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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

眞子さまのご婚約会見

2017-09-04 18:13:56 | 徒然の記

 千葉日報の一面トップに、眞子さまと小室氏の写真がありました。「笑顔あふれる、楽しい家庭に」と、大見出しの文字が鮮やかでした。

小室氏を眺める眞子さまの横顔は、溢れる気持ちが抑えられないという表情でした。庶民の言葉で言いますと、「好き合っている若い二人」というところです。破談になるのでないか、望んでおられない結婚でないかなど、いろいろな噂がネットを飛び交いましたが、みんな嘘で、眞子さまが心から望まれていた結婚だと、ハッキリいたしました。

 皇室のお方と思うため、引っかかるものがありましたが、普通の男女の結婚だと思えば、反対する理由がありません。邪魔する気持ちもありません。「末長く、お幸せに」と、普通の言葉で祝福するだけです。

 ただ、日本国民としての気持ちは、別にあります。

「国民の尊崇の中心であった皇室は、昭和で終わった。」・・と、これが偽らざる気持ちです。天皇に私はなく、天皇の存在は国そのものであり、天皇は国を守る祈りびとであると、国民の多くはもう考えなくなりましょう。左翼主義者たちが、蛇蝎のごとく嫌悪した「神聖な天皇」、「現人神 (あらひとがみ)」は、平成以降、日本から姿を隠してしまわれました。

 二千年余の歴史を持つ、類まれな皇室の尊厳が輝きを失い、「人間平等」という砂漠に埋没してしまいました。眞子さまも普通の人間であり、小室氏と共に普通の人間として、これから生きていかれるのでしょう。

 眞子さまの会見記事で、皇室記者板垣恭介氏の著作「無頼記者」の書評をした時の気持ちが、思い出されました。二年前のブログでした。当時、美智子さまを中傷する、ブログの記事が多数あり、その中に、「美智子さんは、新聞記者にタバコの火をつけてやったことがある。まるで水商売の女みたいに。」という悪口がありました。嘘だろうと思っていましたが、火をつけてもらった記者が板垣氏本人だったと、「無頼記者」の中に書かれていました。

  そこには、氏が理想とする成熟した皇室についての高説も、述べられていました。

 「雑踏の中に彼らがいる。 " 美智子さんお元気ですか ?  最近やせているのではありません。ニンニク入りのラーメンでも食べて頑張って ! "  と、チョベリバのネーちゃんが声をかける。」「勿論、カメラマンも、うるさくて低脳なリポーターもいない。」

 これが氏の理想とする皇室観というのですから、あの時私は思わず、低脳なのは君だろうと言ってしまいました。本が出された当時、陛下と美智子さまは、皇太子・皇太子妃であったと記憶していますが、板垣氏とお二人は、かなり親しい間柄のようでした。氏の影響もあったのか、お二人は、「開かれた皇室」を目指し、頑張っておられました。

 平成の時代が来て、お二人の目標である「開かれた皇室」が実現され、眞子さまの記者会見へとつながります。今朝の記事によりますと、眞子さまは、小室氏の結婚の申し出に対し、その場で即答されたと書かれていました。「結婚は、両性の合意による。」と、現行憲法の24条の規定どおりを、実行されたのです、

  ご両親に相談されることなく、ご自分の気持ちのままに、素直に結婚を決意されたのです。現在でも多少とも格式のある家の結婚は、互いの家庭の調査や、家族の意見の調整など、当事者の意思が強くても、そんなに簡単に決められておりません。ですから眞子様のご決断は、現代っ子としての、率直な意思表示であり、皇室がここまで開かれたものになっていたという証拠です。

 眞子様のご結婚が、果たして国の慶事となるのか。眞子様は思い通りに、「笑顔の溢れたご家庭」を築くことがおできになるのか。今の私には、判断する材料がありません。

 しかし、これだけは明言できます。

 これから何年か後に、憲法が改正され、自衛隊が軍となりましても、「尊皇」の念を持つ軍人はいないはずです。皇軍という名に誇りを持ち、暴走したり、居丈高になったりする軍への心配も不要となります。「二・二六事件」を起こした将校たちのように、一途に天皇を崇拝する軍人もいなくなりますし、銃殺刑に際し、「天皇陛下万歳」と叫ぶような兵士もいなくなります。

 たかだか眞子さまの結婚でないか、そこまで飛躍するのかと言う者もいますが、歴史の流れの中で考えますと、やはりそうなります。

 今上陛下は退位に関する「お言葉」の中で、国民の敬愛の中心にある天皇を辞められるという、意思表示をされました。昭和天皇までは、天皇は、特別になにかをされるのでなく、「いらっしゃる」という事実だけで、国民の中心におられました。2665年続いた125代目の今上陛下が、あたかも会社勤めをする庶民のように、「体力の限界」のため天皇の地位から退位すると宣言されました。

 後に残る家族が大変だから、葬儀も簡略にし火葬にすると、これもまた一般庶民並みの扱いを希望され、家族と近親者のご負担の軽減を第一義として語られました。私を捨て、国と国民を第一とされた歴代の天皇との違いを、陛下は国民の前で強調されました。眞子様が国民を忘れ、個人を優先されたとしましても、不思議ではありません。皇室は、一般国民という砂漠の中の、砂つぶの一つになられてしまったからです。

 記者会見と同じ日に、北朝鮮が核実験をしました。強力な水爆でないか、とも言われています。日本を射程に置いた、北の核・ミサイルだというのに、国民の多くは危機感を抱いていません。そのような日の新聞の、トップを飾る報道が、眞子さまの婚約発表会見記事でした。

 私は、念のためもう一度、眞子様の結婚について、自分の気持ちを申し述べます。

「日本のどこにでもある、普通の方の結婚について、感想はありません。眞子様の結婚は、私にはどうでも良いのです。所詮、他家の話でありませんか。」

 

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自民党が、すぐにでもやれること

2017-09-03 10:57:43 | 徒然の記

 憲法の第十条に、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と書いてあります。当たり前の話ですが、日本国民とは日本の国籍を持つ者で、その具体的な内容は、国籍法で規定されています。

 話が面倒になりますが、同法によりますと、日本国籍を取得するのは、以下の場合となっています。

  • 出生による取得
    • 出生時に両親の一方が日本国民である場合
    • 出生前に父が死亡した場合で、その死亡時に父が日本国民であった場合
    • 日本で生まれ、両親がともに不明あるいは無国籍の場合
  • 認知による取得
  • 帰化による取得
    • 帰化申請が提出され、法務大臣の許可が下った場合

 取得のケースはこの他にもありますが、ややこしくしなるので省略します。国籍法の第5条に書かれている帰化について調べてみますと、少なくとも以下の要件を満たすことが必要となっています。

  1. 引き続き5年以上日本に住所を有すること( 居住要件 )
  2. 20歳以上で本国法によって行為能力を有すること( 能力要件 )
  3. 素行が善良であること( 素行要件 )
  4. 自己又は生計を一にする配偶者その他の親族の資産又は技術によって生計を営むことができること( 生計要件 )
  5. 国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によってその国籍を失うべきこと
  6. 日本国憲法の施行日である、昭和22年 5月3日以後において、政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て、主張する政党、その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したことがないこと。

 3項と6項には、注目すべきことが書いてあります。素行が悪い人間は、申請しても許可されないのです。6項はさらに厳しく、「政府の転覆を企てるような政党や団体」に加入している者は、帰化できないとしています。

 政府の転覆を企てる政党とは、言うまでもなく共産党です。主張するだけでも不許可だとすれば、民進党や社民党も入ります。共産党や民進党、社民党の議員には対象者がいますが、平気な顔で政治活動をしています。

  政府はまた二重国籍を認めていませんので、該当する本人は、一定の期間内に国籍選択をしなければなりません。しかし、この法律には罰則がありません。だから反日野党の議員は、何食わぬ顔をし、国会での自民党攻撃をしています。

 一番いい例が、民進党の蓮舫氏です。法の目をくぐり、党の委員長にまでなりました。たった一つの罰則は、申請時の虚偽が見つかった時だけ、「虚偽の届出をした者は、一年以下の懲役又は二十万円 罰金」という、たったこれだけです。 

 重要な法律なのに、ザル法もザル法、国の安全保障のため何の働きもしていない法律の現状に、私は呆れてしまいました。

 次に戸籍法ですが、これは各人の身分関係を明らかにするため、戸籍の作成手続を定める法律です。市町村内に本籍を持っている夫婦と、その子供を単位として作られます。日本人でない者と婚姻をした者や、日本人の配偶者を無くした者は、その者の子供たちと作ることとなっています。

  最後に出入国管理法ですが、これがまた不思議な法です。形式は政令ですが、効力が法律と同じだと言われています。名前には「法」とついていますが、法律ではないという特別な経緯があるのだそうです。

 一般国民である私たちには、普段関係がありませんから、誰も関心を持ちませんが、この法律は実際には、不法入国者や不法滞在者に関する罰則などを定める、重要な法なのです。

 違反者は、強制退去されると規定されていますけれど、一度も実行されたことがありません。名前からして曖昧な法律ですが、運用においても穴だらけで、国籍法と同様、法の名に値しないザル法として放置されたままです。

 日頃馴染みのない法律を、面倒さをこらえ何のために調べたのか。理由を述べます。

 「偏向、捏造の腐れマスコミ」と、「国の安全保障を頭から無視する反日野党」・・・、この二つが、今の日本の癌です。戦後72年間も彼らの闊歩を許したため、歴史が歪められ日本の文化や伝統が破壊されつつあります。

 腐れマスコミと反日野党の中で大きな力を持っているのが、不法滞在の在日と帰化人と、二重国籍の議員たちだと、国民がやっと気づき始めました。法治国家である日本なら、正しい法の運用で、在日と二重国籍の政治家たちと決別できないのかと、思案をこらしました。

 関連する法律を調べ、本日ここでブログにし、わが息子や孫たちにだけでなく、訪問される方々にもご披露しようと決意しました。

 罰則のない法には、適切な罰則を追加すべきですし、野党の反対で審議ができないのなら、現存の法だけでも正しく実施するところから始めれば良いのです。

 野党と自民党の議員も、本気で政治に取り組んでいない事実が、ここでに明らかになりました。国民の無知を良いことに、こうした法律があることを説明せず、在日と二重国籍問題にケジメをつけようともせずでは、保守自民党の名が泣くのではありませんか。

 念には念を入れ、この際「特別永住者」についても復習しておきます。

 「特別永住者」と言うのは、戦艦ミズーリー号上での降伏文書調印日( 昭和20年 )以前から、日本に居住している朝鮮人と台湾人の子孫が対象です。

 ポツダム宣言によって朝鮮は連合国に分割占領された後、大韓民国、朝鮮人民民主主義共和国となり、台湾は中華民国となりました。昭和27年の講和条約の発効と共に、彼らは日本国籍を喪失しましたが、当時の韓国朝鮮人は、日本国籍に興味が無く、国籍喪失措置になんら異議を唱えませんでした。

 韓国政府は日本が要請しても、在日韓国・朝鮮人の送還を拒否し続けたため、日本は、やむなく彼らを「協定永住許可者」して在留資格を認めました。

 終戦直後に、およそ200万人の朝鮮人が居住していましたが、そのうちの150万人は、昭和21年3月までに国交のない北朝鮮に帰還しました。50万人が日本に残りましたが、そのうち戦時徴用者は245人でした。

 つまり残りの者は自由意志の残留者であり、在日たちが言うように、全員が強制連行で連れてこられた者ではありません。

 昭和21年に済州島事件が起こり、朝鮮労働党が関与しているとして、韓国政府は島の人口の20%にあたる6万人を虐殺しました。続いて同年10月に起こった麗水・順天事件では、8,000人の住民を虐殺し、この時済州島や全羅南道から、約12,500人の韓国人が日本に不法入国したと言われています。

 事件について韓国政府は長い間タブーとし、全容が明らかになったのは、民主化宣言後の平成2年以降です。

 日本を攻撃してやまない韓国人たちは、こうした事実を知りません。日本のマスコミは、日本軍の虐殺を捏造してまで伝えますが、韓国の政府とマスコミは、自国の虐殺は決して報道しません。

 この現実を、せめて日本人だけでも知れば良いのに、「お花畑の住民」たちが、「日本が悪い」「日本だけが間違っていた」と、相変わらず合唱しています。

 昭和40年の日韓基本条約の締結に伴い、在日韓国人の法的地位が、「協定永住」という在留資格で認められました。国外退去に該当する事由が、他の外国人と比べて大幅に緩和されたので、資格は2代目まで継承でき、3代目以降については25年後に再協議するという内容になりましたが、これも見直しされず放置されたままです。

 日本政府は、今でも馬鹿正直に日韓基本条約を守り、「特別永住者」の特別扱いを続けていますが、この間の韓国はどうなのでしょう。政権が変わるたびに政府間の協定を破り、問題の蒸し返しをしています。

 これで問題は、すべて解決した。今後は、日韓の間には何も懸案事項はないと言いながら、大統領が変わる度に、国同士の約束を反故にします。

 日本も韓国のやり方を真似、「特別永住者」について過去の約束を反故にし、今こそキチンと整理すべきです。つまり、国籍法と出入国管理法の正しい運用を即時に実行し、在日と二重国籍議員の処置をし、該当者は国外退去させることです。

 これならば、自民党がすぐにでもやれることです。反日左翼の議員たちが言う、「差別」などでは決してなく、国としての「ケジメ」です。自分の国を、他国の人間にかき回されることを、許してはならないのです。

 最後につけ加えると、芸人と作家以外は通名の使用を禁止すること。報道では通名でなく、本名とすることです。まして政治家が、ペンネームと称し通名を名乗るなど、許してはなりません。

〈  参考情報  〉

 平成28年(2016年)末時点での特別永住者の実数は、33万8,950人で、「韓国・朝鮮」が98.8%を占めています。

  ・特別永住者は、近畿圏(大阪・兵庫・京都の3府県)に45%、

  ・首都圏(東京・神奈川・埼玉・千葉の4都県)に22%、

  ・中京圏(愛知・三重・岐阜の3県)に11%  が居住しています。

 3大都市圏を合わせると78%が、これらの地域に集中しています。 

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『二・二六事件』 - 3 ( 5・15事件と2・26事件が教えるもの )

2017-09-01 17:29:42 | 徒然の記

 「2・26事件」に至る以前に、軍内部でどのような動きがあったのか、高橋氏がまとめていますので、それに沿って紹介します。

 昭和5年9月、参謀本部の橋本欣五郎中佐が中心となり、桜会が結成されます。翌年の6年、桜会の急進メンバーにより、三月事件と十月事件が計画され、いずれも未遂に終わります。

 著者はこの桜会の結成を出発点にして、2・26事件の背景を説明します。

〈 1.  三月事件 ( 昭和6年 ) 〉

  ・陸軍大臣宇垣一成大将が、政権奪取を企画

  ・陸軍次官杉山中将、軍務局長小磯国昭少将、参謀次長二宮重治中将、第二部長建川美次少将、

   および、橋本中佐を中心とする桜会の急進メンバー。

  ・民間右翼・・・ 大川周明、清水行之助

  ・無産政党一派・・麻生久、亀井貫一郎

  ・武力・・・・  第一師団長真崎甚三郎中将の一部兵力

〈 2. 満州事変 ( 昭和6年 )  〉

  ・現地満州では、関東軍参謀板垣征四郎大佐と、作戦主任参謀石原莞爾中佐が、十月事件の計画を推進していた。

  ・東京には、軍事課長永田鉄山、参謀本部第一部長建川美次少将がいた。

〈 3. 十月事件 ( 昭和6年 ) 〉

   ・怪文書「皇軍一体論続編」には、建川少将を中心とした結盟と書かれ、

  ・橋本中佐の「橋本日誌」には、政府を更迭しなければ、満州事変は成功せぬと考え、政府転覆計画を企画したと書かれている。

  ・これが十月事件を生み出した要因であるが、この事件も三月事件と同様、未遂に終わった。

〈 未遂に終わった原因 〉・・・4つ上げられている

   1.     行動の不謹慎  (  おおっぴらにやり過ぎた。)

   2. 橋本中佐が、杉山次官に加盟を強要しすぎた。

   3. 西田税と北一輝が、政友会に情報を売った。

   4. 大川周明が、宮内省高官に情報を売った。

  ・しかしこれ以外にも、理由があった。

 ・満州事変勃発後、政府と宮中が陸軍の行動に好感を持たず、とくに外務大臣幣原喜重郎が、国際協調を前面に出し陸軍に抵抗するのを見たとき陸軍首脳にとって、十月事件は頼もしい実践行動だった。

 ・つまり、院外団体的動きとして有用だったのである。計画を実行させるか、押さえるかは軍首脳の方寸にあった

 長くなりましたが、以上が著者の説明の概要です。

 この不穏な動きにより若槻内閣が倒れ、幣原外相はこれ以後、昭和20年に日本が敗戦となるまで、政界と官界から姿を消しています。十月事件が実行されなくても、軍上層部の目的は達成されので、これ以上「計画を実行させるか、押さえるかは、軍首脳の方寸にあった。」、という表現になる訳です。

 こうしてみますと 昭和6年の三月事件が、軍部独走の大きな出発点であることがよく分かります。ここではまだ、皇道派と統制派は明確になっておらず、両派の軍人が混在しています。橋本中佐を中心とする「桜会」にしましても、メンバーの多くは後の統制派です。

 「桜会」をネットで調べますと、 

 ・参謀本部や陸軍省の陸大出の、エリート将校が集まり、影佐禎昭、和知鷹二、 長勇、今井武夫、永井八津次などの支那通と呼ばれる佐官、尉官が多く、約20数名が参加していた 。

 と書かれており、2・26事件で決起した皇道派の将校とは別の集団です。

 従って同じ年に計画された十月事件も、両派の軍首脳が深く関与しています。彼らには、国際協調で抵抗してくる幣原外相を放逐すれば目的を達したことになります。

    若槻内閣が倒れ、犬養内閣となりますと、陸軍大臣が宇垣大将から荒木大将に代わり、今度は、野心家の真崎大将と荒木大将の二人が、皇道派の旗色を闡明にし、統制派への人事攻勢を始めます。

  末松氏の『私の昭和史』を読み終えたとき、氏の著作は、挫折を知った軍人の回想録で、諦観の叙述だと述べましたが、予想通りだった気が致します。

 2・26事件の関係者として処罰され、刑に服した末松氏は、複雑な心境だったに違いありません。場所が離れていたため決起に参加していませんが、氏の行動は、処刑された仲間たちと同等か、それ以上のものでした。判決が、軍上層部による腐心の結果とは言え、死刑と禁錮の差は大きな罪悪感となり、ずっと氏の心に残ったはずです。

 氏は著作の中で、三月事件や十月事件、あるいは桜会、満州事変のことなど、肝心の背景を何も語っていませんでしたが、全てを知っていました。自分たちの手の届かないところで行われる、軍上層部の企みの大きさを知った氏は、著作の中でそれとなく語るしかしませんでした。

  ・十月事件について言えば誰がバラしたのでもないと、言えば、言えないこともなかった。

  ・橋本中佐らは、クーデターの必要を上司に具申もしているのだから、上司はすでに、何かが計画されつつあるかは知っていた訳であり、

  ・押さえるか、実行させるかは、軍首脳部の、方寸にあったわけでもあった。

 国を思う軍人であった氏は、赤裸な軍部批判をする気持になれず、かといって同志であった仲間の将校を、反逆の徒の汚名のまま放置することもできませんでした。深い挫折を味わった氏は、暴露や批判をせず、決起した将校たちの日常の姿を綴ることに、心血を注ぎました。

 その苦悩の結実が、『私の昭和史』だったということになります。怒りと悲しみを抑え、私情を抑制しあの著書を書いたのかと思うと、敬意の念が湧いてきます。高橋氏の著作で沢山の事実を知れば、末松氏の無念が分かり哀れさがつのります。

 氏も含め、2・26事件で決起した将校たちを、「ねこ庭」では非難していません。かといって、賞賛もしていません。彼らが行動しなければならなかった原因が、当時の社会にあったと知るからです。

 事件で被害者となった岡田元首相も、『回想録』の中で語っていました。

 「将校たちの暴挙は許せないが、農村等の貧困は何とかすべき問題である。」

「人殺しは悪だ。」「軍人の暴走は、断固として許せない。」、敗戦以来、反日左翼の言い分は、常にこのような軍人攻撃で終始します。

 どうしてこんな惨事が起こったのか、どうすれば再発防止ができるのか。大事な問題はそこにあるのに、左翼の人間の意見は、偏見のベールを通してしか発せられません。

 自分たちが政権を取れば、国民弾圧の独裁国家を作るくせに、そんな話は後ろに隠したままです。まして彼らは、共産主義国家を作るためなら、殺人も辞さない、暴力革命の信奉者たちです。

 そんな彼らが、日本の軍部を批判する資格がどこにあるのでしょう。末松氏の苦悩など、分かるはずもありません。何度も繰り返しましたので、自分でも恥ずかしいのですが、やはり今回も言います。

 「反日・左翼に、選挙の一票を入れてはいけません。」

 「国を愛せない者たちに、日本の政治を任せてはなりません。」

 戦前のことを知り、軍人のことを知り、読書をするのは、一方的に彼らを否定したり、貶めたり、攻撃したりするためではありません。どのような政体であっても、横暴や腐敗は付随する汚れです。完全な人間がいないように、完全な政府や、完全な軍隊、世界には存在しません。

 その上でより良い方法を追求していくのが現実主義者です。右でも左でもなく、きっとどこかにある現実的手段を探す。

 日本は、聖徳太子の昔から過激を排し、「和をもって尊しとなす」国です。平和憲法を守れ、子供を戦場へ送るな、軍備を全廃せよと、日本にだけこんな不都合を押しつける反日左翼主義者たちに、騙されてはいけません。

 彼らは自分たちが政権を取ったら、軍隊を持つと言っています。戦場へ送る兵士たちを、一体どこから連れてくるのでしょう。実におかしな人間どもです。

 こんなヘンテコな人間に騙されている、お花畑の人間たちは、どうして目が覚めないのか。不思議でなりません。

 今回のブログも、結局こんなところに結論がきてしまいましたが、当然だと思います。腐れマスコミの偏向報道が横行する限り、国を大切にしない「お花畑の住民」が存在する限り、「ねこ庭」のブログは、同じ音色を奏でます。国の独立を手にするまで、500余年をかけたノルウェーを見習っているのですから、ちっとやそっとではめげません。

 尻切れトンボの感がありますが、本日はここまでと致します。

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