アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

上村松園展

2010-09-10 18:19:15 | 美術・芸術
行ってきました、上村松園展!

「二度とない 決定版」
これが、この松園展ちらしのうたい文句であります。

私は実は、松園の本物を、今までほとんど見たことがなかったのです。
画集とかの印刷は、たーくさん見てきましたが。

機会がありませんでした。
というか、松園って、あまり展覧会してないと思います。

で、もう、今年の初めから期待でいっぱいだったのです。
見たい見たい見たい見たい ∞ 

で、感想は・・・

本当に「決定版」です!

画集がそのまま展覧会になったと言って良いでしょう。
こんなに充実して、圧倒的にぜいたくな展覧会は珍しいです。

ものすごい展覧会です。
言葉が出ない。表現のしようがないのです。
久しぶりに、体がフラフラしました。

やはり、画集で見ただけではわからないことがたくさんありました。

これはもう、お時間があれば、日本女性の皆様には心からおすすめいたします。

わずか百年たらず前、私達日本女性は、こんなにも豊かで美しい出で立ちだったなんて、
信じられない思いです。

髪といい、髪飾りといい、着物といい、半襟、襦袢、帯といい、もう美しすぎて
何て言ってよいのかわからない思いです。

しかも、細やかに丹念に描くこと!

今日は、見てきたばかりで、興奮していて、あまり言葉になりませんので、ゆっくり書いて
いこうと思います。

が、前半後半で、展示替えがあるのよ。

かの「序の舞」は後半なのです。
ですから、後半も必ず行きますわ。
そして、また興奮しまくって帰ってまいりますわ。

おしゃべりコラージュ

2010-09-07 13:57:40 | アートセラピー
昨日は、コラージュ教室でした。

しかし、できあがった作品を写真取りして家に帰ったつもりが、バッテリー残量がなかったみたいで
画像が全然無~い(涙)!

残念。スミマセン。

でも、昨日何があったかということは、ちょっとおもしろいので書こうと思います。

たぶん尋常でない猛暑のせいで、参加者は、双子ちゃんを連れたママおひとりでした。

なので、ゆるーい雰囲気の中、まったりとおしゃべりを楽しみながらのコラージュでした。

普段は、みなさん真剣に作るので、たくさんママがいても、無駄話もなく、わりに静かなのです。

ですから、こんなふうにおしゃべりをしながらのコラージュというのは、私自身もあまり経験がなく
考えてみれば、不思議な体験でした。

しかし、おしゃべりをしていても、集中していないかと言えば、決してそうではなく、いつもと
別のやり方で、心は集中できているのでした。

できあがった作品は、びっくりするほど楽しげで明るく、見る人を一発で幸せにするような
すてきなものでした。

このママさんが普段、おしゃべりもせず集中している状態で作るコラージュの雰囲気は、もっと
物静かで、明るさもあるけれど陰もある、おとなっぽい雰囲気の作品が多かったと思います。

「普段は、黙ってぐーっと深く入って作る感じだけど、今日は、楽しく軽い感じで作れました。」
と、作者ママ。

きっとそうなんでしょうね。

深く入ってできあがった作品も、おしゃべりしながらできあがった作品も、どちらも、その人を
別の角度から表しているんだと思います。

だから、どちらもその人って言う感じ。
楽しくおしゃべりしながらじゃなければ出てこない世界だったかもしれない、とも感じました。

おしゃべりしながらだと、変に考え込んだりすることができないから、逆に作為が無い、自然な作品が
できるのかも。

おしゃべりコラージュ。
いいかも。

大切なママ友

2010-09-05 13:42:22 | 日記
ママ友、というと、小さい子どもさんのママ友達、というのが一般的解釈でありましょう。

が、子どもがいくつになっても、母は母であり、その意味で、子がいくつになろうとママ友は
大切だなぁ、としみじみ・・・。

夕べ、子どもが高校生だったとき、PTAの役員で一緒の委員会だった仲間で暑気払いをしたのです。

20才前後のこの時期、子ども達は、背伸びをしたり、もがいたりしながら自分の進路を
なんとか切り開こうとしているようです。

親から見ると、ただただ危うく、世間知らずで頭でっかちのように見えるけど、本人達はそれなり真剣。

はらはらしながら黙って見ているしかない親も真剣だし、そんな親をうっとおしく思う子も真剣。

みんな、同じような危うさを抱え、どれが理想とか、どれが正解っていうのがない人生を
うろうろしながら突っ走っている感じ。

ああ、みんな同じなんだな、いろいろあって、と思う。

この高校が普通高校ではなかったぶん、子ども達の進路もバラエティに富んでいて、ほんとに
人生いろいろなんだなーって。

それぞれの親が、子どもに対するそれぞれの思いを抱えているけど、それをばぁーっと言えて
「はぁー、そうなんだ。」
「そういうの、あるよねー。」
「良かったじゃん!」
「いつか、わかるよ。」
などと、絶妙の距離感で話せるのは、やはり「ママ友」だからだと思います。

どの年代の子どもにも、それなりの問題があります。

もう20才だから子育てなんて関係ない、なんてことは実際にはありません。
青年には青年の問題があり、親はそれをつきつけられる。

だから、いくつになっても「ママ友」は大切だなぁ、ありがたいなぁ、とつくづく思った昨晩でありました。

他愛のないおしゃべりにも、人を癒す力は、たっぷりあるんだよね。


カシラ?

2010-09-02 16:33:48 | 日記
さきほど、前述のブラジルからの留学生(女子、高校生)から質問を受けました。

「カシラとは何か?」

カシラ?
頭のことではないらしい。(でも、「かしら」を日本語辞書で引くと「頭」と出るようです。)

はぁ~
「○○かしら?」
の、「かしら」のことのようです。

女の子だからねー、日本の女の子との会話には、そりゃあ出てくるわよねー。

それは、only wemen use であり、pattern of question だとは言ったものの、
「~デスカ?か?」
と聞かれると、なんか、ちょっと違う気がする。

「~ですか?」と、全く同じ疑問文として置き換えられる場合もあるけど。
「これでいいですか?」 → 「これでいいかしら?」

ストレートな疑問文より、もっと、柔らかいニュアンス、相手に聞くと同時に、自分にも
聞いているような、なにか、うまく言えないけど、そんな気がしました。

が、そんな複雑微妙なこと、説明できないよねー。

なんせ、私自身だって「そんな気がする」程度なんだもん・・・
英語で「ニュアンスを伝える」なんて、無理無理。

そういえば、この子としゃべる時、気がつくと、私もずいぶん体を使っている気がします。

言葉でうまく伝えられないこと、それこそ、ニュアンスみたいなものは、手を動かしたり
からだを揺らしたりして、
「こんな感じ」を、一生懸命伝えます。

表現アートセラピーという分野で、体を自由に動かす「ムーブメント」というのがあり、
私は苦手意識が強かったんだけど、気がつくと、なんだやってるじゃん、体を動かして
何かを表現するって、私もみんなも自然にやれるんじゃない、なんて、全然違う発見をして嬉しくなったりして・・・。

いや、しかし・・・
彼女は「カシラ?」を正しく理解したカシラ?

・・・できてない気がする、ごめんなさい、オバサン英語下手で。