諸橋轍次 ( てつじ ) 氏著『中国人の知恵』」( 昭和48年刊 講談社現代新書 ) を、読みました。巻末の略歴を、そのまま転記します。
・明治16年、新潟県生まれ 東京高等師範学校卒業
・文学博士「東京高師、東京文理科大学教授を歴任
・現在東京教育大学名誉教授
・文化勲章、紫綬褒章、朝日文化賞など、数々の栄誉を受けた漢学の第一人者
・都留文科大学の初代学長
氏は反日・左翼の教授ではありませんが、徹頭徹尾「中国礼賛」をする漢学者でした。「お花畑の住民」でなく、お花畑を開墾し、花の種を力任せに撒いている「お花畑開拓者」の一人でした。
日本の昔話に出てくる、「花咲か爺さん」の姿が彷彿としました。初版の昭和48年から昭和57年まで、15版も重ねているのですから空恐ろしい話です。
目次の一部を書き抜きますと、それだけで、信じられない「中国礼賛」ぶりが明らかになります。
「比類のない、平和・民主思想」 「巨大なスケール」
「自己に徹する」 「交際のみごとさ」
「磨き上げられた道徳」 「憧れの政治」
吹き出しそうになりましたが、氏が大真面目で真剣ですから、私も本気で読みました。しかし読み終えた後でも、氏への印象は何も変わりませんでした。
「日本の漢学者とは、こんなにレベルが低いのか。」
「この程度の思考で文化勲章が貰えるというのなら、文化勲章も大したものではない。」
と、勲章の価値も劣化してしまいました。
二日前に紹介した柘植久慶氏著『沖縄独立す』と同じで、氏の著作も、「まえがき」さえ読めば、本文など付録みたいなもので、わざわざ読む必要がありません。珍しい本が続きますので、一部だけでも紹介します。
・わたくしは、若い頃から漢学を学び、中国に深く親しんできました。
・わたくしは、中国の人々が好きです。
・わたくしの言う中国人は、台湾治下だけの人々でも、北京治下だけの人びとでもありませんし、また、特定の時代の人々でもありません。
・大変漠然とした言い方ですが、四千年の歴史を経て、現在七億以上の人口となっている、中国人のすべてです。
45年前の本ですから中国の人口も変わり、現在は約14億人と二倍になっています。
・わたくしは、この長い歴史を持つ人々の、深い知恵をたずね、それを与えられたページ数の中で、最大限に、力を尽くして書きました。」
・中国人ほど、自分を大切にし、自分を愛しているものは少ない。
・そしてそのようにして、完成した己をもとに、彼れらは、他人と、まことに味わい深い交際を続けます。
・それがどこでも、どの時代でも、究極の繁栄を得ているゆえんでしょうか。
昭和40年代は反日左翼の出版物が日本中に出回りましたが、ここまで酷い本は珍しい気がします。紹介するのが、返って面白くなる不思議さが出て来ます。
・天人一如の思想は、中国の道徳・政治の基礎となるものです。
・この思想を理解することによって、中国の磨き上げられた道徳と、憧れの政治とに、必然的に導かれます。
・中国人は、自分を大切にすることの大なるため、ややもすると単なる利己主義者と解されがちです。わたくしの本は、中国人の次元を超越する、強靭性を実証するとともに、そうした誤解を解く、反面の事実を物語るものです。
・ちかごろ、中国へ行った人たちは、一様に中国の再興ぶりと、中国青年の意気込みをたたえます。50年前の中国だけを見聞きした人たちは、あるいは驚き、あるいは疑うのかもしれません。
・しかしあれも中国人、これも中国人、変転の中に一貫して生き延びていくのが、中国人です。
氏の言葉を紹介しながら、「ねこ庭」を訪問される人が絶えてしまうのでないかと、心配になって来ます。息子たちには、「読んでも参考にならない」と注意書きをしなくてなりません。
・中国人は、己を中心とすることに徹底していますが、その己は、一時期の己でなく、もっと長い将来の己を考える、知恵があります。外界の事情がどう変わろうと、耐えて生き延び、自分を保全したのでしょう。
・清朝が滅びようが、軍閥が起ころうが、また共産主義がやってこようが、来るのなら、どんなものでもくるがよい。己は己として、生き延びて見せるというのが、中国人の確信であります。
・日本人ならば、共産主義の思想に入ったならば、その思想の組織内に立てこもって、終始する。だから、国情に合わなくても、時勢に合わなくても、そのイデオロギーにとらわれます。
・中国人は、完成した己で処置しますから、それが違つた形に変化しても、少しも頓着しません。その時の現実の上に、どっしり足を踏まえて、考えを定めていくのです。
2000万人が殺された文化大革命の嵐が吹き荒れたのは、昭和41年から51年の10年間でした。出版が昭和48年ですから、文化大革命の最中の本です。NHKも朝日新聞も中国に都合の悪い事は報道しませんでしたから、氏だけを責められませんが、よくもここまで誉め上げたものです。
いい加減にすれば良いのに、氏は、孔子・孟子・老子・荘子・荀子の教えを、手当たり次第に説明していきます。
・学問は自分のためにする。人を知るより、自分を知れ。天意は、民の声によって決まる。人間社会の道は、交際
・・などなど、論語や易の古典から説明してくれます。
1400年前の隋や唐の時代の中国を語るのなら、分からないでもありません。当時の中国は日本の先生で、現在の日本文化の土台は中国からもたらされています。
そこは謙虚に感謝する「ねこ庭」ですが、現在においてこういう手放しの賞賛をするというのでは、学者としての適性が疑わしくなってきます。
中国古来の文化・文明を破壊し、紅衛兵たちが毛沢東の政敵を晒し者にし、なぶり殺しにした、悪名高い文化大革命があったのは、昭和41年からの10年間です。朝日新聞も氏によく似た、中国礼賛の新聞社でしたから文化大革命について、「偉大な民族の実験」「大躍進の中国」と、大嘘の報道をしていました。
それにしても、この能天気な中国礼賛には首を傾げてしまいます。
・この複雑で、聡明な、中国の民族に対して、策略や術策などをもってするのは、愚の至りです。もしそれで争おうとするのなら、どんな手を用いても、こちらの負けに決まっている。」
・では、どうする。それはやはり、徹頭徹尾、誠意をもっていくより他はないでしょう。
・中国の人々がすべて誠意の人であり、誠意に感ずる人であるとはいいませんが、あの長い歴史の経験において、誠の人を渇望すること、また誠の人を認める眼識の高いことについては、世にも優れた民族だと思います。
・中国人は、誠意は必ず通ずる人たちであると、私は中国の歴史を読みこの事実に接する毎に、深い感銘に打たれるのであります。ただいま当面している、日中修好の要訣だと信じます。
つまり氏の本が出版されたのは、日中国交が正常化された翌年でした。
田中総理が周恩来首相と握手を交わし、日中共同声明に調印しました。あれから45年以上経った今、果たして中国は、氏が言うような礼節の国であったのか。誠意と真心の通じる平和国家であったのか。
数年前に氏は亡くなっていますが、国民弾圧国家として中国が残虐な姿を見せはじめた時に、よくも自分はあんなでたらめを日本国民に語ったと恥じ、著作の絶版をしても良かったのではないでしょうか。
良心のある作家や学者が、時々そ絶版宣言をしますが、氏にはどうやらそんな学者の良心がなかったようです。
論語読みの論語しらず。専門馬鹿。獅子身中の虫、駆除すべき害虫。
申し訳ない事ですが、今の「ねこ庭」から贈る言葉は、これしかありません。息子たちに言います。立派な賞を貰い、世間で持て囃されても、馬鹿な人間は、時の経過が化けの皮を剥ぐということです。