アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

欠礼のハガキ

2010-11-17 15:51:48 | 日記
今年は義父が亡くなったので、欠礼のハガキを出しました。

実は、欠礼のハガキを出したのは、今回が初めて。

ずーっと昔、もう30年前になると思いますが、同居していた祖母が亡くなったときには
こういうの出さなかったと思うんだけど・・・全然覚えてないのです。

頂いたことは、何回もありました。

そのたびに
「ああ、そうだったんだ。大変だったなぁ。」
と思い、その人の事をしばし考えたりいたしました。

でも、欠礼のハガキというのは、だいたい印刷のみで、本人の手書きの一言もなく、
「ずいぶん、そっけないなぁ。」
と、感じていたのも事実です。

普段会うことはまず無くて、年賀状だけのつきあいで何年もきている友人・知人もたくさん
います。

そういう友人・知人とは、年賀状の
「お元気ですか?」
だの
「今、家族は~で、自分は~です。」
というような短い一言で、ずっと親しい気持ちや間柄がつながっていると感じています。

なので、印刷文だけの欠礼ハガキは、なんとも物足りなく感じていたのでした。

が。

自分が書いてみると、そのわけがよーくわかりました。

書けないのですよ、その「手書きの一言」が。

ハガキ内のスペースの問題ではなくて、雰囲気的に書けない。
書く気分になれないというか。

ああいう、ちょっとした近況報告や
「今度、お会いしましょうね。」
みたいなことは、やはり、年賀状のような華やいだおめでたいハガキにこそ書けるものであって
たとえ、年賀状だけのおつきあいの間柄だから、せっかくの一年一度のお葉書だからといっても
欠礼ハガキには、なんだか何にも書く気になれないんだなぁというのを、体験してみて初めて知りました。

印刷文だけのハガキは、やはりそっけない印象で、なんとなく心苦しくもありましたが、かといって
数日手元に置いておいても、やはり一言添える気分にもなれなかったので、結局そのまま
出してしまいました。

欠礼のハガキというのはこういうもんなんだって、なんとなく理解、納得した次第です。