「仰木マジック 仰木彬」
仰木 彬(おおぎ あきら、1935年4月29日 - 2005年12月15日)は、福岡県出身のプロ野球選手、プロ野球監督、野球解説者。
昭和30年代の西鉄ライオンズ黄金時代に正二塁手として活躍し、引退後は西鉄、近鉄、オリックスのコーチ・監督を歴任した。特に1980年代から90年代にかけて、10.19と呼ばれた名勝負や、阪神・淡路大震災後に『がんばろうKOBE』を合言葉に快進撃を果たし、率いたチームを11年連続でAクラス入りさせたことで知られる。血液型はA型。
1987年オフ、岡本伊三美の後任として近鉄監督に就任。遊撃手の村上隆行を外野に回し、遊撃は若手の吉田剛と真喜志康永を競わせ、打線を頻繁に入れ替え、投手陣では吉井理人をストッパーに抜擢した。シーズン途中リチャード・デービスが大麻事件で退団するも代わりに中日から獲得したラルフ・ブライアントが逆にプラスとなる。1年目は西武との激しい優勝争いの末、「10.19」でリーグ優勝を逃した。前年度最下位のチームを率いて当時黄金期の西武をあと一歩のところまで追い詰めた、様々な奇策による好采配は、恩師・三原の「三原魔術(マジック)」に倣って「仰木魔術(マジック)」と称された。
*Wikipedia より
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