日本の末日聖徒イエス・キリスト教会の統廃合をどう見るか?
2021年、2022年に末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教会)は関東、関西の教会(教区)を大幅に再編成して、小さなワードを統廃合し、ワードを束ねるステークの数も減少した。教会も日本の人口減少と高齢化の波や他の影響を受けて、会員数が減少し高齢化が急速に進んだためであるが、改めて再編の次第を具体的に記し、教会員の信仰生活に少なからぬ影響を与えるこの思い切った措置の背景と理由について分析してみたい。
具体的な統廃合
2021年春、関東で8つのステークがあったのが、次のように5つに再編された。
[東京ステーク、横浜ステーク、埼玉ステーク、千葉ステーク、武蔵野ステーク、町田ステーク、松戸ステーク、藤沢ステーク] が [東京ステーク、東京西ステーク、神奈川ステーク、松戸ステーク、千葉ステーク] の5ステークになった。この間、渋谷ワード、洗足ワードなどいくつかのワードと支部が他と統合される形で姿を消している。この関東の再編成の構想は、東京神殿を中心に扇状に配置する形となっている。いくつかのワードは東京神殿(東京都港区)に付設された礼拝堂に集うことになった。
2022年5月、関西でも5つのステークが3つに再編された。次の通りである。
[大阪ステーク、大阪北ステーク、大阪堺ステーク、京都ステーク、神戸ステーク] が [大阪ステーク、京都ステーク、神戸ステーク]。この再編に伴い関目ワード、枚方ワード、尼崎ワードなどが姿を消した。無くなったという場合、これまで会員が出席していた礼拝堂が閉鎖され、使用されなくなることである。例、枚方、尼崎ワードなど。
2022年春、北海道で [札幌ステーク、札幌西ステーク、旭川ステーク] が [北海道北ステーク、北海道南ステーク] とステークの数が3から2に減って、釧路地方部が姿を消している。北海道南ステークは函館から根室までの範囲を含むことになった。地図で見ると大変な広範囲であることがわかる。
また少し遡るが、2014年に沖縄で那覇ステークと宜野湾ステークが統合されて那覇ステーク一つになっている。この時3つのワードと1つの支部が閉鎖されている。沖縄県は対人口比会員数が最も高かったが、活発率は日本で最も低い部類に入ると報じられた1。
統廃合の背景と理由
[日本の教会員数の推移。2000年以降勾配が鈍化している]
それは第一に教会に出席する教会員数が、全国的に目に見えて減少していることがあげられる。日本の末日聖徒の会員数は、1980年頃の約5万人から1990年にかけて急カーブで伸び10万人に達し、2000年に入って伸びは鈍り高原状態になった。そして今日(2021年現在)130,260人に至っている。ただ、教会の充実ぶり(教勢)を本当に示すのはワードや支部の数である。末日聖徒は会員が集うこの単位をユニットと呼んでいるが、この数は2000年に317であったのが、2021年には251と66ユニット数が減り20.8%縮小している2。
なお、末日聖徒イエス・キリスト教会の制度面から見ると、教会に集う会衆(congregation)の人数・規模からいってその標準的な姿(規格、会衆の大きさ)を維持していないと、ワードやステークとしての名前に値せず、その機能を果たせない。それで組織の再編(統廃合)が行なわれることになる。平会員が教会運営を支えていくこの教会にあって、目に見える人手不足は構成員に兼任による過重な負担を強いることになる。例えて言えば、普通規模のコンビニ店を家族経営の人員で動かすことはできないのである。
今回のステーク再編に際し2021年関東の場合、指揮したアジア北地域会長和田貴志長老は次のような視点で臨んだと伝えられている。「神殿が会員の信仰生活にとって身近な存在となり、新世代を強めるように、また地元の指導者や会員が多数集まって強め合うようにしたい。3」但し注3に書いたように当初、予期しなかった境界線の案に地元の指導者は当惑の色を隠せなかった。
最後にもう一つ現実的な事柄になるが、あまり出席者が少ないと光熱費など維持費に見合わないことになって閉鎖になることが考えられる。非常に財政豊かな教会であるが、企業的な側面も持ち合わせている4。費用対効果(コストパフォーマンス)が低い店舗はたたまれるというわけである。
(前半終了。続く。)
註
1 “Stake Discontinued in Japan,” ldschurchgrowth.blogspot.com/2014/06/3
2 教会の newsroom.churchofjesuschrist.org 。一部関東などにおける統廃合の影響が出ている可能性がある。なお、伝道部数は1991-95年の10から2019年6に減少している。2022/11/09 access。 活発率について、高木信二、Meagan Rainock は20%と見(Mormonism in Japan, cgu.edu 2022.02.13 access)、沼野は2009年の時点で15-16%と計算している(「モルモン教会(日本)の活発率」ブログ NJWindow 2009-05-27)。
3 教会の News Release, 4 July 2021付け記事(英文)。記事の中で「関東基本計画」の調整を任された徳沢清児地域七十人は、複雑な思いがして暫く不安を覚えたと述べ、何人かのステーク会長も気が進まないという反応であった、と報じられている。2021年8月号リアホナ誌ローカルページ「関東地区のステークが大きく変更される」も同主旨。
4 D. Michael Quinn は The Mormon Hierarchy: Wealth & Corporate Power, 2017年 でこの教会に企業的な(corporate)側面が濃厚に見られると指摘している。
このページ、2023.03.27改訂。
https://cumorah.com/
上のほうの、Resources をクリック
select resources では statistical profile をクリック
select country では japan を
そして search ボタン クリック
https://www.cumorah.com/countries/viewStats/Japan
有志、または一個人でしょうかね・・
>>末日聖徒は会員が集うこの単位をユニットと呼んでいるが、この数は2000年に317であったのが、2021年には251と66ユニット数が減り20.8%縮小している2。
神権指導者の顔ぶれを眺めてるとその高齢化に驚きます。
たしか90年代にステーク役員だった人が新たにワードの長老定員会の責任につくなど。
3時間プログラムを2時間に改める、地方部を吸収合併した上で支部をグループに改編するなどユニットの減少比率=会員減少率とするのは違和感ありますね。
若い世代が続いていないわけではありませんが
地方では当時の指導者がいまだに最前線で働いている現状をみると未来は明るいとは思えません
10年後は、彼らも鬼籍に入り
ますますマンパワーが無くなっていくことを感じます
都会ではまだ若人がいるのでしょうが
地方では、ユニットを維持するだけの人材が残っていない
ように思います。
必然的に統廃合やプログラムの縮小をするようになるでしょう
先日、長年お休みだった方から連絡があり
《御霊に感じたので、会いにきた》とのことでした。
残念ながら言動が不安定で、認知症があることは明らかで
うちとは逆方向に進んで行かれ、ついにお会いすることは叶いませんでした
会員も彼の状況を心配しておられましたが、認知症の方が感じた御霊というものが私にはよく理解できませんでした
ベンソン大管長の晩年は認知症が進み、その責任を遂行することができなくなっていたと記憶しています
高齢者を邪険にするわけではありませんが、やはり運営に支障をきたす恐れが大いにあると思うのです。
齢を重ねても矍鑠としている方も多いですが、やはり体力的に厳しい環境だと思います
新陳代謝が行われない環境はやはり消滅なのでしょう
アイリング長老の予言とされた日本の未来に関する発言も
私にとっては絵空事のようです
事実、縮小の道を辿っています
企業もそうですが、コスパを考えると統廃合を経て、
効率的なところだけを残すようになるのは必然と思います
残念なのは会社と一緒で、社員に皺寄せが来るということで
生き残ったユニットに元々集っていた人以外は時間、金銭、手間という面で更なる犠牲を強いられることとなります
高齢者は信仰はあっても物理的に耐えられない人も出てくるでしょう
地方ではネット集会がメインになるかもしれません
それも時代の流れですが、案外、効率が良くて都合が良いのではないかと思います
聖餐も各家庭でディスプレイの前にパンと水を置けば、画面に映った神権者が電波経由でパンと水を清めるようになれば
いいでしょう
時代に応じたやり方で良いと思います
統廃合は新たな犠牲を強いる面もありますが、今を生きるための当然の措置でしょうね
日本の一時代が終わり、次の時代が始まったと感じております
よりシンプルで無駄がなくなるという点で成長した教会の姿を呈していると言えましょう
停滞していますが、ある種の安定があります
幹部の望む形ではないのでしょうが、自然の摂理に則った
形になっているように感じます。
犠牲の上に成り立っただけものは結果的に土台が砂の上にあったということでしょう
若さと信仰で組織を支えることができていても
それが継続されていなければ息が切れるのは必至です
若い世代が都会で育ち、故郷に戻って活躍できれば良いのですが、良い人材というものはより大きな土俵で勝負するものです。
地方を支える手立てはないものでしょうか?
結局は人の犠牲と信仰の上に立っているので
人がいないとどうしようもできない形態なんですよね。
寂しいことです。
ご多忙のところ、貴重なコメントに感謝致します。紙のファイルに補足・保存させていただきます。