モルモニズムの情報源、主要な主題を扱うサイト。目次を最新月1日に置きます。カテゴリー、本ブログ左下の検索も利用ください。
NJWindow(J)



本ブログ11/23記事のコメントで出た質問の一部に答えたいと思
います。

1 繰り返し指摘される問題にジョセフ・スミスが受けた啓示
に、どの教派も間違っているからどれにも加わってはならない、
とあるのは穏やかならぬ主張である、そのことで不快に感じて
きたキリスト者全体に詫びるべきではないか、と受けとめられ
るものがある。

 これは確かに伝え聞いたクリスチャンにとって心穏やかなこ
とではないと思う。私も何か申し訳ない気(気まずい思い)が
しないではない。しかし、考えてみれば古来新宗教は皆それま
での宗教や体制に対して同じようにしてきたのではなかったか。
原始キリスト教はユダヤ教に対して、イスラム教はキリスト教
その他に対して、プロテスタントはカトリック教会に対して。
従前のものは間違っていると公然と主張し、改革を叫び信奉者
を得てきた。後になって、その違いの主張を詫びるということ
があっただろうか。イスラムがムハンマドの啓示についてキリ
スト教に詫びるという話は聞いたことがない。

 社会は、神の顕現(啓示)を受けて始まった宗教をそれはそ
れとして受け入れてきた。その場合、内容よりも顕現を受けた
ことに注目し、新宗教出現を認めている。教祖の顕現経験や従
前の宗教との相違(改革)の主張についてよほど埒外でなけれ
ば詮索することはあまりない。(対立する宗教の信奉者が受け
入れようとしないのはもちろんであるが)。

2 「魔女裁判やユダヤ人迫害などの過去の出来事を受け入れ
謝罪してきました。それらは現代のクリスチャンには無縁のも
のですが、それでもキリストの名を引き継いで過去の遺産を背
負っているのです。・・クリスチャンの仲間になるとはそうい
う事ですが?」(トゥゲザー)

 大変高遠にして正統な視点ですが、そこまで意識が届いてい
るクリスチャンが日本にどれくらいいるでしょうか。別の例で
言えば、中国に阿片を押し付けた列強の進出の背後にはキリス
ト教の宣教師が関与していたと考えられますが、そのことにつ
いて謝罪する気持ちのある日欧米のクリスチャンが今日どれく
らいいるでしょうか。またサイードが提出したオリエンタリズ
ム(西欧の優位を無意識に振りかざし、東洋やアラブ社会を蹂
躙してきた歴史)に対して悪かったと感じる西欧人(クリスチ
ャン)がどれくらいいるでしょうか。あまりいるとは考えられ
ません。阿片云々について(魔女裁判も、ユダヤ人差別も)日
本人は当事者ではないし、オリエンタリズムについても西欧人
は反論を見つけて気にも留めないでいるのが関の山でしょう。

 地域や時代の変遷、背後にある文化によって状況は異なると
思われます。「クリスチャンの過去の間違った行いを共に背負
って」いると感じる末日聖徒は、有識者の中に多少いるかもし
れない(ユダヤ人問題について)、としてもほとんどいないで
しょう。ひとつには新しく回復された(過去と決別した)教会
に所属すると意識していることが考えられます。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« イラク自由会... 「組織」の持... »
 
コメント
 
 
 
ご回答ありがとうございます (トゥゲザー)
2007-12-02 02:26:03
私の提示した愚問にわざわざご回答いただきまして恐縮です。

1.
察するところ、NJさんのご意見は、他の宗教を間違っていると批判するのはどの宗教でも当たり前でそれが宗教発祥の通過儀礼みたいなものであるということでしょうか。

しかしそのご意見はモルモンの信者としても、モルモン・ムーブメントの観測者としても、不十分であり、重要な点を看過しておられます。

それは現代社会においてもモルモン教会は会員獲得活動の上で、「他の教会は間違っている」と「神が言った」ことを心から信じる決意を示した者のみをその集団に加えているということです。
ジョセフの啓示は、プロテスタント教派やイスラム教のような遠い昔の起源譚ではありません。

現代社会において宗教的な対立は、宗教を政治に利用しようとする為政者によって意図的に生み出されるものであって、そういうことさえなければ、どの宗教でも一般信者が他宗教に敵対意識を持ってはいないと思われます。
しかしモルモン教会だけは違うのです。生ける神が実際に現れて「他の教会は間違っている」と言ったことを心から信じ、受け入れることを、その共同体に加わる必須条件にしているからです。

これは現在における進行形の話なのです。ですから謝罪が必要だと言うのです。
他宗教と、そのような手法で改宗を求めてきた人々に対して。


2.
「そこまで意識が届いているクリスチャンが日本にどれくらいいるでしょうか」との切り返しをなさっていますが、ではモルモンにはまともなキリスト教史を知っている人物はどれくらいいますか? 皆無でしょう。

「新しく回復された(過去と決別した)教会に所属すると意識している」とのことですが、まさにそのとおりなのです。クリスチャンと名乗ることが都合の良いときには、われらもクリスチャンだといい、都合が悪いときには、それは我々と無関係だと逃避する、それがモルモンです。

NJさんも良くご存知の事例をあげますと、先日、ローマ法王がその発言を批判され謝罪した際、そのニュースをネタに取り上げ、某モルモン会員は自分の掲示板であざ笑っていました。しかも彼はキリスト教会の過った行為は容赦なく追求すると息巻いていました。

彼の掲示板を多くのモルモン会員が利用しますが、誰一人たしなめる人はいませんでした。それがモルモン会員の真実の姿です。クリスチャンとして共に悲しみ、共に歩むと言う発想が無いのです。

モルモン会員にとってクリスチャンと言う称号は、単なるお得なクーポン券でしかなく、利用できるときにはさんざん利用するけれども、それに対して支払われてきた重い代価に対するリスペクトは全くありません。だからジョセフの啓示を真実だなどと言えるのです。

以上の理由によりモルモンは決してクリスチャンにはなれないのです。
せいぜいロッキーの山奥で神の王国を夢想している老人を崇めて、永久に来ない福千年を待ち続けるしかないのではありませんか?
 
 
 
そうであるとしても (NJWindow)
2007-12-02 06:57:11
そのような側面があるとしても、それで全てではないと考えます。トゥゲザーさんの主張にはR.V.レミニ(米伝記作者)や古屋安雄(神学者)のような寛容な著者の視点が欠落しているように思われます。
 
コメントを投稿する
 
現在、コメントを受け取らないよう設定されております。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。