小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



昭和時代に富水エリアの商工業の中心的存在だった小西六の小田原工場。コニカとミノルタが合併した後はコニカミノルタ小田原サイトの名称となり、さらに2006年には大日本印刷に譲渡されDNP小田原工場としてカラー印画紙の製造を行っていたが、デジタル化が進み写真プリントの需要減少などによって2016年に閉鎖。以後は利用されることなく今年の4月から解体工事が始まった。子供の頃に富水エリアを訪れる機会はそれほど多く無かったが、グッピー川に行く途中に小西六の工場近くを通ると人やトラックの出入りが多くて活気があったことを記憶している。街中でもさくらカラーの看板やポスターを良く見かけた。西門の前にある一番大きな建物はK5棟で1979年に建設された製造施設。工場の入口には工程表のほかに解体建物概要図もあって、各建物の建設年や延床面積がわかるようになっている。敷地全体の面積は約12,400坪。解体工事は来年3月末までの予定で、6月上旬くらいまで足場の組立作業が行われ、6月中旬くらいから解体工事が始まる。敷地内で一番古い建物は1964年に建設された建屋が2棟。南道路側のK-2棟は1964年建設でRC造りの5階建て。旧DNP小田原工場は北側が道路で分断されていて、北側の工場部分は住所としては栢山地内に所在。1971年に建設されたK-3棟のほかに、テストプラントや排水処理施設が残存している。旧DNP小田原工場の変遷をたどると、昭和8年に設立された昭和写真工業株式会社の富水工場が始まりで、同社が昭和19年に小西六写真工業に合併されて小西六写真工業富水工場となり、戦後の高度成長時代の写真ニーズを支えてきた。富水エリアの象徴的な工場は1年をかけて徐々に姿を消していく。

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