義父の葬儀も終わり、普通の日々が始まりました。
・・・ていうか、変なんですよね。
滅多に顔も合わせない親族が集まり、お坊さんがお経を唱え、お浄めの食事をみんなで食べ、
お棺にお花を入れ、焼き場で鉄の扉が閉まる音に「ああ、もうこれでお義父さんに会えない」と思い
お骨を順番に骨壺に入れ・・・
と、全部済ませたのに、何故か、これは一族全員でやっている大きなお芝居で、ほんとは
お義父さんは、いつもどおり茶の間で、お茶を飲んだりお菓子を食べたりしている気が
まだしてしまっています。
だから、昨日もめいっぱい仕事をして、夜はテレビを見てゲラゲラ笑ってたりしちゃう。
主人なんて、通夜の前日も、お葬式の夜も、テレビの歌番組を見たりして・・・
やっぱり実感無いのかなー?
でもこれは、あまりショックを感じないで、日々を送れるようにという、お義父さんの愛情なのかな、
とも思います。
他の親族も、悲しいけれど、「普通」の感じでした。
歳をとって自然に死ぬ、というのは、こういう意味でもいいことですね。
だから、もう普通の生活に戻って、家族仲良く日々を楽しもうと思います。
これが本当の供養かも。
・・・ていうか、変なんですよね。
滅多に顔も合わせない親族が集まり、お坊さんがお経を唱え、お浄めの食事をみんなで食べ、
お棺にお花を入れ、焼き場で鉄の扉が閉まる音に「ああ、もうこれでお義父さんに会えない」と思い
お骨を順番に骨壺に入れ・・・
と、全部済ませたのに、何故か、これは一族全員でやっている大きなお芝居で、ほんとは
お義父さんは、いつもどおり茶の間で、お茶を飲んだりお菓子を食べたりしている気が
まだしてしまっています。
だから、昨日もめいっぱい仕事をして、夜はテレビを見てゲラゲラ笑ってたりしちゃう。
主人なんて、通夜の前日も、お葬式の夜も、テレビの歌番組を見たりして・・・
やっぱり実感無いのかなー?
でもこれは、あまりショックを感じないで、日々を送れるようにという、お義父さんの愛情なのかな、
とも思います。
他の親族も、悲しいけれど、「普通」の感じでした。
歳をとって自然に死ぬ、というのは、こういう意味でもいいことですね。
だから、もう普通の生活に戻って、家族仲良く日々を楽しもうと思います。
これが本当の供養かも。