ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『統帥権について』 - 4 ( 長尾たかし氏の憲法改正論 )

2018-03-18 17:46:53 | 徒然の記

 たった180ページの文庫本なのに、まだ本題に入っていません。

 話が大きく外れますが、昨夜久しぶりに動画を見ました。我那覇真子さんの、「おおきなわ」( 大きな和、沖縄・大和 )という、動画です。

  ゲストが、衆議院議院議員の長尾たかし氏で、「憲法改正」「沖縄自民党」「米軍基地問題」について、語っていました。

 「統帥権」の本の途中で、氏のことをなぜ語るかと言いますと、憲法改正を悲願としているので、自民党の議員として氏が何を語るのかに興味を持ったからです。

  ・自民党は結党以来党是として、憲法改正を掲げてきました。
 
 ・しかし結党当時は、改正をやらなきゃいけないという、掛け声だけでなにもやっていません。
 
 ・それよりも、高度成長の時でしたから経済優先でした。行政に関係する一部の人には、憲法改正が頭にあったのかもしれませんが、一般国民にはそんな意識はなかったのです。
 
 ・第一、20年くらい前までは、憲法改正という問題はタブーでした。口に出した政治家は右翼だと攻撃されますし、特に九条には触れるな、と言われていましたね。
 
 ・これが、今のように語られるようになったきっかけは、安保法制の審議からですね。
 
 ・戦争がなくなり、テロの時代が来ました。無差別攻撃をする敵があると分かり、やっと政治家も一般国民も、これではまずいと、思いだしたのです。
 
 ・憲法改正に関する、国民の機運の盛り上がりを感じるのは、ここ二、三年のことです。」
 
 日本には著者の三潴信吾氏だけでなく、敗戦以来、ずっと現憲法に疑問を抱き、真剣に考えてきた人々が沢山います。
 
 長尾氏は事実を知らず、「国民の機運の盛り上がりを感じるのはここ二、三年のことです。」と、つまらない意見を述べています。こういう人物が、安倍総理の推挙で、自民党の憲法問題にかかわる委員に参加しているというのですから、呆れてしまいました。
 
 我那覇さんは、正面から質問をしていますが、氏の答えはピントの外れた政談です。彼女への答えは評論家的解説の、一般論に終始しました。保守の本質を問う彼女に対し、答えが政界のハウツウ論です。馬鹿馬鹿しくなり、途中で動画を消しました。
 
 ネットで調べた、長尾氏の略歴を紹介します。

 ・昭和37年生まれの氏は、今年満55才

 ・平成14年に、民主党の大阪支部に入り、」

 ・平成15年、17年と、衆議院選挙に立候補、落選。

 ・平成21年の選挙で当選し、衆議院の拉致問題委員会の理事  ( 鳩山内閣の時 )

  ・平成24年の解散と同時に、民主党を離党。

 ・「自民党へ入党し、衆議院議員選挙立候補するが、落選。

 ・平成26年の衆議院選挙で、自民党公認で大阪から出馬し落選。比例で復活

 ・平成29年の衆議院選挙で、自民党公認となり3選。

 長尾氏が民主党を離党したのは、野田内閣が解散した時でした。反日の総理と議員が、米国との関係をダメにし、中国と韓国へ追従し日本の政治を破壊した時です。

 泥舟となった民主党では選挙に勝てないと、国民から見限られた時の離党です。自民党への入党も安倍総理に誘われての話らしく、私の嫌悪する信念のない政治家の一人でした。

 ここで再び、三潴氏の著作に戻ります。「ローマ法」と「ゲルマン法」の話です。

 ・ゲルマン法のような考え方は、実は東洋の法思想の方が、ずっと先輩と言っていいでしょう。

 ・少なくとも、東洋の法思想と相通じるものがある。だから、今までローマ法の考え方で来た者は、ゲルマン法を、野蛮視した。

 ・同時に東洋と言うものも、野蛮視した。今までの東大は、その態度を取ってきた。

 ・ローマ法の思想は、プロシャに受け継がれ、プロシャの法思想が、東大を通じて、日本に広まったわけです。

 ・それでいま、日本が苦しんでいるわけです。

 ・ところが、第二次大戦以後ヨーロッパでは、ローマ法の考え方を見直そうという動きが、どんどん起こってきた。

 ・ドイツのみならず、フランスでも、イギリスでもそうです。」

 ・つまりこれらの国々は、ローマ法からゲルマン法の思想へと、くるりと変わってしまった。

 ・この転換を、われわれはよく承知しておく必要があるのです。これが日本の中で、少しも説かれていないことが、残念であります。

 ・これが分からなければ、英国をもって代表されるような近代デモクラシーの、本当の意味が掴めないことになる。 

  え、本当にそうなんですかと、言いたくなりますが、長尾氏のような信念のない政治家の話の後なので、三潴氏を信じたくなります。
 
 どうやらこの著作で氏が述べたいのは、「大日本帝國憲法のゲルマン法的解釈」でないかと、そんな気がしてきました。ローマ法的解釈しかしない、東大憲法学への反論と、現行憲法への反対論。氏の目的がここにあるらしいと、ぼんやり構図が見えてきました。
 
 明日から本題に入りますが、氏の主張は、やはり私には難解 ( 曖昧 ) です。「憲法問題」を考えるにあたり、氏の難解 ( 曖昧 ) さと、長尾氏のいい加減さを比較すると、「氏の難解さ」を取りたくなります。突飛と聞こえる氏の意見ですが、そこには氏なりの信念が感じられます。信念のない政治家とは、比較にならない学者の真剣さを見る気がします
 
 花冷えとでもいうのでしょうか、朝晩は冷えます。今夕方の五時です。冬なら外は真っ暗ですが、あたりが明るいので、春の到来を感じます。風呂掃除にかかり、居間と和室の雨戸を入れ、カーテンを引き・・と、これが私の仕事です。
 繰り返される日々の平穏さに感謝、ついでに夫婦が健康であることを、天の神様とご先祖様に感謝します。
 
 (こんな殊勝なことは、いつもは言葉にせず、今日だけの特別仕様です。)
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『統帥権について』 - 3 ( 真偽を図る二つの物差し )

2018-03-17 20:41:14 | 徒然の記

 「ローマ法の思想」と「ゲルマン法の思想」・・、こういうものがあることを、氏の著作で知りました。

 学校で教わらなかった話なので、馴染みがないせいか、分かったような、分からないような部分が多々残ります。

 今回のブログは、退屈されると確信しますので訪問はお休みください。息子たちは父と共に、著者の意見にひたすら耳を傾け、「百読、意自ずから通ず」という言葉を、信じて欲しいと思います。

 ・ローマ法の思想というのは、武力、権力など、利害関係、利益主義というところからきている法理なのです。

 ・つまり古代ローマの考え方では、国家社会の秩序を捉える場合に、権力主義と利益主義の、二つの物差ししか持っていません。

 ・そんな物差しだけで、ローマ帝国が長続きし、栄えることはできません。これを支え、強化したのが、ギリシャ文明でした。

 ・ローマは、ギリシャ文明によって征服された、という言葉があります。ギリシャの精神や道徳や文明が、非常にローマを支えていたと、こういうことであります。

 ・こうしたローマ法のもとで、約二千年間、つまり近世の初頭まで、ヨーロッパの国家思想は権力国家観でした。それが近代の市民革命にぶつかり、今度はそこに、利益国家観と言うものが生まれてきた。

 ・つまり権力国家でなく、国家は、利益共同体だという考えです。

 ・前の権力国家観の時代においては、国の元首というのは、国家の最高の権力者である。国家の最高権力、絶対的な支配権力が主権であると、こういうふうに、堅く信じられてきた。

 ・ところが、利益国家観が起こってきますと、元首とは、国家という利益共同体の機関なのだということになりました。

 ・利益主義の上から言って、ちょうど会社のような、社団法人に準じて国家を説明しようとしました。

 ・だから、元首というものは、いわば代表取締役みたいなものですね。

 ・例のベンサムの、最大多数の最大幸福とか、多数決原理などというものが、出てきました。こういうふうにして、近代デモクラシーが生まれてきたということになります。

  分かったような、分からないような気になるのは、こういう理由です。

 私はしがない年金暮らしの後期高齢者で、氏は元大学の学長で憲法学者ですから、うなづくしかありせん。専門知識に長けた官僚から、事前レクチャーを受ける門外漢の議員は、もしかすると、私みたいな立場なのでしょうか。

 ・ところがゲルマン法というのは、もともとが農本国家、農業民族です。

 ・だから自然を征服するとか、自然との戦いとかいうのではないのです。

 ・農業民族というのは、自分は、もともと天地から生まれたというもので、天地自然と一つになっていくと、こういう道を持っておるのです。

 ・だから人間同士の間でも、決して利害損得とか権力の対立関係などを、互いの秩序の基礎とは、考えていないのです。

 ・本来、みんな一心同体だと、そこから出発しているのです。

 ・ゲルマンの思想は、全体主義でなく、本来みんな一心同体だという、いわば生命の原理というか、そういうところから、出発しているのです。

 ここまでは、何とかついて行きましたが、それ以降が、しっくりときません。

 氏の説明によりますと、ローマ法は性悪説に立ち、ゲルマン法は性善説つに立っているといいます。

 ドイツの中では、ゲルマンへ帰れという声が何度も起こり、フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」という大演説もそれだと言います。マルクスも、ローマ法に反発し、マルクシズムを考えた・・、こうなりますと、もう私の理解の範囲を超えてしまいます。

 長いので、「ねこ庭」の独断で割愛し、要点のみを紹介します。

 ・マルクスが、マルキシズムというものを持ち出したはじめの動機は、かなり純粋なものがあり、汲むべきものがあると思うのです。

 ・つまり商品の価格形成は、需要と供給のバランスということだけから、やるべきでない。それは利己心の妥協という、考え方であるに過ぎない。

 ・もっと大事なことは、その商品を生み出すため、どれだけ人間の努力が、そこに注がれているか。そこのところを、見なければならぬというのが、マルクスが、労働価値説を打ち出した理由で、あるわけです。

 学生の頃、「資本論」を読んだ時、引きつけられたのは労働価値説でした。

 多くの若者や学生たちは、マルクスのこの説に心を奪われたはずです。利益を上げることだけを考え、労働者を劣悪な環境で働かせ、低賃金で酷使する。そういう経営者が多かったので、貧乏人の息子や娘たちは、マルクスの思想に「世直しの光」を見出したのです。

 氏の説明に納得しましたが、これから先が、また分からなくなります。

 ・当時、ドイツの周りの国は、帝国主義的な体制を整え、どんどん植民地を増やしていました。

 ・国家の統一が一番遅れていたのが、ドイツとイタリアでした。両国に統一国家ができたのは、やっと十九世紀に入ってからでした。

 ・マルクスは、自分の祖国ドイツを非常に心配しました。ドイツを立て直すためには、帝国主義の土台となっている、ローマ法の思想から、脱皮しなければならないと思いました。

 ・それで、労働価値説を唱えたのだけれど、彼はあまりにも焦って、ドイツの構造改革論まで出した。

 ・これが、唯物史観です。ご存知のように唯物史観では、プロレタリアート、つまり労働者と農民の独裁体制、ということを考え出して、そのためには暴力革命もやる、ということも打ち出しました。

 ・しかし暴力主義を打ち出したのでは、世の中に非常な害を流すかもしれない。労働価値説まではいいけれど、唯物史観は表には出さないとマルクスは言い、死んだのです。

 ・ところが、前々から彼の友達であったレーニンは、ドイツを敵視していましたから、マルクスの死を好機として唯物史観を持ち出し、マルクスの祖国ドイツを壊そうとしたのです。

  学生時代に読んだ本には、

 ・マルクスは、暴力革命については述べていない。

 ・マルクスの考えを、暴力で達成すると発展させたのはレーニンである。

 ・だから、「マルクス・レーニン主義」と言われる

 と、書いてありました。マルクスの親友はエンゲルスで、亡くなったマルクスの思想を深化し、完成させたのはエンゲルスだと教わり、レーニンが親友という話は初耳です。

 ですから氏の著作を読んでいますと、混乱してきます。真面目な書とは思いますが、予想外の説明が飛び込んでくるので、「極左」と「極右」に同時に接しているような戸惑いを覚えます。

 息子たちに言います。憲法一つ取っても、教授次第でこんなに違う意見があるということ。どれが本当なのか自分で考えないと、振り回されるだけで終わるということを是非とも、学んで欲しいと思います。

 中途半端ですが、本日はここで一区切りとしますが、父として自信をもって息子たちに言えることがあります。どんな著名人が語っても、どんなに高名な学者が説明しても、人物の真偽を見分ける物差しは二つです。

   1.  自分の国を愛する人間なのか。

   2.  ご先祖様に、感謝を忘れない人間であるか。

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『統帥権について』 - 2 ( 宮沢俊義氏の 「8月革命説」)

2018-03-15 17:51:30 | 徒然の記

 本日は、三潴 ( みつま ) 氏が現憲法をどのように捉えているかを紹介します。基本的な意見に全面的に賛成しますが、文章が長いので多少割愛します。

 ・現在の日本で、立憲政治のための基本法典として、憲法を取り上げるなら、大日本帝國憲法以外にはありません。

 ・今の日本国憲法というものは、なんと言っても、敵国軍隊の占領支配下であるときに出来たものですから、これはまったく、自主性はないのだと言わざるを得ないわけです。

  次が大事な論点です。GHQ協力した憲法学者たちが、決して語らない事実です。というより、彼らはこの事実を国民に説明できません。

 ・ポツダム宣言では、日本が降伏したら、日本国は連合国軍隊が占領するのだと、書いてあります。

 ・それを受けて、占領中は天皇及び日本国政府の国家支配の権限は、連合国軍最高司令官のもとに、従属すべきものとするとあるわけです。

 ・日本はこれを、受諾したのでありますから、つまり従属している日本には主権がないというわけです。

 ・主権のない時に、憲法の制定をやったり、憲法の改定をやったりすべきでないということは、これはもう全世界の憲法論の鉄則でありまして、基本原理であります。

 ・フランス共和国憲法にも、国土の一部または全部が外国軍隊の支配下にある場合は、憲法の改正をやってはならないと書いてあります。

 ・西ドイツでは、ご存知のように、今日でも憲法というものを持っていないわけであります。

 ・将来東西ドイツ民族が再び統一され、ドイツ国民の自由な意思の表明により、自主憲法を制定するまで、占領中は絶対に作らないとしています。

 ・その間の、過渡期における基本法律として、グルント・ゲゼッツを制定しています。これを日本の学者が、ボン憲法と名づけていますが、それは間違いです。

 ・ドイツ語では、憲法のことを、フェアファッスングと申しまして、法律のことをゲゼッツと申します。

 ・だからドイツ人が、それほど一生懸命に頑張って、これは憲法ではない、基本法律であるとして制定しているものを、日本の学者が、ボン憲法というふうに称することは、間違いであるわけです。

 息子たちも、あるいはブログを訪問される方々にしても、こういう意見を耳にするのは、初めでないかと推察します。氏は憲法学者ですが、少数意見の教授だったため東大に残れず、高崎経済大学に追いやられたのかもしれません。

 しかし氏の意見は、傾聴に値するものです。

 ・そのような訳でありまして、今の日本国憲法も、憲法が成り立つ基本原理から申しまして、これが憲法であると言うわけには、いかないのであります。

 ・ちょうど西ドイツの基本法律と、だいたい似たような位置にありまして、将来日本国民の自由な意思の表明によって、憲法が立て直しをされるまでの間の、過渡期における、臨時の基本法律であるということです。

 注目したのは、次の意見でした。たとえ少数派と言われても、学者としての氏の見解は一流でないかと敬意を表しました。

 ・一部の、いわゆる保守派の人々の中には、日本国憲法は、占領者の押しつけたものであるから、これは無効だとそういう方もいますが、これは大変な間違いで、もしそういうことになりますと、日本国憲法に基づいてこれまで行われた、立法、司法、行政の全部が、無効ということになる訳です。

 ・そういうことになったら、特に裁判につきましては、大騒ぎになってしまうし、日本中が壊乱状態になることは、火を見るよりも明らかであります。

 ・すから私どもが、この問題を考える場合におきましても、ただ先を焦って、自分の胸の溜飲を下げることに陥らないよう、それはやはり自己満足だと、私は思いますし、

 ・そんな生易しいことでなく、もっと深いところから、日本の国柄に即した考えをよく練り、方法も日本の国柄に即したもので、立て直していくということを、考えていかなければならないと思います。

  昨年の2月、変節した学者の一人として「ねこ庭」で紹介した、宮沢俊義氏を思い出しました。氏は当初押しつけ憲法反対の立場に立ち、次のように公言していました。

  「 大日本帝国憲法の部分的改正で、十分ポツダム宣言には対応可能だ、」

  「日本国憲法の制定は、日本国民が自発的自主的に行ったものではない。」

 一方でGHQも、占領国による被占領国の憲法改正が、国際法違反であることを認識していました。本来は無効である、日本国憲法の正当化理論を、GHQのために考え出したのが宮沢氏でした。

 氏はGHQのため、「8月革命説」というとんでもない詭弁を主張しました。

  「昭和20年8月15日に、日本では革命が起きていた。 」

  「日本は天皇主権の君主国から、まったく別の国民主権の共和国になった。」

  「昭和天皇が、共和国の初代天皇になった。」

 その時だけ乗り切ればよかったGHQは、宮沢氏を支援し、他の憲法学者たちをねじ伏せ、あとは、協力者たちの平和憲法賛美に任せました。氏の「8月革命説」は役目を終え、世間で語られることがありませんでした。マスコミが報道しないので、国民は知ることも聞くこともありません。

 日本最高の憲法学者と言われた宮沢氏が、なぜこんな詭弁を弄したのか、ずっと疑問でしたが、三潴氏の著作を読んで納得しました。

 大日本帝国憲法から日本国憲法への切り替えは、「8月革命説」という詭弁でしか説明できない、暴力的な改正作業だったからです。まともな学者なら、論理の整合性がとれません。宮沢氏の詭弁に協力するしか、現行憲法を肯定する手段がなかったため、東大の学者たちは恥ずべき「8月革命説」について、その後誰一人語りません。

 「ユダヤの闇」などと、大層に語る風潮がありますが、宮沢氏の「8月革命説」で切り替えられた現行憲法の裏話は、これに劣らない「日本の闇」です。氏の変節の理由について、駒澤大学名誉教授の西修氏が、次のように語っています。

 「東京帝大教授で憲法の権威であった宮沢には、GHQから相当の圧力があったであろう。」

 三潴氏の正論を知ったおかけで、宮沢氏の暴論 (邪論) を思い出したわけですから、感謝します。息子たちに言います。謙虚に、虚心坦懐に、学者たち過去を知ってください。国から栄誉を与えられる一流の学者でも、宮沢氏のような人物がいます。GHQの圧力がどのようなものであったのか、それを知れば、私もまた敗戦の犠牲者の一人だったと分かるのかもしれません。

 分かっても父は、宮沢氏を許しません。スペースが無くなったので、続きは明日にしましょう。

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『統帥権について』 ( 統帥権に関する二つの意見 )

2018-03-14 19:35:22 | 徒然の記

 三潴 ( みつま  ) 信吾氏著『統帥権について』( 昭和48年刊 国民新聞社  )を、読みました。

 氏の略歴を紹介します。

  ・大正5年、東京に生まる。

 ・昭和16年東京帝国大学、法学部卒。

 ・明治大学予科教授を経て、高崎経済大学教授。

 ・同大学長を経て、現在附属図書館長。

 ・共立女子大学、麗澤大学講師を歴任。平成15年1月6日逝去」

 たった180ページの文庫本なのに、読み進むのに難渋しました。二回読み返しましたが、まだ理解できないところが残っています。

 今月の初め、富田健治氏の著『敗戦日本の内側』を読み、独立国には軍隊が必要で、やがて軍備が整えられる日が来るという意見に賛同しました。

 首相の知らない間に、戦争が現地軍の判断で拡大していく。どうすれば、軍の独走が防止できるのか。これが大東亜戦争での大きな課題でした。

 富田氏は答えとして、「軍の統帥を、絶対に国務から独立させてはならない。」と、語りました。ところが同じ保守でも三潴氏は、「統帥権の確立」なくして、国防軍は成立しないという意見です。

 「まえがき」で氏は、本書の内容が大きく二つに分かれると解説しています。

   1. 統帥権が明確化されていない現在の自衛隊は、軍隊ではない。

   2. 国防軍の再建には、統帥権の確立が前提である。

 同じ保守なのに、どこからこの違いが生まれるのか。三潴氏が大学を卒業した昭和16年が、どういう年であったのかを調べてみました。

  ⚫︎  2月14日 - 野村駐米大使がルーズベルト大統領と初会談

  ⚫︎  4日13 日-日ソ中立条約成立

  ⚫︎  6月30日-ドイツが日本に対して対ソ参戦を申し入れるも日本は拒否

  ⚫︎  7月16日 - 第二次近衛内閣総辞職( 松岡洋右外相更迭 )

  ⚫︎  7月18日 - 第三次近衛内閣成立( 外相豊田貞二郎 )

  ⚫︎  7月25日 - 米が在米対日資産を凍結

  ⚫︎  7月26日 英が在英日本資産を凍結

  ⚫︎  7月27日- 蘭印が在蘭印日本資産を凍結

  ⚫︎  7月28日- 日本軍、フランス領インドシナ南部進駐

  ⚫︎  8月 1 日- 米、石油の対日輸出全面禁止を発表

  これでみますと、三潴氏と富田氏の年令差というより、経験が違います。「軍の統帥を、絶対に国務から独立させてはならない。」という富田氏の意見は、近衛内閣の書記官長として日中戦争を終息させようと、軍部と議論を重ねた経験から出ています。

 三潴氏の意見は貴重な保守の論理ですが、やはり学者の意見に過ぎないのでないかと思います。

 明治30年生まれの富田氏は、大正10年京都帝国大学法学部を卒業し、内務省に入りました。静岡、岐阜、神奈川県等で、警視を務め、大阪府警察部長、内務省警保局長、長野県知事を歴任した後、第二次、第三次近衛内閣で、内閣書記官長の任にありました。

 大戦末期の日本を、二人はその目で見ていますが、当事者だった富田氏と、学者だった氏の視線は、これほど違っています。

  と言っても、三潴氏の著作を軽視してはいません。ローマ法とゲルマン法の違い、宮務法と国務法の区別など、新しい知識を得させてもらいました。憲法改正に関する次の意見は、襟を正して聴く価値があります。

 ・戦後の日本におきまして、憲法をなんとか改正せよとか、立て直せとかいう議論が出ます。

 ・国会議員だとか、あるいは政党だとかが、軽々しく、いろいろな改正の狼煙を上げたり、あるいは改正の具体案まで、個人的に出すような、軽率な人まで出てくる。

 ・そんなことをやって、しきりに功を焦っておりますけれど、いまもってそれが出来ないわけです。」

 ・すでに日本の主権が回復して、20年を過ぎておるわけですが、それでも、まだ出来ない。

 ・いかにみんなが慌てながら、しかも基本的な地道な努力をしていないか、ということが分かるわけです。

 ・今日の憲法論で申しますならば、みんなが、手続きのことばかり言っておりますけれど、根本的には、教育を立て直すことの方がむしろ先で、前提になるということをよく考えなければなりません。

 ・憲法を変えなければ、教育が立ち直らぬと言っているのは、むしろ責任転嫁でありまして、今の憲法であったって、まだまだ幾らでも教育の立て直しはできます。

  憲法の研究から発布まで、9年の歳月をかけた明治憲法と比較をしながら、たった10日分余りでGHQが作った現憲法が、果たして「憲法」と呼べるものなのか、分かりやすく氏が説明してくれます。

 保守憲法学者の中で氏は少数派だと書かれていますが、正論には耳を傾けなくてなりません。

 韓国が北朝鮮へ中国へアメリカへと擦り寄り、半島情勢が険しくなりつつあります。北のテポドンが日本に向けられ、弾頭には核も載せられそうだというのに、反日の野党は書類だ日報だと、重箱の隅を突つき国会の審議を止めています。

 マスコミが同調しているのか、煽っているのか、安倍政権を揺さぶっています。いずれも、利敵行為ですが、総理が乗り切れるのか、倒されるのか、情けない政争が続いています。

 国会の論戦を横目にしつつ、三潴氏の著書に向っています。「温故知新」の読書から、見えてくるものがあると信じ、「ねこ庭」に向かいます。

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国民の負託を、勘違いした総理

2018-03-12 22:47:40 | 徒然の記

 安倍総理を個人的に応援する人には、非難されるのでしょうが、私は、総理が自らけじめをつける時が来たと思います。

 財務省の文書改ざんごときで、内閣が倒れるなど、腹立たしい限りですが、本日の報道を見て、覚悟しました。自民党は次の総理を、用意すべきでしょう。安倍総理を倒そうとする勢力は、朝日新聞だけでなく、NHK、宮内庁、外務省、中国、韓国、もしかすると、米国かもしれません。

 何年かしたら事実が見えてくる日が来るのでしょうが、私たち庶民には、肝心なことは見えません。ただこれだけは、はっきりしておきたいと思います。

  1. 日本が独立するためには、軍が必要であること。

  2. そのためには、憲法改正が必要であること。

  3. 自民党の中で、憲法改正を主張する安倍総理は少数派であること。

  4. 風見鶏の多い自民党の中で、総理は反対勢力に囲まれていること。

 国会で総理が追い詰められている背後には、こうした要因があります。だからこそ、「ねこ庭」は個別の政策で異論を抱いても、「憲法改正」の一点で、総理を支持してきました。

 安倍総理を支持していても後援会のメンバーでなく、国を愛する国民として冷静な目で総理を見ています。私が国民として、総理を批判する理由は、下記の通りです。

 1. 安倍総理は、昭恵夫人をコントロールできなかった。

 2. 昭恵夫人の愚かな行動が、モリカケ問題を発生させた。

 3. 野党に付け込まれる、原因を夫人が沢山作った。

 4. 総理は夫人を守るため、国民を忘れ、官僚に無理をさせた。

 5. 野党が言うまでもなく、保守の国民が失望している。

 安倍総理は国民の負託がなんであるかを勘違いし、数に奢ってしまいました。国民は、安倍総理個人を応援して多数を与えたのでなく、「憲法改正」を進める総理を、支持していたのです。

 昭恵夫人が何をやっても、国民の支持があるから自分は大丈夫と、勘違いをしてしまいました。安倍総理の退陣がもしあるとすれば、残念でなりませんが、こじつけの屁理屈で生き延びたとしましても、それはもう「現憲法」と同じ姿です。

 あれこれ理屈をこね、正当化の理由をつけ、ねじれ曲がった憲法みたいに、安倍内閣も矛盾だらけですから、国民を不幸にします。自民党の議員諸氏は、外国や野党に踊らされた政争などに参加せず、「国を大切にする国民」がいることを忘れず、明日からの国会に対処してもらいたいと思います。

 こういうときにこそ、政治家として矜持が試されます。同様に、私たち国民も、ご先祖様や子供たちから試されています。右顧左眄せず、国の明日を考えるときです。

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『中国人の知恵』 ( 諸橋轍次 ( てつじ ) 氏の著書 )

2018-03-09 22:10:01 | 徒然の記

 諸橋轍次 ( てつじ ) 氏著『中国人の知恵』」( 昭和48年刊 講談社現代新書 ) を、読みました。巻末の略歴を、そのまま転記します。

 ・明治16年、新潟県生まれ 東京高等師範学校卒業

 ・文学博士「東京高師、東京文理科大学教授を歴任

 ・現在東京教育大学名誉教授

 ・文化勲章、紫綬褒章、朝日文化賞など、数々の栄誉を受けた漢学の第一人者

 ・都留文科大学の初代学長

 氏は反日・左翼の教授ではありませんが、徹頭徹尾「中国礼賛」をする漢学者でした。「お花畑の住民」でなく、お花畑を開墾し、花の種を力任せに撒いている「お花畑開拓者」の一人でした。

 日本の昔話に出てくる、「花咲か爺さん」の姿が彷彿としました。初版の昭和48年から昭和57年まで、15版も重ねているのですから空恐ろしい話です。

 目次の一部を書き抜きますと、それだけで、信じられない「中国礼賛」ぶりが明らかになります。

 「比類のない、平和・民主思想」 「巨大なスケール」

 「自己に徹する」   「交際のみごとさ」

 「磨き上げられた道徳」 「憧れの政治」

 吹き出しそうになりましたが、氏が大真面目で真剣ですから、私も本気で読みました。しかし読み終えた後でも、氏への印象は何も変わりませんでした。

 「日本の漢学者とは、こんなにレベルが低いのか。」

 「この程度の思考で文化勲章が貰えるというのなら、文化勲章も大したものではない。」

 と、勲章の価値も劣化してしまいました。

 二日前に紹介した柘植久慶氏著『沖縄独立す』と同じで、氏の著作も、「まえがき」さえ読めば、本文など付録みたいなもので、わざわざ読む必要がありません。珍しい本が続きますので、一部だけでも紹介します。

 ・わたくしは、若い頃から漢学を学び、中国に深く親しんできました。

 ・わたくしは、中国の人々が好きです。

 ・わたくしの言う中国人は、台湾治下だけの人々でも、北京治下だけの人びとでもありませんし、また、特定の時代の人々でもありません。

 ・大変漠然とした言い方ですが、四千年の歴史を経て、現在七億以上の人口となっている、中国人のすべてです。

 45年前の本ですから中国の人口も変わり、現在は約14億人と二倍になっています。

 ・わたくしは、この長い歴史を持つ人々の、深い知恵をたずね、それを与えられたページ数の中で、最大限に、力を尽くして書きました。」

 ・中国人ほど、自分を大切にし、自分を愛しているものは少ない。

 ・そしてそのようにして、完成した己をもとに、彼れらは、他人と、まことに味わい深い交際を続けます。

 ・それがどこでも、どの時代でも、究極の繁栄を得ているゆえんでしょうか。

 昭和40年代は反日左翼の出版物が日本中に出回りましたが、ここまで酷い本は珍しい気がします。紹介するのが、返って面白くなる不思議さが出て来ます。

 ・天人一如の思想は、中国の道徳・政治の基礎となるものです。

 ・この思想を理解することによって、中国の磨き上げられた道徳と、憧れの政治とに、必然的に導かれます。

 ・中国人は、自分を大切にすることの大なるため、ややもすると単なる利己主義者と解されがちです。わたくしの本は、中国人の次元を超越する、強靭性を実証するとともに、そうした誤解を解く、反面の事実を物語るものです。

 ・ちかごろ、中国へ行った人たちは、一様に中国の再興ぶりと、中国青年の意気込みをたたえます。50年前の中国だけを見聞きした人たちは、あるいは驚き、あるいは疑うのかもしれません。

 ・しかしあれも中国人、これも中国人、変転の中に一貫して生き延びていくのが、中国人です。

 氏の言葉を紹介しながら、「ねこ庭」を訪問される人が絶えてしまうのでないかと、心配になって来ます。息子たちには、「読んでも参考にならない」と注意書きをしなくてなりません。

  ・中国人は、己を中心とすることに徹底していますが、その己は、一時期の己でなく、もっと長い将来の己を考える、知恵があります。外界の事情がどう変わろうと、耐えて生き延び、自分を保全したのでしょう。

 ・清朝が滅びようが、軍閥が起ころうが、また共産主義がやってこようが、来るのなら、どんなものでもくるがよい。己は己として、生き延びて見せるというのが、中国人の確信であります。

 ・日本人ならば、共産主義の思想に入ったならば、その思想の組織内に立てこもって、終始する。だから、国情に合わなくても、時勢に合わなくても、そのイデオロギーにとらわれます。

 ・中国人は、完成した己で処置しますから、それが違つた形に変化しても、少しも頓着しません。その時の現実の上に、どっしり足を踏まえて、考えを定めていくのです。

 2000万人が殺された文化大革命の嵐が吹き荒れたのは、昭和41年から51年の10年間でした。出版が昭和48年ですから、文化大革命の最中の本です。NHKも朝日新聞も中国に都合の悪い事は報道しませんでしたから、氏だけを責められませんが、よくもここまで誉め上げたものです。

 いい加減にすれば良いのに、氏は、孔子・孟子・老子・荘子・荀子の教えを、手当たり次第に説明していきます。

 ・学問は自分のためにする。人を知るより、自分を知れ。天意は、民の声によって決まる。人間社会の道は、交際

 ・・などなど、論語や易の古典から説明してくれます。

 1400年前の隋や唐の時代の中国を語るのなら、分からないでもありません。当時の中国は日本の先生で、現在の日本文化の土台は中国からもたらされています。

 そこは謙虚に感謝する「ねこ庭」ですが、現在においてこういう手放しの賞賛をするというのでは、学者としての適性が疑わしくなってきます。

 中国古来の文化・文明を破壊し、紅衛兵たちが毛沢東の政敵を晒し者にし、なぶり殺しにした、悪名高い文化大革命があったのは、昭和41年からの10年間です。朝日新聞も氏によく似た、中国礼賛の新聞社でしたから文化大革命について、「偉大な民族の実験」「大躍進の中国」と、大嘘の報道をしていました。

 それにしても、この能天気な中国礼賛には首を傾げてしまいます。

 ・この複雑で、聡明な、中国の民族に対して、策略や術策などをもってするのは、愚の至りです。もしそれで争おうとするのなら、どんな手を用いても、こちらの負けに決まっている。」

 ・では、どうする。それはやはり、徹頭徹尾、誠意をもっていくより他はないでしょう。

 ・中国の人々がすべて誠意の人であり、誠意に感ずる人であるとはいいませんが、あの長い歴史の経験において、誠の人を渇望すること、また誠の人を認める眼識の高いことについては、世にも優れた民族だと思います。

 ・中国人は、誠意は必ず通ずる人たちであると、私は中国の歴史を読みこの事実に接する毎に、深い感銘に打たれるのであります。ただいま当面している、日中修好の要訣だと信じます。

 つまり氏の本が出版されたのは、日中国交が正常化された翌年でした。

 田中総理が周恩来首相と握手を交わし、日中共同声明に調印しました。あれから45年以上経った今、果たして中国は、氏が言うような礼節の国であったのか。誠意と真心の通じる平和国家であったのか。

 数年前に氏は亡くなっていますが、国民弾圧国家として中国が残虐な姿を見せはじめた時に、よくも自分はあんなでたらめを日本国民に語ったと恥じ、著作の絶版をしても良かったのではないでしょうか。

 良心のある作家や学者が、時々そ絶版宣言をしますが、氏にはどうやらそんな学者の良心がなかったようです。

 論語読みの論語しらず。専門馬鹿。獅子身中の虫、駆除すべき害虫。

 申し訳ない事ですが、今の「ねこ庭」から贈る言葉は、これしかありません。息子たちに言います。立派な賞を貰い、世間で持て囃されても、馬鹿な人間は、時の経過が化けの皮を剥ぐということです。

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裁判官の常識 ( 東京高等裁判所 ? )

2018-03-09 12:16:02 | 徒然の記

 3月3日の千葉日報の記事でした。なんとも不可解な、裁判の結果が報道されていました。

 千葉県内に住む男が、パチンコ店の駐車場で、警察官の職務尋問を受け、カバンの中を調べられ、覚せい剤を発見されてしまいました。

 男はその場で、現行犯逮捕され、一審の千葉地方裁判所が、懲役4年、罰金50万円の判決を言い渡しました。ところが東京高等裁判所で、若園敦雄裁判長が、一審判決を破棄し、男を無罪としたのです。

 理由は、「被疑者の承諾なしに、カバンの中身を調べたのは違法である。」「令状のない違法捜査なので、覚せい剤は証拠にならないと判断した。」というものです。最近はこのような、信じられない判決がよく出ます。私みたいな普通の常識人間には、とても納得できない裁判官の判断です。

 法律の通りに正確な解釈をすれば、若園裁判長のような、おかしな結論が出せるのかもしれませんが、覚せい剤を所持している男を無罪にする「常識」は、どこから出てくるのでしょう。

 まして、一審の千葉地方裁判所が、重い判決を出しているのに、これを無罪にするというのですから、東京高等裁判所で「裁判官の常識」はどうなっているのか、という疑問が自然と湧いてきます。

 「疑わしきは罰せず。」、「罪を憎んで、人を憎まず。」などと、戦後は人道主義と人権の思想が強くなり、犯罪者に温情をかける裁判官がもてはやされる風潮にあります。

 結果として殺人犯の人権を守る方には力が入り、殺された被害者の人権は無視される社会になりました。

 こんな裁判官はたいてい反日左翼の思想を持ち、犯人を守ろうとする弁護士も、反日左翼系の団体に所属しています。偏見だと言われても、「ねこ庭」はこうした裁判官や弁護士や、これを正当化するマスコミに対し、「正しいことをしているのか。」「庶民の常識を壊そうとしているのか。」と、怒りと疑問を覚えます。

 人殺しをしても、「心神喪失状態だった」、「殺意はなかった」という理由で、信じられない軽い刑になります。「ねこ庭」から見ればこんな裁判官たちは、「社会の安全と平穏」を願っている常識人でなく、殺人や犯罪を奨励するばか者でないかと、そんな気がしてきます。

 こうした記事を説明なしにキチンと届け掲載する千葉日報は、「常識のある新聞社」だと思います。

 「こんな馬鹿な裁判官が、東京高等裁判所にいますよ、」「名前は若園敦雄と言いますよ」と、千葉県民に教えてくれています。せっかくですから、こんな常識のない裁判官は、「ねこ庭」で公表し、国民の常識で正しく裁かなくてはいけません。

 「ねこ庭」が、反日・左翼の人間を好きになれないのは、こんな判決をだす裁判官がいるからです。これを偏見と言うのなら、言う人間に「常識」が欠けていると「ねこ庭」は頑張ります。

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『沖縄独立す』 ( 柘植久慶氏の著書 )

2018-03-07 22:00:41 | 徒然の記

 柘植久慶氏著『沖縄独立す』( 平成10年刊 KKベストセラーズ ) を、読了。

 沖縄に関するドキュメントかと思いましたが、フィクション小説でした。三年前の6月に読んだ、村上龍氏の『半島を出よ』を思い出しました。

 突然福岡に上陸した、北朝鮮の特殊部隊員9名が、野球試合中の福岡ドームを急襲し、観客3万人を人質にして福岡市を占領してしまう、という話でした。

 日を置かず、追いかけるように12万人の北朝鮮精鋭軍が上陸し、福岡県の独立宣言をするのですが、危機管理能力のない政府は、総理大臣以下右往左往するだけで、なんの決断もできず、同盟国アメリカは、日本のためには動かないという、面白くもなんともない小説でした。

 この時の書評を、「ねこ庭」の過去記事から紹介します。

 「この小説の醜悪さは、どうしようもないレベルだ。」

 「作者の人品の卑しさから生まれる叙述は、批評にも値しない。」

 「形容しがたい不愉快さと、憤りが抑えられないから、珍しくて紹介した。」

 柘植氏の著作は、舞台が沖縄で似たような設定です。村上氏は、北朝鮮軍の特殊部隊の急襲から始めますが、柘植氏は、沖縄県の反日政治家の手引きを原因にします。

 いずれの話も登場する政治家が無能で、胆力のない人物として描かれます。

 日頃は自民党の政治家を酷評していますが、そんな人間ばかりであるはずがないと、弁護せずにおれなくなる奇妙さがあります。村上氏は反日というより、日本人蔑視の作家で、敵の前でへたり込んでしまう政治家を好んで描きます。

 柘植氏は、勇気と常識のある日本人も登場させ、国を売る沖縄の反日と戦う様子を、保守の立場から描いています。村上氏ほどの嫌悪感を覚えませんが、最後がいけません。

 反共、反中の政治家が、一人残らず殺されてしまうという結末です。いくらなんでも日本の政府が、沖縄の独立を何もせず見過ごすはずがあり得ません。アメリカにしても、同盟国の名が泣きます。

 と反論しつつも、北朝鮮に拉致された日本人を、40年以上放置している政府を思うと、声が小さくなります。

 20年前の本ですが、「沖縄独立」というテーマがそんな以前から語られていたのかと、むしろその方に驚かされました。

 荒唐無稽な村上氏の話と異なり、柘植氏の作品には事実が混じるので、翁長知事の県政を見ていると、「中国の手引きをする政治」が笑えなくなります。

  小説の中の日本の首相が橋田龍介となっていますので、念のためかくにんすると、出版当時の首相は橋本龍太郎氏でした。国際常識もなく、沖縄に関する知識もない無能無策政治家と、柘植氏は、そんなふうに橋本首相を見ていたのでしょうか。

  小説は三部で構成され、第1部が「沖縄の独立」、第2部が「独立し、繁栄する沖縄」、第3部が「中国に侵略される沖縄」です。本では別のタイトルになっていますが、本を読まない人にも分かるように、「ねこ庭」で、内容に沿い勝手に変更しました。

 本物らしい事実が含まれているから小説が優れていると、そんなことは誰も言いません。小説には小説の技法と、文章があります。生煮えの野菜のごった煮では、美味しいシチューにならないのと同じ理屈です。

 参考のため、裏扉にある著者の略歴を紹介します。

  ・昭和17年、愛知県生まれ、昭和40年慶応大学法学部卒。

  ・在学中より、コンゴ動乱や、アルジェリア戦争に参加。

  ・昭和40年代よりアメリカ特殊部隊に加わり、ラオス内戦に従事

  ・昭和61年より、作家活動に入る。

 私より二つ年上で、存命なら今年76才です。肩書きは小説家だけでなく、軍事評論家でもあります。歴史小説、時代小説、アクション小説、ノンフィクションと、幅広い分野の作品を発表していると、ネットの情報で知りました。

  作品には心を動かされませんでしたが、「まえがき」の氏の言葉に賛成しました。これを読めば、本を読む必要がなくなります。

 「まえがき」から賛成した部分というより、大抵の人が知っている当たり前の話を抜書し、それで今回の「ねこ庭」を終わたいと思います。

 KKベストセラーズがどんな出版社か知りませんが、本を買って読んだ人には同情しかありません。図書館の無料配布の本ですから、「ねこ庭」は出費を気にせず、日本の出版界の多様性に驚きながら、以下「まえがき」を紹介します。

  ・このところ、沖縄問題が多く論じられてきた。

  ・だが、まったく意味を持たない感情論的なものが、かなりを占めている。

  ・「沖縄の心 」などといった極めて抽象的な論議では、いたずらに、核心から遠ざかるばかりだ。

  ・それと同時に驚かされるのは、論議が軍事を抜きに語られている点だ。」

  ・軍事を抜きにした沖縄論など、まったく無意味に等しい。

  ・国際政治はその根底において、経済と軍事が極めて強い影響力を有してきている。

  ・軍事の基盤は経済力であるし、経済の背景には、常に軍事力の影がちらつく。

  ・経済さえ発展していれば、軍事など軽視してもという考え方は、大戦後の日本をずっと根強く支配してきた。

  ・日本における、近年の愚論の最たるものは、「一体、誰がせめて来るのでしょう ? という、意見だ。

  ・これは軍事音痴を自ら白状しているか、はたまた、日本の弱体化を狙い、仮想敵国を利する魂胆としか考えられない。

  ・スバリ危険な国家とは、中国だ。

  ・中国の経済は背伸びの限りを尽くし、内部には、不正が渦巻いているのを忘れてはならない。

  ・中国の国営企業の倒産が相次ぎ、経済的な行き詰まりが見えた時、中国は国民の不満を転嫁するため、台湾に標的を合わせるのは、当然である。

  ・この覇権国家が動き出した時、アジア北東部に、恐るべき事態が発生するのだ。

  ・沖縄は、その真ん中の、要石の位置を占めている。

  ・もし混乱が起きた場合、否応なく、渦中に巻き込まれていく。

  ・この地理的条件がある限り、いかに理想論として戦争を放棄しても、戦争の方が放棄してくれないのである。

 もし最後まで読まれた方がおられましたら、時間の無駄遣いをさせ、申し訳ないことをいたしました。

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『敗戦日本の内側 』 - 12 ( 近衛公の遺言 )

2018-03-04 19:21:05 | 徒然の記
 陛下の「終戦詔勅」の放送が、全国に流れました。戦争が終わり、連合国軍が進駐し、マッカーサーの統治が始まります。鈴木内閣が総辞職し東久邇宮内閣となり、近衛公は副総理格で入閣します。 
 
  東久邇宮内閣は、マッカーサー元帥と米本国の意思疎通の齟齬のため、閣僚の一斉罷免指令を受け、わずか50日で崩壊し、幣原内閣となります。
 
 公は以後政治から退き、氏の本には重要事がまだ多く語られています。しかし、そろそろ本の紹介を終わりにしたいと考えます。
 
 本日私は著書を読み終え、自決した近衛公に関する叙述を読みました。
 
 突然目の前から、公の姿が消えてしまいました。さほど魅力のある人物と意識せず、富田氏の語り口に引かされ読んでいると思っていましたのに、ポッカリ心に穴が空きました。
 
 気力がなくなったと、そういえば良いのでしょうか。甚だ勝手ですが、以下自分が一番重要と思う部分だけを紹介し、区切りをつけることに致します。
 
 覚悟をしていたとは言え、戦争犯罪人として逮捕命令を受け、やはり公は衝撃を受けます。巣鴨刑務所へ出頭する前夜、公は自分の心境を記しておこうと決意し、次男の通隆氏に書き終えたものを渡しました。
 
 その後家人が寝静まった深夜、というより、早朝に青酸カリを服用し自決します。いわば、そのメモが氏の遺言であり、富田氏が全文を掲載しています。長いので、私の心に響いた箇所だけを紹介いたします。
 
「戦争に伴う昂奮と、激情と、勝てる者の行き過ぎた増長と、敗れた者の過度の卑屈と、故意の中傷と、誤解に基づく流言飛語と、」
 
 「これら一切の世論なるものも、いつかは冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。」
 
 「その時初めて神の法廷において、正義の判決が下されよう。」
 
 遺言書は、翌朝やってきた検事一行によって押収され、「ねこ庭」が紹介した部分だけは、一切発表してはならないと命令されたと言います。しかもこの遺言書は、6年経ってやっと家族に返還されましたので、言論の自由の本国のように言うアメリカが、このようなことをするのかと富田氏が憤っています。
 
 首席検事のキーナンが決めたのか、マッカーサー元帥がそうさせたのか分かりませんが、彼らが発表禁止にした理由は理解できます。公の言葉は、「GHQの統治」と「東京裁判」への厳しい批判であり、怒りの表明だったからです。
 
 復讐心にかられた戦勝国の人間と裁判官たちが、敗戦国の日本を、好き勝手に断罪したのですから、公には我慢がならなかったのでしょう。
 
 何も語れない陛下に代わり、命と引き換えに公が代弁したばかりでなく、無力だった国民も代表し連合国軍に物申したと、「ねこ庭」からはそう見えます。
 
 GHQ統治下の日本の状況を、苦々しそうに富田氏が語っています。
 
  ・急に平和論者ぶって、総司令部に入り浸っていると伝えられる人たちの名前も、よく聞いたものである。
 
  ・そうかと思えば、日本人の悪口を告げるため、司令部に日参している者もあるという始末で、無条件降伏したと同時に、恥さらしの日本となった時代でもあった。
 
  ・私は日本の政治家、軍人、言論人と言われる人たちにして、敗戦にあたり、周章狼狽するばかりでなく、わが日本を売り、わが同胞を裏切ることによって、生活の道を得んとする卑劣な根性の者が、いかに多かったかを知り、慨嘆に耐えないものがあった。
 
 氏が語る裏切り者こそが、私がブログの中で、日々攻撃してやまない「反日売国の徒」です。もっと言えば、「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」で、彼らの大量発生は敗戦から始まりました。
 
  ・民主主義は、よろしかろう。
 
  ・しかしながら、人を陥れ人を裏切り、これにより自らの利益を得るというのは、民主主義以前の不道徳ではなかろうか。
 
 氏の語る日本を、心に刻んでおきたいと思います。
 
  ・かかる輩が戦後すでに14年を過ぎて、なおかつ各界に、口をぬぐって、しかものさばっているとすれば、そんな日本の社会が、立派な成長を、なし得ようはずがないのである。
 
  ・今後の日本の正しく行く道は、終戦直後の破廉恥の是正から、再出発すべきものではなかろうか。
  
 敗戦直後、責任をとって自決した将軍の名前は次の通りです。
 
 将官だけを紹介していますが、佐官クラス以下の軍人を入れますと、もっと多くの数になります。敗戦に際し、自決した軍人がこれほど多いのは、日本だけに見られる現象だと聞きます。
 
 今はご先祖様の中に入られた方々に対し、私は頭を垂れます。
 
  阿南惟幾陸軍大将   割腹自決     寺本熊一陸軍海軍中将  割腹自決
 
  大西滝治郎海軍中将  割腹自決     田中静壱陸軍大将    拳銃自決
 
  島田朋三郎陸軍中将  拳銃自決     杉山元陸軍元帥     拳銃自決
 
本庄繁陸軍大将    割腹自決     宇垣纒海軍中将     特攻自決
 
 反日左翼の政治家や学者、評論家たちは、軍人を十把一絡げにして罵ります。
 
 「日本を破滅に導いた軍国主義者」「国民を苦しめた全体主義者」などと、自己の変節を棚にあげ、およそ見当はずれのへ理屈で、国民を煽動し続けています。
 
  ・今後の日本の正しく行く道は、終戦直後の破廉恥の是正から、再出発すべきものではなかろうか。」・・氏の意見に、「ねこ庭」は全面的に賛同致します。 
 
 恥ずべき輩の一部を、過日「変節した学者たち」と表題をつけ、「ねこ庭」で取り上げました。戦前は軍国主義だったのに敗戦後に平和主義者に変節し、GHQに媚を売った学者たちです。学界に巣食うこの「獅子身中の虫」の名前を、もう一度紹介します。
 
   中野好夫  宇都宮徳馬  我妻栄  戒能通孝  家永三郎 
 
   宮沢俊義  横田喜三郎  末川博、
 
 変節せず根っからの反日左翼学者は、久野収大内兵衛の2氏です。

 もしかすると敗戦後73年経った現在が、公の言われたその時でないのかと思えてなりません。

 「これら一切の世論なるものもいつかは冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。」

 国民の多くがやっと「反日左翼」の捏造に気づき、「獅子身中の虫」どもの大嘘に疑問を持ち始めました。

 腐れマスコミの筆頭である朝日新聞が読まれなくなり、売国NHKへの疑念が語られるようになり、自分の国の歴史を見直そうとする風潮が出てきました。「戦前への回帰」「軍靴の響きがする。」などと、売国の朝日新聞が得意の煽動記事を書いても、多くの国民が自分の頭で考え始めました。

 「その時初めて、神の法廷において、正義の判決が下されよう。」

 と、公が希望を託した時が今訪れようとしていると、そんな気がします。

 今宵は、「呑める日」です。焼酎のお湯割りを、コップに一杯ゆっくりと飲みます。今晩見る夢は、近衛公でしょうか。著者の富田氏については、写真がありませんので夢に見ません。

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『敗戦日本の内側』 - 11  ( 昭和天皇のご決断 )

2018-03-04 12:47:05 | 徒然の記

 南太平洋の島々で多数の兵が玉砕し、原爆を二つ投下され、虎の子の戦艦大和と武蔵を失ったのに、なぜ日本は「ポツダム無宣言」が受け入れられなかったのか。

 氏の著書では明確に書かれていませんが、政府要人の頭を占有していたのは「国体護持」でした。今は使われない言葉のためピンと来ませんが、国体とは「天皇」あるいは「皇室」のことです。

 「ポツダム無宣言」を受け入れた場合、天皇がどうなるのか。連合国の処罰を受けるのか。戦争の責任を問われ、皇室は無くなってしまうのか。

 当時の日本人にとり、それは耐え難く受け入れ難いことでした。「徹底抗戦」と「一億玉砕」の思考が生まれた理由も、ここにあります。

 しかし近衛公は、単純な天皇絶対論者でなく冷静な皇室論者でした。富田氏のおかげで、公の意見を知りましたので紹介します。

  ・憲法に、天皇は神聖にして犯すべからずとあるのは、天皇自らが、絶対無限の責任を、国民に対し負っておられることを、示したものである。

  ・元来国家の成立には、人民と領土が必要とされる。

  ・国民を全て失うような事態となりて、天皇と領土だけということになっては、国家存立の意味をなさない。

  ・追い詰められて、国体の選択を迫られたなら、私は、陛下が天皇制を捨てて、共和制におつきになる場合も、あってしかるべきと思う。

  ・国民を皆殺しにして、天皇制を護るということは、ありえない。

  ・天皇制を捨てても、陛下は日本国民と領土をお護りになると、信ずる。

 氏はこれを、公から直接に聞いた話として伝えています。公は続けて、次のようにも語っています。

  ・ただ、近衛家の場合は別である。

  ・多年皇室の恩寵を賜り、時には皇室に数々のご迷惑をかけてきた、藤原、近衛家であるからして、天皇と運命を共にしなければならないと思う。

  日本の敗戦が目前にあっても、連合国に受諾を伝えられなかった最大の理由が、「国体護持」でした。そして今ひとつの理由が「軍」です。

 口にしませんが、誰もが恐れていましたのが軍の反乱」と、これによる「日本の内部崩壊」です。

 多くの指導者たちが避けようとしたのは、軍の反乱と、日本の内部崩壊でした。彼らにこれを確信させていたのが、過去の二つの事件でした。

 〈  1. 「5・15事件」 〉

  昭和 7年   海軍の将校を中心に、民間人も含め、26名が参加。

  犬養首相を殺害した将校を含め、全員が10年から16年の禁固刑。

 〈  2. 「2・26事件」 〉

  昭和11年  陸軍の将校を中心に、兵士、民間人を含め、1,483名が参加。

  死刑 16名    自決 2名  1年から6年の禁固刑 17名 兵士は無罪。

  今は知る人もありませんが、戦前は「君が代」に次ぐ「第二の国歌」として「海ゆかば」という歌がありました。
 
 大伴家持の長歌からとられたもので、東京芸大の信時潔教授の作曲による荘重な曲です。国を守るためなら、天皇と共に死を厭わずどこまでも行くという兵士の歌です。
 
   海ゆかば  水 (み ) 漬 (づ )く屍 ( かばね )

   山ゆかば  草生 ( む ) す屍 ( かばね )

   大君 ( おおきみ ) の  辺 ( へ ) にこそ死なめ
  
   かへりみはせじ
 
 世界最強の軍隊と言われる日本軍には、世界最強の兵がいて、天皇のため命を捨てました。陛下を守るためなら政治家たちが何を言おうと、自分たちは信ずるところを実行すると、二つの事件は、それを世に知らしめた重大事件でした。
 
   事件以来、政党政治家は軍を恐れ、軍に逆らうことをしなくなりました。この2つ事件は、兵たちの純粋な意図と異なり、軍の上層部が、政党政治家や反対者を黙らせる、脅しの道具に使われるようになっていました。
 
 大戦末期の指導者たちに、「ポツダム無宣言」受諾の決断をためらわせた、二つの理由は、「天皇 ( 国体 )」と「軍」でした。これを理解した上で、氏の叙述を読みますと、当時の人々の苦労が理解できます。
 
  ・ポツダム無宣言の受諾について、閣議では、結論が出なかった。
 
  ・首相ほか15名の大臣のうち、12名は受諾しても良いという意見、
 
  ・しかし、阿南陸相、安倍内相、松坂法相の3名は、むしろ玉砕論を唱えた
 
  ・こうして8月14日、陛下の下命を願いつつ、御前会議が開かれることとなった。
 
 ここでも論がまとまらず、最後に陛下が口を開かれた情景を、高木惣吉氏の『終戦覚書』をもとに、富田氏が伝えています。
 
  「ポツダム宣言につき、天皇統治権に対し、疑問があるように解する向きもあるが、私はあれでよろしいと思う。
 
  「私の決心は、私自らの、熟慮検討の結果であって、他から知恵をつけられたものでない。」
 
 息子たちと訪問される方々のため、割愛せずに紹介いたします。
 
  「皇土と国民がある限り、将来の国家生成の根幹は十分であるが、この上望みのない戦争を続けるのは、全部を失う惧れが多い。」
 
  「股肱と頼んだ軍人から、武器を取り上げ、私の信頼したものを、戦争犯罪人として差し出すことは、情においてまことに忍びない。」
 
  「幾多の戦死者、傷病者、遺家族、戦災国民の身の上を思えば、これからの苦労も偲ばれ同情に耐えない。」
 
  「三国干渉の時の、明治大帝のご決断に習い、かく決心したのである。」
 
  「陸軍の武装解除の苦衷は、十分分かる。」
 
  「事ここに至っては、国家を救う道は、ただこれしかないと考えるから、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、この決心をしたのである。」
 
  「今まで何も聞いていない、国民が、突然この決定を聞いたら、さぞかし動揺するであろうから、詔勅でも何でも、用意してもらいたい。」
 
  「あらゆる手を尽くす。ラジオ放送もやる。」
 
 陛下は、純白の手袋をはめられた手でメガネを外され、頬に伝う涙を拭われたと言います。陛下のお言葉により、国の決断が下されました。
 
 果たしてわが息子たちは、なんと思って陛下のお言葉を受け取るのでしょう。願い得ることなら、父と同じ涙をそっと拭ってもらいたいと思います。
 
 続きは、次回と致します。
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