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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『追放と自由』 - 3 ( 事実を認めて、再出発 )

2017-09-25 07:48:49 | 徒然の記

 李恢成という作家を通して、在日と呼ばれる人々の苦悩を再認識しました。

 再認識したというのは、納得し、肯定したという意味ではありません。彼らが沈んでいる心の穴の深さを、知ったということです。慰安婦問題以来、韓国人と日本人の思考回路の違いを痛感した自分も、内面が変わったような気がします。

 人種偏見を知らずに過ごしてきた過去が、嘘のようです。

 かって私には、朴、閔という名の、在日の友が二人いました。若いは国や民族を意識せず、個人を第一として人とつき合ってきました。世間が何を言おうと、個人が立派ならそれで十分というのが、ぼんやりとした、しかし頑固な友人の基準でした。

 慰安婦問題が騒がしくなり、国と国が敵対すると、個人同士も敵対するという事実に向き合いました。

 「君は、何にも知らない。お人好しの日本人の一人だ。」

 「知らないということは、免罪符にならない。知らないというのは、結果として差別の協力者になっているということだ。」

 一方的に言われ、友と疎遠になりました。今李氏の著作を読み、彼らの言葉の意味を理解しました。かっては何も知らない自分でしたが、だからと言って、今の私が彼らの主張に賛同するかと言えば、そういうことはありません。彼らの意見の中には、事実でない嘘が混じっているからです。

 言い争って別々になり、再び会うことはなくなりましたが、思い出を懐かしむ心は消せないまま残っています。過去を懐かしむ気持のまま、「ねこ庭」のブログに向かっています。

 氏の経歴を辿る作業が、別れた友の心の跡を見つけることにつながるのでないかと、そんな気もしています。

 昭和10年に樺太で生まれた氏は、存命なら今年82才です。最初は、この作品を氏の自伝だと思っていましたが、ネットで調べ勘違いに気づきました。以下が、ネットで得た情報です。

  ・昭和20年の敗戦後、家族で日本人引揚者とともに樺太より脱出

  ・長崎県大村市の収容所まで行き、朝鮮への帰還を図ったが果たせず、札幌市に住む

  ・北海道札幌西高等学校から、早稲田大学文学部に進学

  ・大学時代は、学生運動で活動していた。

  ・卒業後、朝鮮語による創作をめざしたが果たせず、日本語での活動を志す

  ・朝鮮新報社などに勤めたがその後朝鮮総連から離れ、昭和44年の群像新人文学賞受賞を機に作家生活に入る。

  ・昭和47年に『砧をうつ女』で芥川賞」「代表作に『見果てぬ夢』『百年の旅人たち』など

   ・昭和45年にひそかに訪韓した後、芥川賞受賞後の昭和47年に再び訪韓

   ・このときは朝鮮籍であったため、長期にわたって韓国政府当局から入国を拒否される

  ・ふたたび韓国入国ができたのは、平成7年11月のことであったが、その後も国籍問題を理由に何度も韓国当局との間で、入国をめぐるトラブルがあった

   ・平成10 年、金大中政権発足を機会に、韓国国籍を取得する。
 
  ・この経験に立ち、金大中政権の発足によって、大韓民国は民主化したと表現した。
  ・日本人拉致問題では過ちを認め謝罪した金正日の告白を、日本人は、歴史認識と平和憲法の精神で受け入れるべきと、東京新聞で語った。

 以上が氏の経歴ですが、拉致問題についてのコメントは、冷淡なものです。

 不法入国者でしかない在日を、拉致された、強制連行されたと、そんな視点で捉えているのですから、北朝鮮にいる日本人への同情はありません。歴史の事実を見ないと言えば良いのか、自己中心的朝鮮民族の強弁と言うべきか、やはり怒りを覚えます。 

 いよいよ、氏に関し私の意見を表明する時が来ました。

 ・氏の日本憎悪の原点が、日韓併合の36年間にあることを知りました。

 ・氏というより、韓国・北朝鮮人に共通する「日本憎悪の原点」だと理解しました。

 ・北朝鮮のことは知りませんが、韓国社会では、統治時代に日本に協力した「知日派」の人間と、彼らを憎む「反日派」がいて、現在でも深刻な対立があると聞きます。

 ・それは丁度、今の日本で「反日・左翼の人間」と「国を大切にする保守の人間」が、対立している構図に似ています。

 戦後の韓国の国民的課題は、「日帝統治の克服」であり、日本のそれは「憲法改正」です。日帝統治を韓国にもたらしたのは日本であり、憲法を日本にもたらしたのはアメリカです。

 戦後の10年、20年の話なら、日本が悪い、アメリカが悪いと悪態をついても良いのでしょうが、70年余が経過した現在で、他国の所為にしているのはおかしな話です。

 同じことを私は日本人にも言い、氏に対しても言います。

 「日帝」も「日本国憲法」も、すべて自分たちの不甲斐なさが原因です。問題解決の邪魔をしているのは、日本でもアメリカでもなく国民自身の決断の無さです。

 いつまでも他国に責任をなすりつけ、他国の所為にするのは、自国民の信念の無さを世界に晒しているようなものです。こんなみっともない真似は、お互いにそろそろ止めにする時です。

 これが、読後に得た氏への意見です。

 氏が私の意見を聞き入れる柔軟さがあるかについては、自信がありません。日本人と韓国人の思考に、大きな相いを見るからです。

 私たちは、「日本国憲法」を押し付けた、当時の米国に怒りを覚えますが、いつまでも恨みや憎悪を燃やしません。戦勝国が不条理なことをしても、それは致し方なしと敗戦の事実を認めるしかありません。賀屋興宣氏の言葉を紹介します。

  ・日本が勝っていれば、似たようなことを米国にしただろう。

  ・敗戦国になるということは、敵に何をされても我慢するしかない。

 アメリカを恨むのでなく、戦いに負けた自分が駄目だったのだと日本人の指導者たちは覚悟しました。

 武士道における「潔さ」とでも言うのか、前向きの思考に切り替える大胆さが、日本人にはあります。しかし、韓国にあるのは、恨みと憎悪という感情だけです。

 冷静になり、自国の無力が認められないのですから、恨みと憎悪のが「千年たっても」消えません。韓国では、国民が火のように燃え、目前の人間を激しく叩く思考に熱中します。自分たちが選んだ大統領でさえ、刑務所へ送り、追い詰めて自殺させたり、何年たっても自国の政治の安定を確立できません。

 だから、李氏に言います。

 「私たちは別々の道を歩きましよう。」

 「自責の念のない韓国人との交渉は、平行線を走るだけで、ゴールもなく実りもありません。」

 「国交断絶まではいかなくとも、互いに最小限のかかわりで過ごし、せめて内政干渉だけは止めましょう。」

 「私たちは弱かったから、連合国に負けた。」「日本人が間違っていたのでなく、弱かったという事実があるだけです。」

 「そして貴方たちも、弱かったから日本に併合された。」

 「この事実を認めるところから、両国は出発すべきです。」「国も人間も、一度はどこかで現実を認めなければ、未来への光は見えません。」

 李氏と別れた韓国の友へ、自戒と共にこの言葉を送り、ブログの終わりといたします。

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