大川周明や北一輝は有名なので知っていますが、義親侯との関係は知りませんでした。説明抜きで、著作をそのまま転記する方が分かりやすいと思います。
「大川くんは八代さんを通じて、僕の家に出入りするようになった。」「大正8年に大川くんは、上海に滞在していた北一輝を、連れ戻しに行った。」「その際北一輝が、『日本改造法案大綱』の原稿を大川くんに託し、」「それを大川くんが、謄写版刷りして配布したこと、」「さらに北一輝が、昭和11年の2・26事件に関係して、」「銃殺になったことは、すでによく知られている。」
侯にとっては普通の話でしょうが、私のような庶民から見れば、「政界の裏話」となります。金儲けを狙うマスコミには、「これぞ陰謀論」と言うことになるのでしょうか。こそこそと重大らしく語ると「陰謀論」になりますが、侯のように飾らずに書けば、「普通の話」になります。
「北一輝が帰国する際、清水行之助くんが同行して帰国した。」「清水くんは、中国の秘密結社青幇 ( ちんぱん ) の親分・杜月笙 ( とげつしょう ) と友人で、」「自分は揚子江沿岸の荷上げ人足の連合組織、" 日華相愛会 " を作り、会長となり、 」「北一輝を顧問としていた。」
清水行之助氏についてネットで調べますと、次のように書かれていました。
・大正・昭和期に活躍した右翼活動家、福岡県小倉出身
・兄が支配人をしていた筑豊炭田で、兄の仕事を手伝う
・大正3 (1914) 年に上海へ渡る。上海で中国革命運動や日貨排斥運動に直面
・青幇の杜月笙の協力を得て、" 日華相愛会 "を設立
・揚子江における英国船の荷役拒否ストライキなど、反英工作を行った。
・当時、上海にいた北一輝に師事し、国家社会主義に傾倒した
私が一番驚いたのは、「青幇の杜月笙」の名前が出てきたことです。話は大きく横道へ逸れますが、私は最近、I Tビジネス評論家の深田萌絵氏の動画を見ています。杜月笙は亡くなっていますが、彼が作った「青幇」組織は今も健在です。健在どころか、台湾財閥としてIT業界を支配しています。世界的なICチップ不足と言われる中で、台湾企業が半分以上のシェアーを持っていると言われています。
親日の台湾企業だからと、日本はTSMCと組み、日本国内で合弁企業を作り、ITの先端技術の研究・開発に力を注ごうとしています。国会議員や通産省が協力し、大きく報道されていますので、知っている人も多いと思います。
深田氏は、連日日本に対し警鐘を鳴らしています。
「TSMCと組むなんて、とんでもありません。」「日本政府や議員さんたちは、分かっているのでしょうか。」「TSMCが台湾の企業だなんて、そんなことは調べてみたら分かることです。」
「TSMCは、杜月笙が作った " 青幇 " 財閥のものなんですよ。」「 " 青幇 " は、台湾の財閥というより、今では中国共産党と組んでいる、中国共産党の一部みたいなものです。」「そんなことも知らず、TSMCと組むのですか。」「日本の先端技術は、みんな吸い取られてしまいますよ、それでいいんですか。」
今回のブログは、TSMCでなく、侯の自伝のがメインなのでこれ以上は言及しませんが、驚いているのは 、" 青幇 " が現在も日本にとって大きな存在であると知ったことです。
ネットで調べてみますと、青幇の活動時期は、清朝時代の前期から、1950 ( 昭和25 ) 代の半ばまでとなっています。公式的には消滅したのかもしれませんが、実際は令和3年の現在も健在です。
・活動範囲・・ 中国の運河水流域 特に上海
・構成民族・・ 中国人
・構成員数・・ 75万人
・主な活動・・ 麻薬販売、賭博、売春。特に麻薬販売は、一時中国全土を支配した
・友好組織・・ 中国国民党
・敵対組織・・ 中国共産党
ネットではこのように説明されていますが、深田氏の説明では、時代の先端をいくIT企業を傘下に収め、友好組織である中国国民党ばかりか、敵対組織であるはずの中国共産党と手を組み、アメリカに対抗しようとしています。どう言う経緯でこのように変化したのか、分かりませんが、もしも深田氏の説明が正しいとするなら、国難が一つ増えます。
日本政府の情報収集力がお粗末なのか、政府内の媚中派が相変わらず利敵行為をしているのか。情けない話ではありませんか。TSMCへの出資を推進している議員の一人は、「護る会」の長尾敬氏だと言いますから、さらに驚かされます。ソフトバンクの孫正義氏は、青幇の傍系の人物から資金援助を受けていたが、今は切り捨てられようとしていると、深田氏は言います。
何が正しいのかと、今の私は混乱しています。青山繁晴氏の言葉を、そのまま信じられないのは、こう言うところにも理由があります。「ねこ庭」を訪問される方々の中には、詳しい事情を知っておられる方もいるのでしょうが、そう言う方はスルーしてください。
話がすっかり横道へ迷い込んでしまいましたが、分からないことを今は無理に知ろうとせず、次回は再び、侯の自伝へ戻り日本の話を続けます。