ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『最後の殿様』 -12 ( 昭和維新の始動 )

2021-07-13 14:28:58 | 徒然の記

 侯は、敗戦後に変節したのでなく、戦前から「社会主義親派」で、「昭和維新」の賛同者でした。今はもう死語となりましたが、「昭和維新」とは、「世直し」を意味する言葉で、5・15事件や2・26事件で決起した若い軍人たちの合言葉でした。

 侯もまた、暴利を貪る財界や、財界と結ぶ政治家や軍人へ怒りを抱き、大川周明、北一輝や、左翼系の軍人との交友を深めていました。詳しい経緯を侯が語っていますので、今回はそれを紹介します。

 「昭和4年夏に、大川周明くんと清水行之助くんが、」「僕の秘書の渋谷三 ( かず ) と、有馬頼寧( よりやす )伯爵家の秘書、豊福保次くんと計り、」「自局懇談を目的とした、" 二十日会 " を作った。 」

 「 " 二十日会 " に参加したのは、僕のほか、有馬頼寧、近衛文麿、鶴見祐輔くんである。」「元々有馬くんは、農民問題に取り組んでいるし、」「近衛くんは高踏的だが、社会問題に関心を持っている。」「僕は、衆議院や参議院の腐敗を目前にし、」「明治維新の誤りを指摘して、昭和維新をやらねばダメだと話たりしていた。」

 私からすれば、思いがけない顔ぶれです。会合の場所は、新橋演舞場と川を隔てた向かい側の「金竜亭」で、氏の説明によりますと、後に三月事件や十月事件のクーデター計画の謀議の場所にもなったそうです。

 「大川くんは八代大将の心酔者だが、八代さんは僕を頑固もんと言い、」「大川くんには、あれは大名家によくある馬鹿殿様だから、」「相手にするなと、言ったりしていた。」

 人間関係が良く分かる、興味深い叙述です。

 「八代さんは徳川家に忠実な人で、誠意を持って尽くしてくれたが、」「僕が、一向に八代さんの忠告を聞かず、」「石川三四郎くんを家庭教師にしたり、」「貴族院をひっくり返そうと計画したりで、」「八代さんから見ると、危険で手に負えない、」「馬鹿に見えたに違いない。」

 「大川くんは真っ正直で、八代さんの言葉を信じ込み、」「二十日会で僕の顔を見ても、ふん、と横を向いたりする。」「僕は別に、どうと言うこともない。」「馬鹿殿様と言われようが、褒めあげられようが、」「僕自身は、どうといって変わりはない。」

 もしかすると著作権の侵害になるのかもしれませんが、この辺りの叙述は息子たちにはもちろんのこと、「ねこ庭」を訪問される方々にも紹介したいと思います。侯のご遺族がおられたとしても、きっと黙認していただけると、勝手に決めました。

 「昭和6年当時、僕の家は改築中だったので、」「麻生の後藤新平宅に住んでいた。」

 そこへ清水行之助氏が訪れ、時勢改革の必要性を力説します。文章では長くなりますので、箇条書きにします。

  ・今日の情勢は、政友会が政権を取ればインフレ、民政党が政権を取れば、デフレとなる。

  ・国民大衆は困窮し、失業者が溢れ、犯罪者が増加し刑務所から溢れている。

  ・青年は前途に失望し、虚無化している。

  ・このまま進めば、ロシアのように、国民蜂起の大革命になる。

  ・現に共産党は、武装蜂起を計画している。

 「僕もそう思っているので、清水くんの言葉に耳を傾けていた。」

  ・日本は土地狭隘で、ロシアのように内乱になると、外国の干渉が入り国土は四分五裂となる。

  ・とはいえ今日、革命を待望しない国民はいない。全ては議会主義による、政党政治の失敗が原因。

  ・政党政治を打破し、真の維新をやらないと、日本は救われない。

  ・大川博士が中心になり、軍も乗り出し、陸軍省も参謀本部も一体になっている。

  ・赤松克麿らの社会民主党も加わり、3月30日労働組合法案が議会に上程される時、革命を断行すると決まった。

 これが後に、「三月事件」と呼ばれるクーデターです。資金提供者として侯が関係していたとは、この本で初めて知りました。

 「僕は清水くんに同調した。」「清水くんは当時、バス会社の社長をしていた。」「会社の株を売り運動資金を作ったが、たちまち費消し、」「資金を出すと言った軍から、まだ金が出ないので、」「軍資金の援助をして欲しいと言う。」

 革命に異議を持たない侯は、50万円の支援を約束します。50万円は、昭和46年当時の金で5億円以上になるそうです。令和3年の現在はもっと大金になるはずですが、計算の得意な方は自分で確かめもらうこととし、私は話を先へ進めます。

 「華族は金が自由になると、世間は思っているが、実はそうでない。」「大きい家には会計規則があって、家令が経理を握っている。」「主人でもその承認がいる。」「会計検査もある。」「僕の家では、5百円以上の金は顧問の承認が必要であった。」

 私の家では、家内が金の管理をしています。計算が苦手なので、その方が気楽なのですが、殿様もそうだったのでしょうか。金額がだいぶ違いますが、金が自由にならないところが似ていますので、親近感が湧いてきます。

 次回は50万円の大金をどのようにして工面したのか、氏の著作から転記いたします。

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『最後の殿様』 -11 ( 昭和維新の賛同者 )

2021-07-13 08:57:33 | 徒然の記

 今回は義親侯の、現行憲法賛成論の続きを紹介します。

 「この意味で今日、新憲法が、
  第一条 天皇は、日本国の象徴であり国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく
と決め、天皇を政治権力から離し、主権を国民に移したのは、歴史本来の姿に戻ったと言えよう。」
 
 「僕は皇室を愛するゆえに、現憲法に賛成である。」「旧憲法に引き戻す試みは、その意図はどうであろうと、」「歴史と伝統に反し、皇室を返って危険に晒すものとして、」「絶対に反対である。」
 
 侯には侯の理由があると言いましたが、「天皇を政治権力から離し、主権を国民に移した」と・・・果たしてこのような理由で、現行憲法に賛成して良いのでしょうか。武力を放棄し、丸裸になった国が、国際社会で生きられるのかと、武門のトップに位置した人物が、なぜ危惧を抱かないのでしょう。軍隊のない日本になれば、天皇だけでなく、国民も他国の侵略に晒されます。
 
 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。」
 
 今ではGHQの統治策だったと言われているとしても、現行憲法の前文にありますように、敗戦後の日本人の多くは、「日本だけが悪かった」、「日本だけが間違った戦争をした」と信じていました。まずは天皇と直結した軍隊を無くさなくてならないと、こう言う思考は侯だけがしたのではありません。
 
 近衛内閣の書記官長 ( 現在で言えば内閣官房長官 ) だった富田健二氏が、『敗戦日本の内側』という著書の中で述べています。

 「昨今、現行日本国憲法の再検討が云々されており、」「その重要な点の一つに、再軍備の問題がある。」「再軍備問題は、今日のわが国内の国民感情、特に婦人層並びに青年層の考え方や、」「国家財政の上から、いろいろ問題があるけれど、」「独立国としていつの日にか、軍備を持たねばならぬと思う。」

 「その時、一番心しなければならないのは、」「軍の統帥を、絶対に国務から独立させてはならないことだと、考えている。」「端的に言って、統帥の国務からの独立を許したことが、」「支那事変を拡大し、そして大東亜戦争に発展せしめ、」「これが敗戦を導いたと断じてよいと、」「私は信ずるものである。」

  ここで氏が言っている「統帥」が、つまり「天皇の大権」のことです。陸・海軍の統帥権が、「天皇の大権」であり、政府や議会は介入できないとする考え方で、政府に反対する者が、何でもこの理論で攻撃しました

 富田氏の言う「国務」とは、「政府」のことです。軍の統帥が天皇でなく、政府に属さなければダメだという意見は、侯の主張と重なります。昭和天皇は、イギリス型の立憲君主を目指しておられ、臣下の意見を取り入れられていましたから、軍の統帥の独立が、結局軍の独走を許しました。

 侯の言う「天皇を政治権力から離す」と、富田氏の語る「軍の統帥を、国務から独立させてはならない」と言う言葉は、表現は違っていますが、同じことを言っています。

 侯が軍事力放棄の憲法を肯定したのは、もしかすると、当時の世相に影響され、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と本気で思い、中国や韓国・北朝鮮が、現在のように敵対してくるとは予想できなかったのではないでしょうか。薩摩と長州への猜疑心は消えませんでしたが、国際社会の国々については、意外と寛容な侯なので、そんな気がしてなりません。

 平成11年に出版された、加瀬英明氏著『金正日 最後の選択』の中で書かれていることを知ったら、侯の考えも変わったのではないでしょうか。氏の本によりますと、平成11年の7月に、北朝鮮は当時の小渕首相と主要閣僚に、次のような書簡を送ったとのことです。

 「日本は国際的に公認された敗戦国、戦犯国であり、」「過去の罪業を認めることも、謝罪することもせず、」「今も恥ずかしくも、" 敵国 " の汚名を拭えないでいる。 」

 「日本が朝鮮民族に対して、歴史的に犯した、千秋に渡って許せない罪状は、百回ひざまづいて許しを乞い、」「日本列島すべてを売りはたいて返しても、償いきれない。」「朝鮮民族は代を継いで、日帝から受けた侮辱、不幸と苦痛、」「災難の代償を、必ずや取り立てる。」

 北朝鮮政府が正式な書簡として、小渕総理に送っていますが、これに負けず中国も韓国も、信義と公正の国ではありません。韓国は武力で日本の竹島を不法占拠し、中国は尖閣の領海を武装した公船で侵犯しています。

 全て侯の亡くなられた後の話ですが、国際社会は年々変化し、日本の置かれた状況も激変しています。賢明な侯ですから、存命なら現行憲法肯定論を卒業しているだろうと、善意に解釈します。死人に鞭打つのは、中国や韓国・北朝鮮のすることで、八百万の神々の住む日本人はしません。

 明日はもう少し、別の観点から、日本史の裏話を報告いたします。

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