侯は、敗戦後に変節したのでなく、戦前から「社会主義親派」で、「昭和維新」の賛同者でした。今はもう死語となりましたが、「昭和維新」とは、「世直し」を意味する言葉で、5・15事件や2・26事件で決起した若い軍人たちの合言葉でした。
侯もまた、暴利を貪る財界や、財界と結ぶ政治家や軍人へ怒りを抱き、大川周明、北一輝や、左翼系の軍人との交友を深めていました。詳しい経緯を侯が語っていますので、今回はそれを紹介します。
「昭和4年夏に、大川周明くんと清水行之助くんが、」「僕の秘書の渋谷三 ( かず ) と、有馬頼寧( よりやす )伯爵家の秘書、豊福保次くんと計り、」「自局懇談を目的とした、" 二十日会 " を作った。 」
「 " 二十日会 " に参加したのは、僕のほか、有馬頼寧、近衛文麿、鶴見祐輔くんである。」「元々有馬くんは、農民問題に取り組んでいるし、」「近衛くんは高踏的だが、社会問題に関心を持っている。」「僕は、衆議院や参議院の腐敗を目前にし、」「明治維新の誤りを指摘して、昭和維新をやらねばダメだと話たりしていた。」
私からすれば、思いがけない顔ぶれです。会合の場所は、新橋演舞場と川を隔てた向かい側の「金竜亭」で、氏の説明によりますと、後に三月事件や十月事件のクーデター計画の謀議の場所にもなったそうです。
「大川くんは八代大将の心酔者だが、八代さんは僕を頑固もんと言い、」「大川くんには、あれは大名家によくある馬鹿殿様だから、」「相手にするなと、言ったりしていた。」
人間関係が良く分かる、興味深い叙述です。
「八代さんは徳川家に忠実な人で、誠意を持って尽くしてくれたが、」「僕が、一向に八代さんの忠告を聞かず、」「石川三四郎くんを家庭教師にしたり、」「貴族院をひっくり返そうと計画したりで、」「八代さんから見ると、危険で手に負えない、」「馬鹿に見えたに違いない。」
「大川くんは真っ正直で、八代さんの言葉を信じ込み、」「二十日会で僕の顔を見ても、ふん、と横を向いたりする。」「僕は別に、どうと言うこともない。」「馬鹿殿様と言われようが、褒めあげられようが、」「僕自身は、どうといって変わりはない。」
もしかすると著作権の侵害になるのかもしれませんが、この辺りの叙述は息子たちにはもちろんのこと、「ねこ庭」を訪問される方々にも紹介したいと思います。侯のご遺族がおられたとしても、きっと黙認していただけると、勝手に決めました。
「昭和6年当時、僕の家は改築中だったので、」「麻生の後藤新平宅に住んでいた。」
そこへ清水行之助氏が訪れ、時勢改革の必要性を力説します。文章では長くなりますので、箇条書きにします。
・今日の情勢は、政友会が政権を取ればインフレ、民政党が政権を取れば、デフレとなる。
・国民大衆は困窮し、失業者が溢れ、犯罪者が増加し刑務所から溢れている。
・青年は前途に失望し、虚無化している。
・このまま進めば、ロシアのように、国民蜂起の大革命になる。
・現に共産党は、武装蜂起を計画している。
「僕もそう思っているので、清水くんの言葉に耳を傾けていた。」
・日本は土地狭隘で、ロシアのように内乱になると、外国の干渉が入り国土は四分五裂となる。
・とはいえ今日、革命を待望しない国民はいない。全ては議会主義による、政党政治の失敗が原因。
・政党政治を打破し、真の維新をやらないと、日本は救われない。
・大川博士が中心になり、軍も乗り出し、陸軍省も参謀本部も一体になっている。
・赤松克麿らの社会民主党も加わり、3月30日労働組合法案が議会に上程される時、革命を断行すると決まった。
これが後に、「三月事件」と呼ばれるクーデターです。資金提供者として侯が関係していたとは、この本で初めて知りました。
「僕は清水くんに同調した。」「清水くんは当時、バス会社の社長をしていた。」「会社の株を売り運動資金を作ったが、たちまち費消し、」「資金を出すと言った軍から、まだ金が出ないので、」「軍資金の援助をして欲しいと言う。」
革命に異議を持たない侯は、50万円の支援を約束します。50万円は、昭和46年当時の金で5億円以上になるそうです。令和3年の現在はもっと大金になるはずですが、計算の得意な方は自分で確かめもらうこととし、私は話を先へ進めます。
「華族は金が自由になると、世間は思っているが、実はそうでない。」「大きい家には会計規則があって、家令が経理を握っている。」「主人でもその承認がいる。」「会計検査もある。」「僕の家では、5百円以上の金は顧問の承認が必要であった。」
私の家では、家内が金の管理をしています。計算が苦手なので、その方が気楽なのですが、殿様もそうだったのでしょうか。金額がだいぶ違いますが、金が自由にならないところが似ていますので、親近感が湧いてきます。
次回は50万円の大金をどのようにして工面したのか、氏の著作から転記いたします。