[フランシスコ教皇]
教皇は11/23-26日、駆け足で訪日される。このフランシスコ教皇について、彼の著「橋をつくるために」からわかることを記してみたい。(山岡三治氏の書評より)。
1 ヨーロッパは現在難民や移民を忌避しているが、自分たちが彼らのおかげでこんにちがあることを忘れている。われわれは本来皆移住者、皆難民ではないのか。私たちは命を育む力を回復し、連帯によって生命を大切にする必要がある。
2 現代の多くの問題を解決するには、異なる者どうしに「橋をかけること」が必要。それは、ある人が自分自身から抜け出して別の人とつながることであり、誰かの手を握る時、他人の家を訪ねる時、相手に謝罪する時である。基本は相手を探しに行くことであり、謙遜なしにはできない。・・過去をしっかり記憶する社会を建設しなければならない。
3 司祭(ldsの場合、教会の指導者, NJ)は山羊の匂いがする羊飼いでなければならない。硬直した中央集権、現状維持、護教・防衛的思考に陥ってはならない(この文NJが編集)。
4 教皇フランシスコが選出されると、メルケル首相がすぐ会見を申し込んだ。今日メルケル首相と教皇フランシスコの影響力は大きい。
5 ヨーロッパ出身でない初めての教皇(アルゼンチン出身)で、イエズス会員であることも初めて。生涯貧しさを選び、自然を愛した。旅行では司祭のための宿泊施設に寝泊まりし、所持品も非常に質素で、人々に寄り添って歩む人である。 --- 以上、書籍紹介より。
私はかねてよりローマ教皇が世界情勢に関心を示し、しばしば世界の為政者に苦言を呈してきたことに敬意を抱いてきた。(米国末日聖徒の有識者も同様の意見を述べている)。私はこの度長崎、広島を訪れられることに大きな期待と意義を感じている。
資料:山岡三治「グローバリゼーションの中のローマ教皇」本のひろば, 2019年10月号。
教皇フランシスコは良いかなと思っていましたが、やはり同じ穴の貉だったかとガッカリしました。
NJwindowさまは、どう思われますか?
司祭はそもそも羊飼いなのか?
自身をそう規定することこそ、思い上がりではないのか?
群れの中の1匹に過ぎないのではないか?、そしてそう自覚してくれた方が悪い事をなるべくしなくて済むんじゃないか?
これが、数十年間教会に通い、今は行かなくなった私の率直な思いなのですが‥?
「聖下は、慈悲深く、温かく歓迎してくださいました。」とネルソン長老は語ってます。
話の内容全部知りたいんですが、そんなに突っ込んだ話はしてないんでしょうね。
10月1日付朝日新聞朝刊の国際面に「列聖に異論 墓荒らされる」の記事。
訪米したローマ・カトリック教会のフランシスコ法王による列聖式で「聖人」に列せられたばかりのフニぺロ・セラ神父の像や墓が荒らされらとのこと。18世紀にカリフォルニアで布教した神父は、先住民に残酷な仕打ちをしたとの批判が先住民系団体などから寄せられ、列聖には異論もあったとのこと。
さて、フニぺロ・セラ神父とはどのような人物だったのか。ウィキペディアから抜粋してみる。①~⑧が抜粋である。
①カリフォルニアのインディアンに対して行った残虐行為とその残忍性から、作家のジョージ・モンビオット(英語版)はセラを「カリフォルニアのアドルフ・アイヒマン」と呼んでいる[1]。
②セラはカリフォルニアでの伝道(ミッション)を、イエズス会のやり方に倣った。武装したスペイン軍隊と共にセラはインディアンたちの平和な村々を襲い、酋長や呪い師を「異端者」として真っ先に捕え、拷問を加えて脅迫し、火炙りにしてこれを殺した。大人も子供も構わず、インディアンたちを動物のように捕まえ、柵の中に追い込み、「死にたくなければカトリック教徒に入信するように」とインディアンたちを脅迫し、逆らう者たちを殺した。
フランシスコ会の記録者フランシスコ・パロウ(英語版)神 父の報告では、セラが指導したフランシスコ会士の支配による最初の3年の間、インディアンたちの大人と子供が76人が洗礼を受けさせられ、これを拒否した 131人が殺されて埋められた。同時期にフランシスコ会がインディアンに対して行った他所でのミッション状況は以下のとおりである。
・「サンノゼ・コモンデュ(英語版)でのミッション」-洗礼数94人、殺害数241人
・「プリジマ・デ・カデゴモ(英語版)でのミッション」-洗礼数39人、殺害数120人
・「ヌエストラ・セフィオラ・デ・グアダルーペでのミッション」-洗礼数53人、殺害数130人
・「サンタロザリア・ド・ムレゲ(英語版)でのミッション」-洗礼数48人、殺害数113人
・「聖イグナチオのミッション」-洗礼数115人、殺害数293人
③セラが率いるフランシスコ会によるカリフォルニア支配が始まって3年の間に、カリフォルニアのインディアンの3分の1から4分の1が死んだ。イエズス会士 が初期のミッションを担当した数十年間に、どれだけのインディアンが死んだかは今となっては分からない。イエズス会は殺したインディアンの数を「必要無 し」として、記録していないからである。・・・
」
http://judo.daa.jp/z_yusyokuhitoniarazu.htm
カトリック教会は、18,9世紀、カナダ、米国でアメリカ先住民向け宣教活動(黒人奴隷も)してますな・・・
「ブリガムは、1845年、イエズス会司祭ピエール=ジャン・デ・スメー(1801-73)と会談、ロッキー山中の地理情報等を得てるということだ・・・・二人を親しい友人の間柄と記す人もいるようだが(英語サイト)、この時、二人が出会ったのは、初めてではなかったりして??
「ヤングはグレートソルトレイク・バレーやグレートベースンに関する情報を調べ、マウンテンマンや罠漁師達に相談し、その地域に詳しいイエズス会宣教師ピエール=ジャン・デ・スメーとも会談した。ロッキー山脈を越える道を開発するために先行隊を組織し、道の状況を評価し、水源を見つけ、グレートベースンで集合する場所を選択させることとした。 ”モルモン・トレイル”」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AB
デ・スメー イエズス
」
URLは https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/21594ec1f2ab33fa51bac450fc9dbdc5
6年も前に、たまWEB書いとったですかぁぁ・・・
おそるべし イエズス会・・・
イエズス でブログ内検索・・・いやぁぁ、色々書いとったですねぇぇ・・・
https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%BA%E3%82%B9
ここのは詳しくないみたいだが、一応、日本語圏これだけ?
インディアン戦争 南西部
http://www.jlifeus.com/e-pedia/10.culture&society/07.IndianWars/ptext/08.Apache.htm
「ちなみに黒田官兵衛の妹(虎:後に妙円)はWikipediaによると、福岡(筑前)の麻生家に再婚して嫁いでいますので、そのすぐ近くの飯塚市も支配していた麻生太郎氏一族も子孫だと思われます。
麻生太郎氏も2014年現在、副総理兼財務大臣、金融担当大臣ですから、日本の金融は黒田官兵衛の子孫で支配されてる、と言っても過言ではないようです。
なお官兵衛らの恐るべき遺言が週刊朝日2014年3月14日号に掲載されていましたが、「中世最大の国際貿易港 博多を支配し、その富で徳川家を滅ぼし、天下をとれ!」と・・・
」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10127468745
上智大はカトリックのイエズス会、関学大はプロテスタント・メソジストの宣教師のウォルター・R・ランバスによってそれぞれ創設されたキリスト教主義学校。
協定内容は次のとおり。
①学部学生の「国内学生交換」の実施
②留学生の相互交流
③教育・研究に関わる交流
④職員交流
⑤学生の国際ボランティアの共同実施
⑥東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会成功に向けての協力
上智大はまた先月24日、プロテスタント長老派によって創設された国際基督教大学(ICU、東京都三鷹市)と「連携及び協力に関する包括協定」を締結している。
今後予定されている取り組みは次のとおり。
①学生(大学院生、留学生を含む)および教職員の相互交流
②教育・研究に関する学術交流と情報交換
③グローバル化の推進
調印にあたり、上智大の曄道学長は次のように展望を述べた。
「少子化の加速、社会の変革、グローバル化が同時に押し寄せる中で、日本の大学は正念場を迎えている。今後、両大学はそれぞれのリソースを活用することで、教育研究の質向上、志の高い学生の確保、そしてよりいっそうのグローバル化を強力に推進していく。日本の大学の国際化を牽引してきた両大学が連携することで生じる相乗効果に期待したい」
」https://www.christianpress.jp/sophia-university-kwansei-gakuin-icu/
ありゃま、文在寅大統領もカトリックって・・・
「 1615年 アメリカ先住民をキリスト教に改宗するため、フランシスコ会原始会則派がケベック市に到着。
1625年 アメリカ先住民をキリスト教に改宗するため、イエズス会修道士がケベック市に到着。
」
https://archivesvirtuelles-cnd.org/ja/duizhaonianbiao
サンタ・アリアンザが集めた情報を基にバチカンの外交を推進して行く最高指導者は法王である。それを称して、ナポレオンは「ひとりの法王は20万人の兵士を連れた軍団に匹敵する」と評していたという。
また、サンタ・アリアンザの中でもスペインで生まれた二つの宗派イエズス会とオプス・デイの組織力は抜きんでているという。CIAの諜報員だったエヴェレート・ハワード・ハントはイエズス会の諜報能力は最大規模のものだと称賛していた。
一方、オプス・デイは1977年にベルギー議会で危険な宗派の・・・
」http://agora-web.jp/archives/2031661.html
アルゼンチンのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が2013年に法王に選ばれた理由のひとつは、ラテンアメリカでのローマカトリック教の強化という目的があったからである。それまでラテンアメリカはバチカンが少しなおざりにしていた地域であった。ところが、そこで解放神学の動きが活発になり、しかもプロテスタントも地盤を築きつつあるということから、ラテンアメリカ出身者を法王に任命しようという動きが活発になっていたのであった。
ベルゴリオ枢機卿がフランシスコ法王になってからは、ラテンアメリカ諸国を積極的に訪問して福音伝道をしている。
例えば、米国とキューバの国交正常化を導いたのもバチカンの協力があったからである。2014年、当時のオバマ大統領がバチカンを訪問した際に、フランシスコ法王にキューバとの国交回復に協力を要請したことが始まりであった。その後、法王はラウル・カストロ評議会議長に親書を送り、オバマ大統領の真意を伝えたのであった。その後、パロリン法王庁国務長官とケリー米国務長官らの協議がカナダで行われ、最後の詰めの交渉がバチカンで行われた。そして、53年振りに両国の国交が再開されたのであった。
正教会との関係改善も果たし、フランシスコ法王の次の大きな課題は中国との外交関係の樹立である。
また一方で、バチカンの外交は神聖な組織とは反比例して暗い陰も落としている。例えば、ドイツのナチスの軍人3万人を密かにラテンアメリカに移住させている・・・
」
ホルヘ・マリオ・ベルゴリオは、軍独裁を支持しただけでなく、ホルヘ・ヴィデラ将軍が指揮する軍事長官との連絡で「汚れた戦争」(ラ・ゲラ・シュクイア)で直接的かつ共謀的な役割を果たし、逮捕、投獄、拷問アルゼンチンの軍事政権に反対していた進歩的なカトリックの司祭と平家の失踪。
"1976年5月に殺害された2人の司祭Francisco Jalics y Orlando Yorioが5ヶ月後に解放されました。拷問された後、同じ作業の一部として誘拐された教区内の6人の他の人々が「消えた」(desaparecidos)。
激しい皮肉の中で、拷問室に送られた2人の司祭は、当時のベルゴリオが鮮明に反対した解放の神学に献上されました。
」
https://blog.goo.ne.jp/aya-fs710/e/d7b70bc4fa53517f15b46898aaa7f491
彼は中南米を軍事政権のもと米国資本主義側で支配しようとするCIA作戦工作部隊へのカトリック側からの(サンタ・アリアンザからの指名、応対)協力者ということか・・・そういう経歴を買われ教皇の地位に?!
この中南米のCIA作戦行動には、モルモンの軍事・諜報関連でそのうちCIA派閥も当然協力、一端を担ってたんでしょう・・・全世界へ・・・アメリカのモルモン(上層部)は高慢になってしまうよな・・・
■左翼活動疑われ連行
日系2世のエルサ・オオシロさん(57)の弟ホルヘ・オオシロさん(当時18)が姿を消したのは、1976年11月のことだった。
高校生だったホルヘさんは社会党の青年部に所属し、機関誌を配っていた。夜中、ブエノスアイレスの自宅に武装した男たちがなだれ込み、無言のままホルヘさんを連れ去った。
同年3月にクーデターを起こし発足したビデラ将軍率いる軍事政権は徹底して左翼活動家や労働組合員らの弾圧に乗り出していた。後に「汚い戦争」と呼ばれる。
軍事クーデターが起きたすぐ後で、世の中は騒然としていた。エルサさんは、大勢が拉致されていることなど知らなかった。弟が当局の標的にされるとは思いもよらなかったという。
ホルヘさんが拉致された翌年、日系紙「亜国日報」の記者だったフアン・カルロス・ヒガさん(当時29)も、職場から帰宅途中に武装した男たちに連れ去られ、二度と戻らなかった。ヒガさんはスペイン語版の記事や詩を書きながら、左派的な活動をしていた。
ヒガさんが失踪した後、ヒガさんの妹が、他にも日系人の被害者がいると知り、エルサさんらと連絡を取り合った。アルゼンチンで何が行われ、肉親たちがどうなったのか。おぼろげながら分かってきた。
軍事政権によって、行方不明になった人は3万人に上るとされる。拷問のうえ、生きたまま飛行機から海に突き落とすなどして殺害されることもあった。犠牲になった日系人は家族らによると16人。ただ、拉致されたことを明らかにしていない家族がいる可能性もある。
■「恥の文化」肉親沈黙
83年に軍政が終わったが、日系人犠牲者の家族たちは、ほとんど沈黙状態を続けた。
「父の世代の日系移民は、お上には絶対服従だった。だから、軍政に連れ去られた若者たちのことも、『身内の恥』と、受け取っていたと思う」
日系3世のノルマ・ナカムラさん(65)はそう話す。ノルマさんの11歳年下の弟ホルヘ・ナカムラさん(当時21)は78年に消息を絶ち、今も行方が分からない。 ・・・
」https://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/c863c28f03a3308db94e0a4008c0d9de
2014.12.03日に掲載したグライスの言う「協調の公理」に次のようなものがあります。[量]要求(あるいは場)に見合うだけの情報を与える。[関連性] 話題に無関係な情報は提供しない。
カトリック教会の素性、過去の負の歴史を知っておくことに意味があることは承知しています。しかし、今はそれを高射砲のように激しくあげ連ねる時ではないと思います。
2012.07.14日に掲載した(このblog)スエーデンの神学者クリスター・ステンダール(1921-2008)が、宗教間の理解にとって重要なことが三つあると述べた点です。
1. 他の宗教を理解しようとするとき、その宗教の信奉者に尋ねるべきであって、敵対者に尋ねるべきではない。
2. 自分の宗教の最善の部分と相手の最悪の部分を比較してはならない。
3. 信仰面でそれはいい(賛成できる)、と言える余裕を持つこと。言い換えると他宗の伝統の中で尊敬でき、自分の宗教にも取り入れることができたら、と思えるような要素を認めることである。
そのような姿勢で臨みたいと希望しています。
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