アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

私も繰り返してます。

2011-09-17 16:43:48 | アートセラピー
考えてみれば、私も、同じワークを繰り返してやっています。

コラージュなんて、本当にもう何回もやっていまして、今度本にでもしようかしら?っていうくらい
作っていると思います。

パステルアートにしても、マンダラ塗り絵にしても、何度も繰り返してやっています。

飽きるか?

いえ、全然。

とても不思議なことですが、やる度に、まるで初めてみたいな気分になります。

もちろん、プロセスは熟知しています。
でも、なんだか初めてみたいなワクワク感がある。いつもそうです。

ややこしく言えば、「今日の私」に会うのは初めてなのだから、当然抱く感情なのかもしれません。

ワークを繰り返すたびに、変化していく自分、変わらない自分、いろんな面が見えてきます。

いろんなことを思い出したり、気づいたり、納得したりします。

こうなると、アートワークは、単なる「癒しをもたらすもの」「なんか気持ちよいもの」を通り越して
自分の心を成長させる、強力な道具になり得ます。

時々温泉につかるような具合で、自分をリフレッシュさせるつもりでワークを繰り返すも良し、
どんどん自分を深く見つめるためにワークを繰り返すも良し。

同じワークを繰り返すのは、とても価値がありそうですねって、数日間書いててわかりました。

繰り返しのワークの大切さ

2011-09-15 20:00:20 | アートセラピー
前述のワークは、一日がかりの大きなワークの為、場所、画材、スタッフ等の準備も大変なせいもあるのだと
思いますが、同じ場所では、年に1~2回しか開催されないものだと記憶しています。

ですから、参加者にしてみれば、間が長いということになります。

なんでもそうですが、間があいてご無沙汰になってしまうと、つい億劫になったり、敷居が高いと感じて
足が遠のいてしまう傾向はあると思います。

そんな時「いつものあれ」という安心感には、絶大なものがあると思います。

そこにいけば、いつものあのワークをすることができる。

その安心感があればこそ、毎年ワークを楽しみにしているとか、数年ぶりにワークをしてみたら
前回とは違う発見があったとか、いろんな人間ドラマが生まれ、ひとりの人の心の成長に大きく貢献できるわけですよね。

私の場合は、大がかりなワークではない、こじんまりしたワークですが、それでも
繰り返しの大切さを、年々ますます感じます。

最初は、誰でもおっかなびっくりで始めますので、なかなか「自由な表現を楽しむ」までにはいかないものです。

同じ事をくりかえし、プロセスに慣れると、表現がより自由になり、頭で考え込むより
身体や心でキャッチしたものを表現しやすくなっていくと感じます。

わかりやすく言えば、

「えー、難しそうだなあ、できるかなあ、あ~みんな上手にやってるー、どうしよう~。」

が、
「わー、なんか楽しいー、なーんだこれでいいんじゃん、あ、そういえばもっとこんな風にやってみよう。
あー、なんか気持ちよくなってきた。あたしもなかなかじゃない。」

となるわけです。

でも、これはつまり、セラピストとしての私の未熟さの懺悔文なのですよ。

私は、セラピストになるための勉強中に、何度もいろんなワークを経験しているので慣れているけれど、
普通の方にとっては、どれも初めてのワークだし、だいたいが「アートセラピー」なんていう
あやしげなものも初めてなわけです。

セラピスト歴6年目にして、やっと、こういったことがわかってきた未熟さ。
私の周りの皆様ごめんなさああい。

それでも見捨てず、応援してくださる皆さん、ワークを受けてくださる皆さん、ありがとうございます!

まだまだ発展途上ということで・・・これからもがむばります

ワークを繰り返すということは

2011-09-14 18:19:49 | アートセラピー
数年前までは私も、ワークショップ等において、次々と新しいワークを提供するのが良いことだと思っておりました。

なので、常に、新しいプログラムを考えていたわけです。

毎日の食事が違うように、同じ人に同じワークをしてもらうのはヨクナイ、きっと相手は飽きてしまうだろうと
勝手に思いこんでいたのですね。

が、ある時、アートワークを全国的に行っているグループの本を読みましたところ、
そのグループは、もう何年にもわたり(たぶん10年は軽く越してると思います)、まったく同じワークを
行っているのでした。

初めは関西方面で行っていて、次第に全国で行うようになったのですが、ワークのプログラムは全く同じ。

ウォッシュアートを基本にした、一日がかりのワークだったと記憶しています。

「10年も全く同じワークを!?」
と、衝撃を受けました。

が、読んでいるうちに、納得できる箇所がありました。

つまり、参加者の安心感なのです。

繰り返すワークの良さ

2011-09-13 18:15:29 | アートセラピー
縁あって、定期的にアートワークに通わせていただいている障害者の作業所がありまして、
今日は、そのワークの日でした。

通所している方々の中から、毎月3~4名のメンバーさんと、こじんまりしたすてきな
アトリエで、ワークを楽しみます。

で、今日のメンバーさんたちは、お会いした瞬間
「私とスタッフさんの2人で、大丈夫かな?」
と、思ったメンバーでした。

スタッフさんも、同じ事を考えていらしたそうです。

が、全然大丈夫でした。

今日のワークメニューは「コラージュ」
切ったモチーフを、大きな紙に、どんどん貼っていきます。

ものすごく、みんな楽しそうに盛り上がってしまった。

中でも驚いたのは
「ひとりでは難しいかな?」
と思っていたメンバーの青年。

「今日は、コラージュをしましょうね。」
と、画用紙とはさみと糊を渡すと、すぐさま、おいしそうな食べ物の写真を、黙々と
切り始めました。

前回は、スタッフさんが、その青年につきっきりでした。
それでも集中力が持続せず、10分おきくらいにトイレに行っていました。

ところが、今日は、すべてのプロセスを一人でやれているのです!
しかも、2時間弱の時間中、トイレに行ったのは、たったの3回!

しかも、うれしそうな満面の笑顔が何度も出る。
「こんなに、表情が豊かだったのか。」
と感動。

そして、作品が出来上がったときの、その作品をみんなに見てもらっているときの
満足そうな表情といったら!

あ~~、あたしゃ、今日はなんかいい仕事をしたような気がする・・・。

そして、前回来たときには、気分がのらなくて、部屋のすみでずっと寝転がっていた
青年も、今日は、初めからエンジン全開で、ノリノリでコラージュしてました。

あ、もしかして・・・と思いました。

コラージュという同じワークをしたからかなと。

同じワークをする→同じプロセスという安心感→だんだんプロセスに慣れ、熟練してくる→楽しむゆとりが出てくる
→いろんな表現を楽しめるようになる→すてきな作品ができ、みんなに「すてき!」と言われる→
表現する満足感と、褒められる満足感の両方が味わえる→とても嬉しい

こういうことが、起こったようです。

スタッフさんも、同じワークを繰り返す良さが、はっきり感じられたようで、これからもしばらくは
コラージュを続けましょう、ということになりました。

食べるっていうことは・・・

2011-09-03 14:13:31 | 日記
昨日、新鮮なサンマをたくさん頂きまして、さっそく晩ご飯に食べました。

とても立派なサンマだったので、丸ごと焼けないので、頭の部分を切り落としたんですね。

サンマ君の顔って、可愛いね。
お目目がくりっとして。

など考えながら、頭を切り落としていたら、なんだか辛くなってしまった・・・。
(無論、腹は、早く塩焼きが食べたいと言っている)

最近、手軽なので、お魚は切り身ばかりを食べていましたが、こうしてきちんとした1匹の姿を調理すると、
やはり、食べるというのは、「お命頂戴」なのだな、という厳粛な気分になります。

サンマの塩焼き、大根おろし、人参とこんにゃくの煮物、きゅうりとトマトのサラダ、
豆腐とエノキとキャベツの味噌汁。

昨晩の献立です。

どれをとっても、やはり野菜やキノコや大豆の「お命頂戴」で、出来上がっています。

ううーん、他の命をもらって自分の命をつないでいるのだから、よほど感謝しなきゃいけないんだなあ。

おいしいとか、おいしくないとか、好きとか嫌いとかの問題じゃあないよねー。

一点の邪な心もなく、純粋に一生懸命生きていた生き物のお命を頂戴して、自分の体の中に入れるんだから、
やっぱり、自分もその生き方を受け継いで、純粋に一生懸命生きなきゃ、申し訳ないよねぇって・・・。



画像は、高知でいただいたトマト。
3色でしょ。緑のトマトも、熟れていないトマトっていうわけではなく、これで立派な
トマトなのです。

食べると、確かに酸っぱいのだけれど、青い草の匂いというか、良い香りが口いっぱいに広がって、すごくおいしかった。

小さいとき、野原で遊びながら、おやつ代わりにスカンポの茎をかじったことのある方はいませんか?
(ワタクシだけ?そんなことしてたのは?)

つまり、ああいう味です。