お気楽忍者のブログ 弐の巻

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京都写ん歩 金戒光明寺

2023年02月28日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記4

幕末期、京都守護職本陣が置かれた京都市左京区黒谷町にある浄土宗大本山 金戒光明寺、通称「くろ谷さん」。

万延元年(1860年)完成の山門には後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額があります。

凄く立派な山門ですね

法然上人の幼少の頃の姿、勢至丸(せいしまる)の像。

法然は13歳の頃、比叡山で仏門に入りました。

御影堂(大殿)

宗祖法然上人75歳の御影(座像)を奉安しているお堂ですが、 火災により焼失し、今の御影堂は昭和19年の再建だそうです。

承安5年(1175年)、43歳で浄土宗の開宗を決めた法然が比叡山の黒谷を下り、京の岡崎を歩いていると大きな石があり、法然はそこに腰掛けてうたた寝してると、その石から紫の雲が立ち上り、下半身がまるで仏のように金色に輝く善導(中国浄土教の僧)が現れました。これにより、法然は浄土宗開宗の意思を強固にし、この地に草庵を結んだのがこの寺の始まりとされています。

浄土宗の総本山はご存知、知恩院ですが、法然が初めて開いたお寺はこの金戒光明寺だったんですね。

大方丈(国登録有形文化財)前の梅

御影堂と同じく、昭和9年に火災により焼失し、昭和19年に再建されました。

安永8年(1779年)建立の清和殿

阿弥陀堂(京都府指定有形文化財)は慶長10年(1612年)に豊臣秀頼により再建されました。

祀られている阿弥陀如来像は恵心僧都源信が仏像の彫刻に必要な「のみ」を体内に収めて以後の仏像彫刻を止めたことから、「のみおさめの如来」と呼ばれているそうです。

お次は永観堂方面へ向かいます

つづく

過去記事<京都写ん歩 京都守護職本陣の梅

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