[最近の心境]
[写真家DanHuangが台湾で撮影]
人が到達し得た所
人にいくら伝えようとしても
簡単には伝わらないものと心得るべし。
不遜に聞こえるかもしれないが、聖書学、神学、末日聖徒イエス・キリスト教会史などに関して、質問を受けても分かってもらおうと努力するのを断念しかける心境にある。従来教会が教えてきた説明を再考することなく、その枠内にいる教会員(英語でTBM=True Believing Mormon)には、余分な情報を提供して混乱させたり、煩わせたりしない方がよいのかもしれないと思うようになってきた。その人たちが満足し、幸せであればそれでよいのではないか。それが宗教の果たす役割なのかもしれない。
私は末日聖徒イエス・キリスト教会に関連する研究(Mormon Studies, モルモン学)を長年してきて、それなりの蓄積や最新の知見を承知しているつもりである。米国における研究グループの催し(conference)に出たり、研究誌に目を通したり、聖書を原語で参照し始めたりしている。その結果到達している理解を伝えようとしても、一般の教会員とは隔たりが大きすぎてお互いに遠い存在に感じられる。しかし、必要に応じて忍耐強く、理解を求めて努力していくべきなのだろうと思う。
当ブログ関連記事 2006.02.10 私の宗教上の姿勢
「愛の反対語は、憎悪ではなく、無関心」
フーテンの寅さん曰く
「俺っちなんてよ、何か決めるのに、サイコロを振っるしか無いけど、ちゃーんと勉強した人は、何がどうなって、こうしてこうなるから、こうするんだって決めるんだよね」
ヨナの譬えもあるしね。
イザヤも、ホセアも結果は変わらなかったけど、その言葉は、今も残ってる。
「世の中を見ると失望する、自分を見ると絶望する、しかし真実を見ると希望が生まれる」
2006.02.10の記事でマクマリンを例に挙げ「モルモン教会の保守・反動的な面に対して批判的であり、同時に反モルモンの迫害に通じるような言動に対しても反対し」とありますね。この記事を書かれた頃からNJさんは重大な誤解をされているんじゃないかと思っていたのですが、やはりそうなのかと思うことがあります。
反モルモンっていう存在はモルモン教会が生み出したものですよ。
彼らは悪魔が基になっているわけでもなく、伝統的キリスト教会がモルモンを攻撃しているわけでもなく、元々モルモン教会員だった(特に熱心だった)人たちなんです。
彼らはマクマリンのように「モルモン教会の保守・反動的な面に対して批判的」でした。しかしそれに対して教会は耳をかさなかった。それである人々は教会を離れ、ある人々は攻撃的になった。
良いたとえかどうか分かりませんが、沖縄の米軍基地に関する日本政府のやり方に憤懣やるかたない沖縄県民が政府に攻撃的な言動になる、それを反日的だと批判する人がいる、そういう構図によく似ていますね。
この事実にNJさんは何十年かけても未だに到達されていないのだなぁと思います。LDS会員に余計なことを伝えないようにするほうが彼らにとって幸せなのかとNJさんがお考えになられるように、私もまたこの事実をしつこくお伝えしない方がNJさんにとって幸せなのかと思っておりましたので、最近は書き込まないようにしていたのですが、この機会に申し上げさせていただきました。
「反モルモン」という言葉で検索してみましたが、そうした人たちの存在はWikipediaの「末日聖徒イエス・キリスト教会」の項にも書かれているのですね。
Yahoo!知恵袋にある興味深いやり取りもヒットしました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10107481605
『私たちが中傷者に反論すべきかどうかという質問について、「はい」に条件が付く理由は何だろうか?少なくとも4つの考慮すべき理由がある。』
この4つの理由とは何でしょうか?気になります。
NJさんもアンビバレントなんじゃないですかね?
悟りですね。
虚しさはありますが、世界中にはNJ様と同じ気持ちを抱いている人が一割ほどはいるのではないでしょうか?
イエスは探求の道を進む人も大切な子羊として認めていると強く感じます。
教会の美化にとっては余分な情報が提供されて混乱させられたり、煩わされたりのプロセスは真の改宗には必要なことだと思います。
教会のカルト化にもブレーキになって意義があると思います。
等身大の教会の情報を受け入れた時に、いきなり折れてしまうような信仰を神が喜ぶことはないだろう。
広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。
23:8
しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。
23:9
また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。
23:10
また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。
23:11
そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。
23:12
だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。
」 マタイ伝