11月29日
朝から京都の烏丸御池で会社が取得を推奨しているデータ解析関係の資格試験を受けてきました・・・が、落ちちゃいました
もう1度 勉強仕直して、再チャレンジするしかないですね。あと2年半で還暦なのにそんな資格いるのかとも思っちゃいますが、どうせなら合格したいもんね
さて、せっかく京都に来たんだから、憂さ晴らしにブラブラしてから帰りますかね(笑)
御池通りを東にいくとあるのが京都市役所
その一角に京都市と姉妹都市提携しているウクライナのキーウ(キエフ)市との友好の碑があります。
2022年2月にロシアがウクライナに軍事進攻してから、間もなく2年。
停戦の落としどころも見えず、さらにエスカレーションしかねない状況がとても心配です。北朝鮮の韓国侵攻や中国の台湾進攻などに飛び火しなければ良いのですが。。。
高瀬川に沿った木屋町通へと曲がります。
御池橋のたもとに『此付近加賀藩邸跡』の立て札がありました。
江戸時代初期からこの辺りに外様大名としては最大の百二万七千石を有した前田家加賀藩の藩邸があったとされます。
KYOTOのモニュメント
そして、嬉しかった発見がこの『武市瑞山先生寓居之跡』の碑
幕末期、土佐勤皇党を組織し、藩論を公武合体派から尊王攘夷派に導き、藩父の山内容堂に従って上洛した武市瑞山(武市半平太)がこの場所に住んでいたんですね。
坂本龍馬にも大きな影響を与えた武市瑞山でしたが、八・一八の政変で世論が公武合体に傾いたことで、尊王派の彼は土佐で投獄され、切腹させられました。
その近くには同じく土佐の吉村寅太郎の寓居跡の碑もありました。
武市瑞山の土佐勤皇党に加わった後に脱藩して、京で天誅組を組織して倒幕のために挙兵しましたが、大和国(奈良)の吉野で敗死してしまいました。
こんな風に管理人が好きな幕末期の歴史に出会えるのが京都ブラ散歩の魅力です
『橋本左内訪問之地』
大坂適塾で緒方洪庵に学んだ福井藩士で思想家の橋本左内。同じく福井藩士の岩瀬忠震の宿所であった瑞泉寺を訪れ、将軍後継問題では水戸の一橋慶喜を擁立することで見解が一致しました。
しかし、紀州の徳川慶福(家茂)を推す大老の井伊直弼の安政の大獄によって橋本左内は死罪となってしまいました。。
つづく
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