田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

朱の記憶(4) 麻屋与志夫

2008-11-16 19:32:37 | Weblog
 その絵を正面から見られる場所に正方形のソファがあった。
 むろん人垣に邪魔されて壁面の絵は、ときどき垣間見ることになる。
 それでじゅうぶんだった。
 立っていたらあのときのように倒れてしまうかもしれない。
 生涯二度ともう巡り合えないだろうとあきらめていた絵だ。
 かつてはわたしの手もとにあった絵だ。
 夏のあの日をカンバスに閉じ込めた絵。

「やっぱり来たわね。おひさしぶり」
 わたしは正方形のソアァにすわっている。
 背後から声が流れて来た。
 はるかな年月のかなたから蘇って来た声。
 やはりK子だ。K子だった。……ながいこと失われていた懐かしい声だった。
「でもひさしぶりだなんて、何年ぶりだと思うのですか」
「ふりかえらなくていいわよ。ふりかえらないで。六十年はたっている……もうわかってもいいのに? まだ、わからないの? わたしにとっては……つい昨日のことよ」
 わたしは背中合わせに彼女のぬくもりをかんじていた。              
 
 失神から覚めたわたしは彼女にだきしめられていた。
「あら、あなたたちそういう関係だったの」
 女流画家がわらった。

「並んですわったら、Mさんにまだあなたたちつづいていたの……なんてからかわれそうね」
「でもどうしてこの絵がここにあるんだ」
 わたしは密かに期待はしていたが、あれほどながいこと慚愧の念とともに再度鑑賞できることを願いつづけてきた絵に会えるとは思っていなかった。

「Mが日動画廊から買いもどしておいたのよ」
 
 父のロープ工場は倒産。
 わたしは学費をひねりだすためにこの絵を日動画廊にもちこんだのだった。
 Mとわたしたちの出会いを証明するような絵。
 戦後初のMの展覧会が日動画廊で開催れたのを知ったのはずっとあとになってからだった。
 わたしの英会話の恩師、GHQの通訳だった愛波与平先生が鹿沼を選挙区とする湯沢代議士としりあいだった。
 その国会議員が日動画廊の顧客。
 三題話めいた因縁だった。

「ぼくは赤い色彩を見ると戦慄するのです」
 わたしはMに静かに語りだしていた。
 わたしの失神の原因をきかれての答えだった。
 原初の……といいたいような赤の記憶は床の間の掛け軸に描かれた「モズ」だった。
 嘴に真っ赤な肉片をくわえていた。血のしたたるような生肉。
 わたしは幼いころから赤に異様な反応を示していた。
 あれがはじまりではなかったろうか。
「モズの絵をおろして。他の絵に掛けかえて」
 ようやく、ことばを紡ぎだせるような年になったわたしは哀願した。
 声をひきつらせて号泣した。
 モズのするどい嘴におそわれるようで怖かった。
「そんなことできません。わがままいわないで。見たくないものは見なければいいの。目をつぶって見なければいでしょう」
「赤がこわいんだよ」
「お父さんが掛けたものをかってに変えることはできないのよ」
「やだよ」
「ききわけて」
「やだよ」
「だめなのよ」
 母は父の不在のときは掛け軸の前に二双の屏風を置いてくれた。
 水墨の山水画。墨の黒は好きだった。
 すごく気分が落ち着いた記憶がわずかに残っている。

 母が留守だった。いつものように赤を嫌って泣いた。
 ききつけて部屋にはいってきた父がわたしを布団ごと丸めて庭になげだした。
 雪がふっていた。雪がわたしの涙をひややかなものにしていた。
 あるいは、あれは肉片などではなくモミジの葉であったのかもしれない。
 紅葉したカエデの細い枝先でモズが天空にむかって鳴いていたのかもしれない。
 わたしは雪におおわれていた。
 母の帰りがおそければ凍死していた。
 わたしは父の愛をしらないで育った。

 小学校の三年生になった。




ブログランキングに参加しています。よろしかったらポチよろしく。
     にほんブログ村 小説ブログ ファンタジー小説
応援ありがとうございます。

朱の記憶(3) 麻屋与志夫

2008-11-16 00:19:23 | Weblog
 このひとは東京でわたしの想像もつかない苦労をしているのだ。
 お礼にわたしを描いてくれるという。わたしは旧制中学の三年生。
 恋しりそめしとしごろだった。
 ひとりでは恥ずかしいのでK子をさそった。
 ひそかに恋こがれていた年上の女性だ。
 幼くして別れた母の顔は、おぼろげにしか覚えていない。

 帝国繊維の工場には、日本初の水力発電の機械が配置されていた。
 発電機は稼働していなかった。
 その日本初の発電機を使用したという事実は、半ば伝説と化していた。
 名前だけは「水神さん」としてのこっていた。
 発電所の跡の建物の前にひろがるグランドには青いたそがれの気配が漂っていた。
 鬱蒼と茂った木々のかなたに日光山系がみえがくれしていた。
 そこで、はじめてわたしは、バアミリオンの真紅の赤を見た。
 使い古されたパレットにしぼりだされた絵の具の色にわたしは眩暈をおぼえた。
 それどころか失神してしまっていた。
 グラッと大地がひっくりかえった。
 からだの芯にひびいてくる恐怖におののきながらわたしは気を失っていた。
 わたしは名前を呼ばれていた。
 母の声のような、たえてひさしくきいていない優しい呼び掛けだった。
 頭の中にはまだ赤い粘性の絵の具が渦をまいていた。
 わたしのからだは痙攣していた。幼児への退行現象でもおきたのか。
 わたしは赤子のようにK子の胸に顔をふせて、ふるえていた。

「夏の日の水神の森」
 その絵はあった。
 静物と風景画のおおいMの作品群の中にあって、その絵にはめずらしく少年と少女が描かれていた。
 それも、点景人物というより、人物そのものが主題だった。
 そう、わたしとK子を描いてくれたものだった。
 わたしとK子のまわりには赤い線が昆布かワカメのようにゆらぎながら上にのぼっている。
 わたしの赤への過剰な反応が画家の感性を刺激したのだろう。
 この赤い線は、若者の精気、わかさのフレイヤー、あるいは精液などと評論家がしたり顔で解説している。
 かれらはこの絵が成ったモチベエションをしらないのだから無理もない。

 わたしはこの絵が展示されているかもしれないという仄かな期待はもっていた。
 むしろ、予感といってもいいかもしれない。
 はるばる鹿沼からきた甲斐があった。 



ブログランキングに参加しています。よろしかったらポチよろしく。
     にほんブログ村 小説ブログ ファンタジー小説
応援ありがとうございます。