「 明るいもの、伸びやかなもの、」「陽の光を浴びて健康的なものを、」「私はひたすら求めている。」
「この世の未来を考えるとき、暗いもの、病的なもの、陰湿なものを、私は無意識のうちに拒む。だから芸術作品についても、私の基準は、単純明快だ。醜悪さを強調し、救いの見えない世界ばかり描写する作品を、厭わしいものとして斥け、たとえ身は暗闇の底にいても、未来を信じる作者に、憧れにも近い敬意を抱く。」
「自我に目覚めてより今日まで、この切実な憧れが消えないというのは、自分に、これらが欠乏していたということに他ならない。」
「敗戦後の、荒廃した日本とは言え、いかにも貧しかった日々の暮らしだった。思い出の断片を染めていた、悲しみの色。少年の日の私を、がんじがらめにしていたのは、働く両親の姿だった。」
「いつか親に楽をさせ、孝行するのだと、おそらく当時の子供たちは、程度の差はあるにしても、大抵そんなことを考えていたのだと思う。懸命に働く親を、まっすぐに見ていた子供たち、つまり真っ当な国民がいたから、日本の復興がなされたのだと、私は信じ、誇りを抱いている。」
四十年前の、二十代の自分が、ノートに書き付けている言葉だ。
現在の私は、ここまで素朴な精神を保持していないが、こんな日記の中からでも、国や国民は、私にとって抽象論でなく、親や兄弟や、友人や知人を包む、具体的なものだったことが分かる。
自分の国を、再び荒廃させてはならず、破滅へと国民を駆り立てる熱狂には、注意すべしと考え、政治や政党についても無関心でおれなくなる。
政治に注意を払うことは、家族を不幸にしないための、最低の予防でもある。真っ当な国民を、不幸にするような政治が、今まさに、民主党と自民党によってなされているから、やきもきする。
自民党と民主党が、真に国民を思うのなら、予算案で、互いの知恵を出し合ってみろと言いたい。そして、二年後の選挙で、国民の審判を得れば良い。それからだって、自民党の復権は遅くないのだ。そうでなかったら、国民は、次の選挙で投票する政党を失ってしまう。
かっての民主党みたいに、威勢の良いことばかりいう、乱立政党に投票したら、また混乱の繰り返しだ。国難の時には、対立する政党同士でも、手を伸べあって議論し、戦うときが来たらまた論争すると、そんな爽快な政治がやれないのだろうか。
二大政党の政治が誕生すれば、政権交代も、腐敗する前に可能となり、緊張した政治が持続するはずだ。夢みたいな話だと無下に、片付けず、政治の世界にだって、明るいものや、陽の光を浴びて健康的なものが、あって良いではないか。
たとえ身は、暗闇の底にいても、未来を信じる政治家がいても、良いのではないかと、切望する。