田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

朱の記憶(9)   麻屋与志夫

2008-11-20 06:02:09 | Weblog
「ボウヤの味が忘れられなくてな。こんどこそまるまる食い尽くしてやる」       

 人狼は嬰児をその性器から食いはじめる。
 人が家畜の部位によってうまいまずいというのとおなじことだ。
 人狼はそんなことをいったかもしれない。
 あるいは、これもわたしの小説の中の一節にでてくる文章かもしれない。
 
 太股の肉を噛まれてから、肉はすぐ再生した。
 おどろくほど回復がはやい。
 でも、体が熱ばんでいる。
 微熱が引かない。
 人狼の歯から未知のウイルスでも注入されたのか?
 
 頭も霞がかかっているようだ。
 時間系列に乱れを感じる。
 過ぎたことが古い順に並ばない。
 思いだせない。
 過去が現在に思われる。
 現在のことが過去。
 
 時間がべろんとダリが描く時計のように溶けだしている。 
 
 わたしは長く生きていけそうな予感がする。

 狼。顎には白く鋭利な歯列。
 世界は赤く燃え立ち、わたしは恐怖にうちふるえていた。
 なすすべもなく。狼はまさに悪魔。
 獣性をむきだしにして、残忍なよだれをたらたらとたらしていた。
 月の光に屋根が青白く濡れたように見える。
 波型屋根のロープ工場に上にこうこうと望月がさえわたっていた。
 黒く濃密な剛毛におおわれた、まさに悪魔は飽食への期待に満月に向かって唸り声あげた。

 その一瞬のスキをうかがっていたものがいた。

 このときだ。
 颶風となって人狼に体当たりをくわせたものがいた。
 
 もしそれが母だったら、母がこなかったらどうなっていたろうか? 
 すさまじい吠え声。
 わたしを救出にきたものも白い歯をむきだしにした。
 狼とにらみあっていた。
「逃げて」そのものがいった。
「逃がすか。おれの獲物だ。おれの餌をうばうきか」
 もうひとつの咆哮。
 殴打音。    
 悲鳴。
 
 わたしはよちよちと部屋に逃げかえった。
 もし母だったら……。
 母はあの時の戦いが原因でいなくなってしまったのだ……。
 
 家の中はがらんとしていた。
 異常に気づき住み込みの職工たちがかけつけてくれた。
 庭の奥で母が人狼と戦っていた。そう思いたい。
 母の姿はそのときを境にわたしの記憶からきえてしまった。
 家からきえてしまったのだから。
 なにもかもが曖昧模糊となってしまった。  
 
 顔が血だらけ。
 白い乱杭歯をむきだし狼に戦いを挑み、わたしを救出してくれたのは母であった。
 そう思いたい。
 狼のその再度の襲撃のときは、わたしはどうやら歩けるようになっていた。
 母は血だらけのおぞましい姿をひとにみられたと思い……蒸発してしまったのだ。
 そう思いたい。




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