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時々ギリシャ語やヘブライ語の参考書を開くことがあるが、最近玉川直重が序文にこのように書いていたのに気づいた。

「政治に外交に自主を叫ぶ今日の我国は宗教方面に於いても真に我国人のキリスト教を必要とするのである。それには、やはり直接原典に行くより他に途はない。中間的な存在に過ぎない翻訳書や注解書のみに依存していて、原語に盲目であることは嘘である。」(「新約聖書ギリシャ語独習」1933年)

しかし、原語研究が難しいことを認め、この独習参考書が「真にキリストを愛し、聖書を原典によって親しまんとする篤信家のために」書かれたものである、と述べている。このように控えめに書いているが、無教会の先達が原典から聖書を読むことに努力を傾注し自立を目指したことに改めて敬意を表したい。

振り返って我が末日聖徒の場合、何かというと英語ではどうなっていますか、という。しかし、聖典に関しては英語の背後にヘブライ語、ギリシャ語があることを平気で等閑視している。これは日本人もアメリカの教会員も同じである。

そして矛盾するようであるが、日本のldsは英語についても通暁することが求められる。実は、平均的な英語国民のldsは教義について歴史、神学面からの研究が希薄である。我々はそれを超えた研究(英文)をしてこそ自立につながると私は思う。英語もしっかり読めなければならない。


「原典現代中国キリスト教」を読んでいて日本の教会の自立について二つのことを感じた。ひとつは教会には社会に対して果たす責務があり、それを果たさなければならない、という考えである。改宗者を社会から隔離するのではなく、「改宗者が生活している社会の文脈を理解し社会改良の営みに従事すること」「現代世界の道徳的変革と社会秩序の改変に従事するために必要な活力を提供」するべきであるという(49, 50頁)。およそ現実離れのように聞こえるかもしれない。しかし、昔賀川豊彦は労働運動を指導したのではなかったか。この記事は、「宣教師は労働組合の指導者と良好な関係を持つべきである」と記している。

時代的な背景が大いに異なることを考慮すれば、教会は行政やNGO, NPO、ボランティア団体などの指導者と良好な関係を維持すべきである、と読み替えることができるのではないだろうか。


もうひとつは、中国で20世紀初め五四運動など反キリスト教運動が起こったとき、教会内部に自己反省、自己点検など自己省察を促す覚醒作用がもたらされ、むしろ前向きの雰囲気が醸成されて伝道が活況を呈したという(81頁)。もちろん社会的背景や次元が異なるけれども、反モルモンの厳しい攻勢にさらされているわれわれはどう対処し、結果はどのようになるのだろうか。ネット上の個人のページや掲示板上に真摯な対応が見られるが、残念ながら教会の外における反応に留まっているように思われる。

私見であるが、神権会の大祭司グループなどの時間に、2,3のような事柄について論じ合って組織化できれば対応の萌芽が生じ始めるのではないだろうか。


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