ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『最後の殿様』 -14 ( 当時の世情 )

2021-07-14 22:53:47 | 徒然の記

 当時は三月事件だけでなく、十月事件、5・15事件、2・26事件と、立て続けにありますので、昭和初期の世情について、息子たちのため、少し整理してみようと思います。侯の著作を離れ、ネットで時系列に調べてみました。

 〈 三月事件 〉 

   ・昭和6年3月 陸軍の中堅幹部により計画されたクーデター未遂事件

   ・桜会が中心となり、大川周明・北一輝の一派と共に呼応する

   ・宇垣一成大将による「宇垣内閣」を目指す

 〈 十月事件 〉

   ・昭和6年10月 陸軍の中堅幹部により計画されたクーデター未遂事件

   ・桜会が中心となり、大川周明・北一輝の一派と共に呼応する

   ・満洲事変没発後、政府が決定した不拡大方針を不服として計画

   ・荒木貞夫中将による「荒木内閣」を目指す

 〈 5・15事件 〉

   ・昭和7年5月15日 海軍青年将校による反乱事件

   ・内閣総理大臣犬養毅を殺害

   ・政党政治の終焉 元海軍大将斎藤実が首相となる

 〈 2・26事件 〉

   ・昭和11年2月26日 陸軍青年将校によるクーデター未遂事件

   ・犠牲者・・ 高橋是清(大蔵大臣)、斎藤実(内大臣)、渡辺錠太郎(教育総監)、松尾伝蔵(総理大臣私設秘書官)

   ・岡田内閣が総辞職し、広田内閣が成立

   ・真崎甚三郎大将による「真崎内閣」を目指す

  4年前に私は、 高橋正衛氏著『2・26事件』を読んでいますので、内容の一部を紹介すると、さらに理解が深まる気がします。

 「三月事件までは、皇道派と統制派は明確になっておらず、両派の軍人が混在していた。橋本中佐を中心とする「桜会」にしても、メンバーの多くは後の統制派である。」

 「桜会には、参謀本部や陸軍省の陸大出の、エリート将校が集まり、」「影佐禎昭、和知鷹二、長勇、今井武夫、永井八津次などの」「支那通と呼ばれる佐官、尉官が多かった。」「2・26事件で決起した皇道派の将校と桜会は、ほとんど別の集団だ。」「皇道派には、陸軍大学校(陸大)出身者がほとんどいない。」

 これを要約しますと 、以下のようになります。

 ・2・26事件が、軍部内の皇道派と統制派の戦いの最終になった。

 ・2・26事件で決起した将校たちは、陛下により逆賊と言われたため、荒木・真崎両大将が情勢不利と見て、彼らを見捨てた。

 この時私は、書評として次のように書きました。

 「特攻隊を創設した大西中将は、若い兵士を死なせた責任を取り、敗戦後自決しましたが、」「真崎大将と荒木大将は、反乱軍将校の扇動者でありながら、武人らしい責任を取りませんでした。」

 5・15事件では、政党政治の腐敗に対する反感から、決起した将校への助命嘆願運動が広く湧き起こり、彼らへの判決は軽いものとなりました。しかし2・26事件では、陛下の「逆賊」発言もあったせいか、厳しい判決となりました。どれほど大きな違いだったか。二つの事件を比較してみますと、よく理解できます。

    〈  5・15事件  〉 昭和 7年 

    ・ 海軍の将校を中心に、民間人も含め、26名が参加。

       ・犬養首相を射殺した将校を含め、全員10年から16年の禁固刑で終わっている。

  〈  2・26事件 〉  昭和11年 

   ・陸軍の将校を中心に、兵士、民間人を含め、1,483名が参加。

   ・死刑16名、   自決2名、1年から6年の禁固刑17名、兵士は無罪

 大川周明氏と北一輝氏は、同じ「国家社会主義者」でも、相手にしている軍人層が異なっていました。東大を出た大川氏が、陸大出身のエリート軍人を相手に活動し、独学で勉強した北一輝氏は、将校以下を中心として活動していたことが、侯の叙述の中で時折見られました。侯の自伝では、関わっていたクーデータの中に、2・26事件が含まれていないので、不思議に思っていましたが、こんなところに答えがありました。

 今回は大きく横道へそれましたので、次回はまた、侯の著書に戻ります。

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『最後の殿様』 -13 ( 三月クーデター事件 )

2021-07-14 08:33:00 | 徒然の記

 3月クーデター事件の関係者を、氏の著書から拾い出しますと、次のようになります。

 〈 民間側 〉

  ・中心人物は、大川周明、清水行之助

  ・共同実行者は、社会党の前身である無産党の、赤松克麿、亀井貫一郎

  (・資金提供者は、義親侯爵  )

 〈 軍側 〉

  ・中心人物は、軍部内の革命団体「桜会」を作った橋本欣五郎中佐

  ・加担者は、陸軍大臣宇垣一成大将、陸軍次官杉山元中将、軍務局長小磯国昭少将、参謀本部次長二宮治重中将、第二部長建川美次少将

 3月クーデター事件のほか、5・15事件や2・26事件についても、何冊か読んできましたが、どれも事件の核心がハッキリしないままでした。侯の自伝を読み、霧が晴れるように分かったのは、関係者の名前と役割が具体的に書かれたからです。

 〈 実行計画 1.  〉・・計画の中心は、清水行之助

  ・銀座のデパートや映画館で、擬砲弾を破裂させて市民を仰天させ、暴動を起こす

  ・群集心理を利用して、暴徒を議会へ押しかけさせる

  ・清水は友人の拳闘クラブ経営者に、日比谷公会堂でボクシング大会を無料で開かせる

  ・観衆が興奮したころ擬砲弾を破裂させ、暴徒を扇動し議会へ押し掛けさせる

 〈 実行計画 2.  〉・・計画の中心は、大川周明

  ・無産党との連絡をとり、労働組合法反対と内閣打倒の大会を開かせる

  ・清水の扇動する暴徒と合流し、議会を襲撃させる

  ・事前に予行演習を行い、議会に押しかけ警官隊と乱闘し力だめしをした

  ・新聞で報道され、写真が掲載された

 〈 実行計画 3.  〉・・計画の中心は、橋本欣五郎

  ・議会周辺で混乱が起きると、小磯軍務局長らが軍隊を出動させる

  ・直ちに戒厳令をしき、橋本の指揮下議会を保護する名目で占有する

  ・内閣を総辞職させ、宇垣一成大将に組閣の大命を降下させる

  ・宇垣内閣により、政界の粛清し改革を断行する

  ・爆弾は、千葉歩兵学校の注文ということで、橋本が300発を入手した

 予定していた50万円の金策の話より、三月事件の方が重要なので先に引用しました。金策の件は結論だけ言いますと、表に出る関係者の名前が、大川周明、清水行之助、侯の秘書の渋谷三 ( かず )と家令の鈴木信吉の4名になりました。侯の名前を表沙汰にしないため、4名が次のように話を作ったからです。

 ・清水行之助が、侯の秘書の渋谷三 ( かず )を脅し、金策を強要した

 ・渋谷は侯に無断で、家令の鈴木に相談し、鈴木の独断で金を用立てた

 ・ことが露見した場合は、渋谷・鈴木両名が切腹して責任を取る ( 侯の名前は出さない  )

 今日になるまで、侯と事件の関係が世に出なかった事情を説明されると、忠義のために命を捨てる、武士の覚悟を見せられた気がしました。清水行之助氏から、金策の苦労話を聞いた大川周明氏は、侯のもとを訪ね、畳に手をつき平謝りし、この時から二人は肝胆相照らす仲になったと言います。

 私が気にかかるのは、こうした重要事は、侯が墓場まで持っていくべきではなかったかということです。それとも事実を公表する方が、国民のためになると判断したのでしょうか。私は感謝しますが、侯の真意については分からないままです。

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