今は姫路市でも,当時は龍野藩などでした。)


PS.昨日の
林修の今でしょ!講座
話題の歴史学者・磯田道史が教える
『江戸庶民の生活はたくましかった講座』
よかったですね。

たくさんの古文書や書籍を読んで,分析しているからこそ分かることですよね。

江戸のたった2割の土地に,人口の半分を占める庶民
だから火事は起こり,燃え広がるんですよね。
身分制です。
江戸庶民のたくましさ,脳内リゾートはなるほど・・・でしたが,
そんな中にも,浮世絵や寄席,歌舞伎といった楽しみもあるんですね。
庶民が楽しめるようになった江戸時代,
そうなる前には,
戦が当たり前のようにあり,
飢饉がしょっちゅう訪れていた戦国時代があったわけです。

ということで,
呉座勇一『応仁の乱』買いました。

(図説『落語の歴史』分かりやすくて面白いです。
 写真の落語関係の史料を読むためには,変体仮名の勉強をもっとしなければなりませんね。)
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英雄たちの選択「悲劇のキリシタン弾圧~大人になった天正遣欧使節の決断~」

2017-02-10 14:07:16 | 日記 テレビ
教科書的にしか知らなかった天正遣欧使節4人のその後

今回(2月9日放送)は,歴史的にもうわかっているのに
決断を迫られた,とか,選択は,とかいうのはなく,
ヴァリニャーノやフロイスなどの海外の史料を含む
いろいろな史料から遣欧使節のその後,つまり,日本に帰ってからを中心に話されていました。

以前,JMOOCで
上智大学 川村信三先生の
 大航海時代の日本 ヨーロッパと日本の「接続された歴史」
を受講しました。

英雄たちの選択では,
なぜキリスト教が広まったのか・・という点で,
戦国の戦が続く中,死が近くにあって,死後の救いをキリスト教に求めた,というような話があったと思うのですが,
川村先生は,
この点で,ヴァリニャーノは布教にあたって,「順応」していったことを挙げていました。
日本人に分かりやすいように,宣教師の階級も仏教の制度にのっとって,名づけられたそうです。

さらに面白いのは,
キリスト教のこんふらりあ(信徒組織)は浄土真宗の門徒組織・道場と似ていること,
そして,キリスト教の広まる時期は,本願寺勢力が権力者に弾圧され,衰える,または,変質する時期であることを
話されていました。

この点は,英雄たちの選択では話がありませんでしたが,
番組の最後に,川村先生の名前が出ていました。


家康がキリシタン弾圧へと向かった禁教令は,
大阪の秀頼勢力とのかかわりがあったという話には,へ~!と思いました。
(そういえば,「真田丸」でも,明石大登が「キリスト教さえ保護してくれれば」といったことを言っていましたね。)

明治の岩倉使節団の話
天正遣欧使節なんて,明治の日本人は知らないですよね。

今回の英雄たちの選択は,面白かったです。

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