ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『最後の殿様』 -8 ( 大川周明・北一輝・清水行之助 )

2021-07-10 16:05:22 | 徒然の記

 大川周明や北一輝は有名なので知っていますが、義親侯との関係は知りませんでした。説明抜きで、著作をそのまま転記する方が分かりやすいと思います。

 「大川くんは八代さんを通じて、僕の家に出入りするようになった。」「大正8年に大川くんは、上海に滞在していた北一輝を、連れ戻しに行った。」「その際北一輝が、『日本改造法案大綱』の原稿を大川くんに託し、」「それを大川くんが、謄写版刷りして配布したこと、」「さらに北一輝が、昭和11年の2・26事件に関係して、」「銃殺になったことは、すでによく知られている。」

 侯にとっては普通の話でしょうが、私のような庶民から見れば、「政界の裏話」となります。金儲けを狙うマスコミには、「これぞ陰謀論」と言うことになるのでしょうか。こそこそと重大らしく語ると「陰謀論」になりますが、侯のように飾らずに書けば、「普通の話」になります。

 「北一輝が帰国する際、清水行之助くんが同行して帰国した。」「清水くんは、中国の秘密結社青幇 (  ちんぱん ) の親分・杜月笙 ( とげつしょう  ) と友人で、」「自分は揚子江沿岸の荷上げ人足の連合組織、" 日華相愛会  " を作り、会長となり、 」「北一輝を顧問としていた。」

 清水行之助氏についてネットで調べますと、次のように書かれていました。

  ・大正・昭和期に活躍した右翼活動家、福岡県小倉出身

  ・兄が支配人をしていた筑豊炭田で、兄の仕事を手伝う

  ・大正3 (1914) 年に上海へ渡る。上海で中国革命運動や日貨排斥運動に直面

  ・青幇の杜月笙の協力を得て、" 日華相愛会  "を設立

  ・揚子江における英国船の荷役拒否ストライキなど、反英工作を行った。

  ・当時、上海にいた北一輝に師事し、国家社会主義に傾倒した

  私が一番驚いたのは、「青幇の杜月笙」の名前が出てきたことです。話は大きく横道へ逸れますが、私は最近、I Tビジネス評論家の深田萌絵氏の動画を見ています。杜月笙は亡くなっていますが、彼が作った「青幇」組織は今も健在です。健在どころか、台湾財閥としてIT業界を支配しています。世界的なICチップ不足と言われる中で、台湾企業が半分以上のシェアーを持っていると言われています。

 親日の台湾企業だからと、日本はTSMCと組み、日本国内で合弁企業を作り、ITの先端技術の研究・開発に力を注ごうとしています。国会議員や通産省が協力し、大きく報道されていますので、知っている人も多いと思います。

 深田氏は、連日日本に対し警鐘を鳴らしています。

 「TSMCと組むなんて、とんでもありません。」「日本政府や議員さんたちは、分かっているのでしょうか。」「TSMCが台湾の企業だなんて、そんなことは調べてみたら分かることです。」

 「TSMCは、杜月笙が作った " 青幇 " 財閥のものなんですよ。」「 " 青幇 " は、台湾の財閥というより、今では中国共産党と組んでいる、中国共産党の一部みたいなものです。」「そんなことも知らず、TSMCと組むのですか。」「日本の先端技術は、みんな吸い取られてしまいますよ、それでいいんですか。」

 今回のブログは、TSMCでなく、侯の自伝のがメインなのでこれ以上は言及しませんが、驚いているのは 、" 青幇 " が現在も日本にとって大きな存在であると知ったことです。

 ネットで調べてみますと、青幇の活動時期は、清朝時代の前期から、1950 ( 昭和25 ) 代の半ばまでとなっています。公式的には消滅したのかもしれませんが、実際は令和3年の現在も健在です。

 ・活動範囲・・ 中国の運河水流域 特に上海

 ・構成民族・・ 中国人

 ・構成員数・・ 75万人

 ・主な活動・・ 麻薬販売、賭博、売春。特に麻薬販売は、一時中国全土を支配した

 ・友好組織・・ 中国国民党

 ・敵対組織・・ 中国共産党

 ネットではこのように説明されていますが、深田氏の説明では、時代の先端をいくIT企業を傘下に収め、友好組織である中国国民党ばかりか、敵対組織であるはずの中国共産党と手を組み、アメリカに対抗しようとしています。どう言う経緯でこのように変化したのか、分かりませんが、もしも深田氏の説明が正しいとするなら、国難が一つ増えます。

 日本政府の情報収集力がお粗末なのか、政府内の媚中派が相変わらず利敵行為をしているのか。情けない話ではありませんか。TSMCへの出資を推進している議員の一人は、「護る会」の長尾敬氏だと言いますから、さらに驚かされます。ソフトバンクの孫正義氏は、青幇の傍系の人物から資金援助を受けていたが、今は切り捨てられようとしていると、深田氏は言います。

 何が正しいのかと、今の私は混乱しています。青山繁晴氏の言葉を、そのまま信じられないのは、こう言うところにも理由があります。「ねこ庭」を訪問される方々の中には、詳しい事情を知っておられる方もいるのでしょうが、そう言う方はスルーしてください。

 話がすっかり横道へ迷い込んでしまいましたが、分からないことを今は無理に知ろうとせず、次回は再び、侯の自伝へ戻り日本の話を続けます。

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『最後の殿様』 -8 ( 家職 )

2021-07-10 11:42:47 | 徒然の記

  書評が始まったばかりなのに、青山氏の動画など急を要するものが入り、『最後の殿様』のブログが中断しました。本日は、どこを取り上げても歴史になる殿様の話に戻ります。

 忘れている人のため、もう一度紹介しますと、殿様の名前は徳川義親侯で、戦前は、侯爵・貴族院議員でした。

 私は戦前の日本に「取り戻すべき日本」がある、と思っていますが、侯は滅ぼされた徳川サイドから見る日本史のため、薩長が作った明治政府をさほど評価していません。日本を愛する人とは言いながら、侯の話も青山繁晴氏に似て、私の考えとはピッタリ一致しません。

 侯が東大の理科を卒業した、大正3年7月にオーストリアがセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が始まります。

 「日本は英米側についてドイツと戦い、ドイツが中国から租借していた山東半島膠州湾を陥落させ、」「その上で南洋諸島を入手した。」

 「当時国民は、三国干渉の恨みを晴らしたと言ったが、」「その裏面で、戦えば必ず勝つと言う妄信と、慢心が発生した。」「この慢心は、不吉の前兆であった。」

 昭和51年に90才で没した侯が、昭和48年出版した本ですから、今から48年も前の著作です。反日左翼が「東京裁判史観」を全国に浸透させていた時でもあります。立派な殿様でも、世間の風潮には逆らえなかったのではないかと、私は見ています。しかし一方で、そこにはまた、国を思う侯なりの視点と苦言があり、教えられるものがあります。

 「第一次世界大戦は、日本が参戦したとはいえ、」「戦死者わずか300名を出しただけで、戦争と言われるほどのものではなかった。」

 「問題は戦争に乗じ、工業生産力を拡大し、巨大な利益を上げ、」「儲けることに味をしめたことである。」「このため農業は軽視され、かって農民を重視し」「金銭を卑しんだ武士の潔癖性が薄れた。」

 大正6年、大戦の最中ドイツと戦っていたロシアに革命が起き、ロマノフ王朝が倒れました。皇帝は家族とともに惨殺され、11月に共産党が暴力によって政権を握りました。ここまでは歴史で教わりましたが、次の事実は知りませんでした。

 「ロシア革命の結果、チェコスロバキアが危機に瀕した。」「アメリカはチェコを救うため、日本にシベリア出兵を提案し、日本がそれに応じた。」

 私が知っている当時のアメリカの状況は、次の通りでした。ウィルソン大統領は、対立する二つの勢力に取り巻かれていたと言います。

 1.  大統領最高顧問ハウスや、ロシア駐在の赤十字代表

  ・ボルシェビキへの援助を通じて、友好関係を維持し、将来のロシア市場への投資を狙う政策。

 2.  国務省

  ・ホルシェビキ政権の自己崩壊を予想し、アメリカが出兵したら日本の権益を拡大させると、英国と共に日本の動きを懸念していた。 

 日本はアメリカに提案されるまでもなく、ロシア革命での混乱を好機として、自らシベリア出兵を計画していました。どちらが正しいのか、私には分かりませんが、侯の意見の本題はどうやら別のところにあります。

 「日本の財界は、出兵を見越して米の買い占めを始めた。」「今日も、財界の物資買い占めが問題となっているが、」「儲けのためには国民の困窮も、恥も外聞もない習性は、」「当時も今も、共通している。」

 「米の買い占めで、一升17銭であった米が50銭に暴騰した。」「富山県は明治時代にも、米騒動を起こしたが、」「大正8年8月、富山県の婦人たちの不満が爆発して、」「またしても米騒動となった。」「これがきっかけに、騒乱は北海道、東京、大阪、京都をはじめ、」「全国32県に普及した。」「政府は新聞の記事掲載を禁止し、軍隊を出動させたが、」「鎮圧に45日も要した。」

 侯が批判の対象にしているのは、戦争を利用し巨利を得ている財界です。今日の言葉で言えば、経団連でしょうか。企業の多くは自分の会社の利益を優先し、国民や、ひいては国の益を無視します。敵対国である中国に対し、目先の利益に眩んで尻尾を振り続ける現在の経団連も、侯の批判する財界と同じです。

 「薩長を中心とする明治政府は、恥も外聞もなく金儲けに走る財界と手を結び、国民の困窮を無視している」と、言葉では書いていませんが、どうやらそのような見方をしているように思えます。

 「このため農業は軽視され、かって農民を重視し」「金銭を卑しんだ武士の潔癖性が薄れた。」

 この言葉の中に、殿様である侯の怒りがあると感じます。そしてこの義憤が、次の展開に結びついていきます。

 「東大で一緒であった大川周明くんが、時局懇談の " 老壮会  " を作り、」「家に来たのはその時である。」

 「家には家職の制度があり、他に顧問もあった。」「海軍大将八代太郎、内閣総理大臣となった加藤高明、2・26事件で殺される渡辺錠太郎陸軍大将らがいた。」「この八代さんと、大川くんは親しかった。」

 家職とは、武家・華族・富豪などで、「家」の事務を執る人のことを言うのだそうですが、徳川御三家・尾張の殿様の家だけあり、大物たちが名前を連ねています。スペースがなくなりましたので、今回はここで終わりますが、5・15事件と2・26事件に、侯がどのように関わっていくのかを、次回から述べます。

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