お城・・・ではありません。江戸時代後期に銅山経営と弁柄関連製造で蓄財した広兼家の旧邸宅です。『八つ墓村』(1977年)のロケ地の一つだそうです。(外観)
でも,実は小雨は降るし寒いし,旧広兼邸の中は見学していません。
12月21日,
「ジャパンレッド」発祥の地ー弁柄(べんがら)と銅(あかがね)の町・備中吹屋ーに行ってきました。以前Eテレの「ハルさんの休日」で見たとき,ビックリしたのがこの赤です。
旧吹屋小学校校舎で「吉岡銅山」「弁柄」「石州瓦」の展示・説明を見て勉強。その後,散策しました。(お昼ご飯は「ハルさんの休日で紹介されていた「cafe燈」です。)
この史料(享和2(1802)年津山藩に提出された歴史的経緯と現状の報告)によると,
吉岡鉱山は「大同2(807)年草創」,「天正年中迄者毛利家御領国」,「太閤様御代ニ者粕谷助右衛門様御支配」そして,「其後当/御代ニ相成小堀□助様御見分・・・」となっています。
他の展示を見ていくと,18世紀に銅山から良質な硫化鉄鉱が産出され,本格的な弁柄製造が始まったそうです。
弁柄は,硫化鉄鉱から製造され,漆器や赤絵付(九谷焼・伊万里焼・輪島塗などの赤),建築・建具等(防腐・防錆)に使われました。吹屋の弁柄は全国の約95%のシェアを占めていたこともあるそうです。だから,この吹屋地区は,弁柄の赤の壁や瓦(石州(石見・現在の島根県)から瓦職人を連れてきて作らせた。)なのです。
広兼家(現在の正確な住所では吹屋ではない),片山家などの地元の豪商が弁柄の製造・販売で大もうけしたというわけです。
片山家とその分家(現在は吹屋ふるさと村郷土館)は見学しましたが,広兼家ほどではないものの,とても大きな家で迷路のよう・・・。
どれほど儲けたのでしょう!?!
ノスタルジックなまち並みにうっとりのんびりではないひねくれもののATSUでした。