1月18日デゼレトニューズネット版に「モルモン書の准創造的翻訳の見解」という見出しがあるのが目にとまった。デゼレトニューズは末日聖徒イエス・キリスト教会が運営するメディアである。
この記事の原題は A co-creative view of Book of Mormon translation で、モルモン書の翻訳に当たってジョセフ・スミスが啓示の受け手として、聖典創出の一部を担った側面を示唆する見解である。版上に見える言葉によらないでモルモン書をもたらした可能性を受け入れる「弾力的な翻訳」説(loose translation) を紹介している。
全文が MORMON TIMES の同日版に掲載されていた。この記事の執筆者はマイケル・R・アッシュで「モルモンの学者は証する」という保守的なサイトのブレーク・T・オストラーの文に言及しながら書いている。オストラーの文はこうである。心中に与えられる啓示や洞察は様々な形で表現できる。実際、知識の全容を的確に述べることは不可能に近い。自分は能力が増し加わるにつれて前に得た啓示をよく表現できるようになっていた。ジョセフ・スミスがモルモン書を翻訳したのも同じようではなかったかと思う、と。
アッシュは、ジョセフ・スミスが後にモルモン書の本文に手を加えたのはこの弾力的見解にそうものであると説明している。また、モルモン書中の編集者(モルモンなど)やジョセフ・スミスが記録を受け継ぐ者として編集者、注釈者として言葉を添えたり、改訂したりするのは、ユダヤ教の用語「ミドラシュ」「タルグーム」に相当すると説明している。ミドラシュとはユダヤ教徒が旧約聖書を解釈する方法であり、タルグームはヘブライ語聖書のアラム語訳を指し、原本になかった説明や拡張を含むことがある。
私が注目したのは、オストラーが1987年「古代資料に現代的拡張を施したモルモン書」という拡張説を発表(Dialogue誌)していたことである。当時注目された折衷説で、霊感された聖典という部分と半分ジョセフ・スミスが19世紀の背景と自らの理解を織り込んだものと見てモルモン書を説明しようとした労作であった。アッシュのこの記事がデゼレトニューズ(ネット版)に掲載されたということは教会の姿勢に微妙な変化を読み取れるものだろうか。
Source:
DESERET NEWS January 18, 2010
MORMON TIMES January 18, 2010
http://mormonscholarstestify.org/407/blake-t-ostler
本ブログ 2009/06/12 モルモン書を偽典とみなした学者たち (6番目に紹介)
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http://www.geocities.jp/waters_of_mormon/Hard_Questions_j.htm
マイケル・R・アッシュさんってFAIRを立ち上げた人でしょうか。
だとすれば上記の文のように護協的な側面からの説明にも思えます。
元々原理主義的解釈を好まない方のようですし。
と言うのが、現在のモルモン教会の基本的な姿勢ですね。
真実かどうかは「信仰上の問題」つまり、真実だとする客観的な根拠は無いという事です。
少しずつ変えて行って、何年かすると全く違った教義になっていると言うのは、モルモンではよく有る話です。
モルモン書に対する広範囲な意見は悪意あるもの意外は歓迎すべきものでしょうね。
最近こんな記事が。
http://www.gallup.com/poll/125021/Mormons-Conservative-Major-Religious-Group.aspx
もしかしたらこれを意識しての投稿でしょうか。つまり教会はそれほど保守的じゃない的な。
>真実かどうかは「信仰上の問題」つまり、真実だとする客観的な根拠は無いという事です。
ちょっと飛躍した論では?
重要な証拠は、常に誠意と信仰ちつつ得られる霊的な証拠だがが、客観的な証拠も大切で用いるべきだというのが教会の姿勢です。
ということは相関関係はなさそうです。教会内外のBofM翻訳の認識からアッシュのあの掲載は容認される範囲に入ってきたのかもしれません。それにしても注目に値するのではと感じます。
宗教組織が時代の経過や科学の進歩、社会・文化の変遷に応じて調整・対応してきたのは、いずれの宗教にも言えることで、ひとりモルモン教会に限ったことではありません。(マリンズ「日本生まれのキリスト教」参考)