侯の「戦争観」を別の言葉で言いますと、「日本人観」です。これをまとめとして、ブログを終わりたいと考えております。
「日本は、" 尚武の国 " といわれる。」「だがそれは国内だけのことで、国外向けではない。」「日本では明治維新まで過去一千年以上、武器・武具類は全く発達しなかった。」「源平の対立、南北朝時代、戦国戦乱と戦争は多いが、」「西欧の戦いと比べると、それは戦争と言われるほどのものであったろうか。」
「戦闘形式は集団戦の形をとっているが、実は個人戦である。」「個人の武芸は発達したが、それは軍備というものではない。」「軍備には、軍団を指揮する司令官がおり、部隊の隊長がいて、」「司令官の統率のもと、一糸乱れない戦闘体制がなければならない。」「さらに通信連絡、兵器、弾薬、食料に至るまで、」「兵站部が必要である。」
武門の棟梁の貴重な意見として、また学徒として、侯の説明を読みました。
「だがそのような組織的なものは、僕の家の古文書をひっくり返して調べてみても、」「何もない。」「" 尚武の国 " であれば、戦争記録を正確に整備し、」「次の戦争に備えておかなければならないのに、」「そんなことは全く無関心で、戦争を研究した跡などさらさらない。」
「中国から孫子、呉子の兵法が相当早くから入ってきたが、」「これも、真剣に研究した形跡がない。」「投石器、戦車、装甲車など、それを一切顧みず作ろうともしない。」「依然として飛び道具は卑怯なりと、刀を振り回している。」
言われてみますと、日本での戦争はその通りでした。西欧のような総力戦でなく、武士同士の戦いが中心で、一般の民百姓は無関係でした。負けた相手の国の男も女も殺されたり、奴隷になったりせず、残虐な殲滅戦ではありませんでした。
「こう見るとわが民族は本質的に、諸外国人のように執拗な長期戦、」「殺戮戦、侵略戦を、嫌うものがあるのではないか。」「あるは、不得手なのではないか。」「明治維新以後に、西欧の軍政と戦術を取り入れたが、」「模倣しきれなかったのではないかと、思う。」「これを今次大戦に引き伸ばしてみても、その形跡が濃い。」
侯はその例として、真珠湾攻撃を説明します。
「昭和16年12月8日、海軍はハワイを急襲した。」「襲撃は成功したが、それだけで引き上げてしまった。」「上杉謙信が武田信玄に一太刀あびせて引き上げたのと、どこが違うのか。」「急襲と同時に部隊を上陸させ、占領確保して前進基地にし、」「執拗に戦闘体制を整えるのが、戦略の本質である。」
「日本軍はそんな計略も計算もなく、たった数隻の軍艦を沈めただけで、」「勝った勝ったと大騒ぎである。」「壊れたものは修理し、失つたものは作れば良い。」「アメリカは、すぐに盛り返した。」「こんな単純なことが分からないのが、日本民族である。」
黙って読んでいましたが、次第に私の心が、侯から離れていきました。90パーセントの事実の中に、10パーセントの捏造を入れ、読者をたぶらかすという、反日左翼の主張に似たものを感じたからです。
真珠湾攻撃をした時の日本には、侯の言う戦略を取る余力が残っていませんでした。残り少ない、血の一滴の石油を使い、やっとの思いで攻撃した真珠湾だったはずです。日本を愛する人物の言葉とは、思えなくなりました。
「これが日本人の戦争観念である。」「この日本人が、形だけ外国の軍政を模倣したところで、」「粘りっこい外国の集団戦に、どうして勝つことができようか。」「日本人は個人の武芸を重んじるが、それは個人戦であって、」「西欧式の集団戦に、太刀打ちできるものではない。」
ここまできますと、これはもう自虐思考であり、敗戦思考でしかありません。日本をダメにする反日左翼思想と、どこが違うのでしょう。
「この観念を持ちながら、今日の自衛隊を議論するなど、」「愚の骨頂であろう。」「形だけアメリカの装備を真似て、何になろうか。」「無用の国費を消費するだけである。」「むしろ全廃した方が、良いだろう。」「もし防衛隊を置くなら、日本人的な戦争観念を取り去った、」「小さな完備したものにすべきだろう。」
これが、自伝の終わりを飾る侯の言葉です。最後の二行が何を意味しているのか、私には意味不明です。なんでも理解する聡明な殿様ですが、これでは口先だけの評論家と大差がありません。
侯に欠けているのは、幕末以来、日本の武士や学者たちが、アジアを侵略する欧米列強を見て、危機感を抱き、懸命な努力を重ねた歴史への理解です。長州の吉田松陰と、門下生だった下級武士たちの苦労を知る私には、とても認められない侯の意見です。
何回目かのブログで述べましたが、或いはこれが、徳川の御三家である侯の限界なのでしょうか。武士や庶民の苦難と国難への理解を、殿様の意地と誇りが邪魔しています。
「薩長の下級武士と下層公卿が手を組んでやったのが、明治維新だ。」という意識が、幕末・明治を見る目を曇らせ、薩長否定の気持ちが、日本軍の否定へと繋がっています。国を守る軍隊を否定し、侯は日本の国民をどうするつもりなのでしょう。中国やアメリカの属国にしても良いと、軽く考えているのでしょうか。
本日でブログを終わり、侯の著作は、他の本と束ね、来週の小学校の有価物回収の日に出します。残念ではありますが、これが私の出した結論です。